『勇者』って何なんだろ。
皆の期待を一身に背負うヒーロー?
魔王をやっつけるお仕事?
世界を救う英雄?
そんな大役できっこない、何で私なの。
怖いし、不安だし、自信ない。
とりあえずやってみて、ダメだったらみんな諦めてくれるかな。
勇者ファウナは、そんな後ろ向きな理由で旅に出た。
王政を敷く国々は、それぞれ魔王討伐に向けて『勇者』と呼ばれる若い戦士を任命し、世界平和に貢献している。
「国民的に支持されてる勇者は初めて見た」
淡々とそう語る盗賊のシルバ。物静かでミステリアスな彼は、いつか『本物の勇者』に出会うために旅をしているのだという。
「……え、他所の国の勇者ってどんな扱いなの?」
「国の金で諸国漫遊なんていい御身分だ、とか、どうせ金持ち息子の道楽だろ、とか」
「わ、ひどい。魔物をやっつけるのだって大変なのに」
「実際そうだし」
自社ブランドの売り込みのために国費で世界を営業回りする勇者や、富豪の次男坊で経歴に箔をつけたいだけの勇者、そもそも魔王に興味がなく国の外に出てこない勇者などなど。シルバの口から語られる噂話は、確かに『本物の勇者』とは呼べそうにないものばかりだ。
「それってさ、本物かどうかはどうやって判断するの?」
「さあ」
「いやいや、さあ、じゃないでしょ」
「分からんものは分からん」
「開き直んないでよ……」
なんだか不思議。判断基準がなくても本物って分かるのかな。それとも一目見ただけでバッチリ分かっちゃうくらいカリスマオーラがあったりして。
分からなくても、と抑揚のない声でシルバは続ける。
「渡さなきゃいけないものがあるから」
無機質な話し方なのに、どことなく使命感を感じる。誰かとの約束みたいな口ぶりだ。
「しばらく旅に同行させてほしい」
「うん、いいよ。早く本物が見つかるといいね」
何の気無しにシルバを励ますと、少し面食らったような顔をされる。
「……ああ」
後になって考えてみれば、まあ私は偽物ですけどね、と言っているようなもので、我ながら随分と卑屈な発言だ。
でも、そうでしょ。期待から逃げるために旅立つ勇者に、本物を語る資格なんてない。
いつか本物に会えたら、聞いてみたいな。
『勇者』って何ですかって。
『勇者様お手柄! 悪漢を討ち、眠りの村を救いしは、アリアハンの少女』
アッサラームに向かう道中。とある村の宿で見かけた朝刊の一面に、そんな見出しがでかでかと載っていた。
「な、何これ!?」
「すごぉい! トップニュースだね、ファウナちゃん」
幼なじみのミューが、酒場のバイト装束であるうさ耳バンドを揺らしながら拍手している。もともと情報通な彼女は、情報収集がてら各街の酒場や冒険者ギルドでバイトしてくれているのだ。
悪漢、つまり、シャンパーニの塔を占拠していた悪党カンダタを追い払ったのは私だ。でもノアニールの眠りの村に関しては違う。噂を聞いたミューが、待機していたシルバとウィズを連れて偵察に行った結果、そのまま解決してきてくれたのだ。
「私の手柄じゃないのにこんな……それも、国営新聞の一面なんて」
「ここまで大々的になっちゃったのは偶然なんだけどぉ」
ミューが朝食のパンを咥えながら、どれどれよく見せてと覗き込む。
「眠りの村の情報くれた女の子、新聞記者だったのよん。アリアハンの勇者の仲間なのって話したら、もう興味津々」
この目で眠りの村を見たのに、酔っ払いの戯言扱いをされて信じてもらえない。そう嘆いていたところにミューが遭遇して意気投合したらしい。
「眠りの村事件、解決できたら特集記事書いてほしいなぁってお願いしたら色々インタビューされちゃってー」
楽しそうに記事を読むミューを見上げてみる。別に、怒っているわけじゃなさそう。
「どうしてノアニールの件も私の名前で公表してくれたの?」
「……うーん、ファウナちゃんはどうして引っかかるの?」
「だって、これじゃ、ミュー達の手柄を横取りしたみたい」
「人をどんだけ狭量だと思ってるんですか。別にそんなふうに考えやしませんよ」
気付いたら隣にウィズがいた。ダーマ神殿の賢者課程をてっとり早くこなすため勇者のお供をして実績を得よう、という身も蓋もない理由で仲間になっている彼だが、実際めちゃくちゃ頭の切れる魔法使いだ。今回のノアニールの洞窟探索やエルフの女王との交渉をメインで頑張っていたのは彼である。
「誰がやろうと、つまりは平和活動に尽力した手柄なんですから。多ければ多いほど今後各国に協力を仰ぎやすくなるでしょう」
「そ、そうかもしれないけどさ……」
「そもそもこのチーム、貴女がリーダーでしょう? 僕たちはその部下なんですから、僕たちの実績だって『勇者』の実績になるんじゃないですか」
それにトップが評価されれば未来の僕の就職先も安泰ですし、などとあっけらかんと言われて、なんだか安心してしまう。別に気を遣ってるわけでもなさそうだ。
部下。そうか。同列で対等な仲間だと思ってたけど、違うんだ。
私がトップなんだ。
「……嫌じゃない? 年下の女の子が上司って」
ポツリと問うと、二人は顔を見合わせる。
「何を今更。嫌なら着いてきてませんよ」
「ふふっ。ファウナちゃんてば、嫌われちゃうのがイヤで悩んでたの?」
かーわいーい、とニコニコしながらミューが頭を撫でまわす。上司に取る態度ではないよなあ、と思いつつも、こういう温度感のほうが私らしいのもわかる。
『勇者』は『リーダー』。仲間をまとめる上司の役目。
まとめられている気はしないけど、部下のつもりで動いてくれる人がいるなら、私もちょっとは勇者やれてると思ってもいい……のかも。ロマリア王に金の冠を返すっていう実績もできたわけだし、少しくらい自分に自信を持ってもいいのかな。
撫でられながら、でもなあ、ううむ、と唸っていると、ウィズが苦笑いで視線を逸らす。
「……むしろ、あそこまでエルフの女王を怒らせておいて『やったのは自分です』とか言えな……」
「わあーっ! ウィズっち、しーっ! しーーっ!」
ミューがやけに動揺しながらウィズの口を塞ぐ。
「……え、何それ、報告ないけど」
「あれ、ミューから聞いてませんか?」
焦るミューを引き剥がしながらウィズが続ける。
「本当めちゃくちゃ焦ったんですよ。実は……」
「わあーっ! ごめんごめん、ごめんってばーーっ!」
貿易大国ポルトガ、王城の一室。すう、と大きく息を吸った私は、意を決して切り出した。
「あの……ええっと、船の乗組員のことなんですけど」
どんな立派な船だって、動かせなきゃただの水に浮く箱。そして、相応の技術を持つ人を雇うには相応の金額を支払わねばならない。しかし、鎖国を解いたばかりで財力が弱いアリアハンにこれ以上の予算増は頼めないし、道中稼ぐ路銀は皆の装備品を整えるので手一杯だ。
「……うちから出せ、と?」
ポルトガ王国の大臣が眉をひそめる。うう、表情が固いよぉ。気難しそうな人だぁ。報酬の上乗せなんかお願いして大丈夫かなぁ。
「黒胡椒の対価に船一隻では足りないとおっしゃる」
「あ、いえ!! そういうわけじゃ……」
「ふふ、話が早くて助かっちゃうなー」
否定しそうになった私を制した隣の男性は、英雄サイモンの息子でありサマンオサの『勇者』でもあるレオン。イシスのピラミッドで偶然出会ってから、縁あって旅に同行してもらっている。
「香辛料市場の伸びを考えると、この貿易ルートの売り上げから2%くらい貰ったってバチ当たんないと思うんですよー。そこを人員派遣のみで譲ってくれるんだもの、勇者様ったらお優しいと思いません?」
大臣はなんとなく痛いところを突かれた様子だ。ビジネスの話になっちゃうと、私にはさっぱりわかんないけど。
「しかし他所の国の勇者一行に、船だけならまだしも乗組員まで派遣するのは……」
「魔王を倒せる見込みのない御国の勇者殿下に予算割くよかよっぽど有意義ですよー」
笑顔でキツいひとこと。今回みたいな王様の望みは点数稼ぎがてらその国の勇者がやったりするんだけど、そういえば一度も話題に上がらなかったな。
ううむ、しかし、と煮え切らない大臣の態度に、レオンがため息を漏らした。
「まあダメならダメでこちらにも考えがあるっていうかー」
考え? 考えってなんだろ。話についていけずに見上げると、レオンが涼しい表情で机上に小さな黒胡椒の瓶を置いた。
「国王陛下の話じゃ“黒胡椒を持ってきたら船をやる”ってことでしたし、これにて依頼完了ってことでー」
「……は!?」
「今後黒胡椒はアリアハンを通してご購入くださいー」
「えっ、いやいや」
「ファウナちゃん、今すぐバハラタにルーラできる? 胡椒の貿易ルート、アリアハンが独占できるようにお願いしちゃおー」
「待て待て、そんなわがままが通るわけが」
「あはは。まー独占は冗談だとしてー、他所の国に関税がっつりかけてアリアハンだけ特別待遇してもらうくらいなら平気でできちゃいますよー?」
なんだか大臣さんが焦っている。きょとんとしている私の肩を、レオンがポンと叩く。
「なんせ彼女、町のみんなを人さらい共から救ってあげたヒーローなわけですから。今、バハラタはアリアハンの勇者フィーバーなんですよねー。なのに彼女に何もしてあげられてなくてフラストレーション溜まってるみたいなんでー、この子がちょこっとお願いしたら、多少の無茶は聞いてくれちゃいますよー」
そもそもアリアハンのがバハラタと近くて貿易しやすいしー、と笑顔を崩さないレオン。くしゃくしゃと頭を掻いた大臣さんが、観念したように大きくため息をついた。
「……3人」
「10人ー」
「……5」
「うーん。せめて8」
「……6!! これ以上は譲らないからな」
「えーしょーがないなーもー」
あれよあれよと交渉が進み、横で聞いていた私には何が起こったんだかさっぱりわからない。最後にダシに使われたのだけはなんとなくわかったけど。
結局、レオンの交渉のおかげで6人の乗組員をポルトガから派遣してもらえることになった。船長さんに航海士、あとクルーの中に船大工もいるから、戦闘以外の船に関することは全部お任せできちゃう。お給料もポルトガ持ち。
手配するから早よ出ていけ、と城から追い出された私たちは、近くの喫茶店で一息つくことにした。
「はぁ〜……ごめんねレオ兄、頼っちゃって」
「構わないよー、むしろ力になれて嬉しいくらい。ああいう“大人のおねだり”は俺の得意分野だからねー」
ものすごく大変な交渉だったはずなのに、レオンはコーヒーを片手に涼し気だ。これが大人の余裕ってやつなのかなぁ。勇者って、ただ言われたことをこなすだけじゃダメなんだね。
「何にもできなかった、と思ってるなら、そんなことはないからね」
落胆を見透かすような言葉。しょんぼりしたまま見上げると、優しく頭を撫でられた。
「ファウナちゃんが『勇者』の立場でブレずにいてくれたから、俺はあの場ではっきり交渉できたんだよ」
ビビッて”やっぱ大丈夫です”なんて言い出したらどうしようと思った、とケラケラ笑っている。実は言いそうだったのは黙っておこう。後ろめたさをオレンジジュースで飲み込む。
『勇者』は『道標』。やりたいことや行きたい場所を、仲間たちにまっすぐ示す役目。
こうしてレオ兄の交渉の役に立てたって言ってもらえるなら、少しは勇者らしいことができたと思っていいのかな。
とはいえ、もっと率先して交渉に加われたらカッコいいよなぁ。そしたら未熟者なりにリーダーっぽくなれるのに。
「私もいつか“大人のおねだり”できるようになりたいなぁ」
「……ファウナちゃんがおねだりとか言うとめっちゃ背徳的だねー。ゾクゾクしちゃう」
「え、何て?」
「ううん、何でも。俺でよければ教えたげよっかー? 手取り足取り“教育”しちゃうよー」
「本当? 私でもできるかな」
「できるできるー。今夜でも俺の部屋おいで、準備して待ってるからー」
「え、今じゃないの?」
「人目があるとちょっとねー」
「なんで?」
「うん?」
「え?」
そんな問答のあった日の夜、宿の廊下で偶然すれ違ったシルバにレオンとの約束を話したら、無言で頭をチョップされた。その後シルバがため息つきながらレオンの部屋に入っていって、中からぱしーんと頭をはたく音がした。
「テドンに寄りたい」
普段は作戦や方針にあまり口を出さないシルバの希望で、私たちはテドンに向かった。
一晩でバラモスに滅ぼされ、ネクロゴンド大陸で最も被害を出した悲劇の村。そして、シルバの実家。いずれ行かなきゃならない場所だとわかっていたけど、いざ行くとなると気が重い。
「……むごいですわね」
僧侶のアリスがポツリとこぼす。旅を始めた当初からずっと一緒に来てくれている彼女は、ロマリア大聖堂のお嬢様で敬虔な聖職者だ。
夕暮れに染まる村を見渡したアリスが、後ろのシルバを振り返って問う。
「ご遺体が見当たりませんけれど」
「家の前に埋葬してある」
よく見ると朽ちた家屋の前にそれぞれ、こんもりと土が盛ってある。こちらに2つ、あちらに3つ。おそらく、その家の人数分だけ。
「仕事の合間に作業して2年かかった。掃除とか墓標作りはこれから」
「でしたら、今日のうちに少しでも進めましょう。人手があればやれることも多いはずですわ」
「ん。助かる」
建物の焼け跡に毒の沼、灰と土埃の混じった臭いに息が詰まって、私は何も言葉が出ない。これが私の立ち向かう相手なんだ。こんなに非情で、残酷で、無慈悲な殺戮をしてしまえる連中が。
「……ファウナ様」
「……え、あ、何?」
顔を覗きこまれて、慌てて我にかえる。いけない、ボーッとなんかしてられないのに。
「顔色が優れませんわ。少し休まれます?」
「ううん、違うの、大丈夫。えっと……何から始めようか」
「ファウナはこっち」
「えっ」
「いいから」
相変わらず言葉少ななシルバの後ろについていき、村から少し離れた石造りの建物に向かう。ゴツい外観に錆びた鉄格子の扉。
「これ……牢屋?」
「そう、牢屋」
村の中に比べると損傷は少ないけれど、床や壁に風化して赤茶けた血痕がべったりと残っている。看守や囚人まで、本当に一人残らず殺されてしまったのだ。
“おいコラ、シルバ”
突然頭に響いてきたのは、明らかに人間の声。嘘、誰の気配もないのに。驚いて剣に手をかけると、大丈夫、とシルバに宥められた。
“遅かったじゃねえか”
「1ヶ月くらいしか経ってない」
“十分遅いんだよ。こちとら毎日退屈でしょうがねえってのに”
シルバは牢屋の奥にある乾いた血溜まりの跡に向かって話しかけている。相手も砕けた口調で、ずいぶん慣れた様子だ。
「……誰と、話してるの?」
「ここで死んだ泥棒」
“恩師に向かってどんな言い草だよ。いい度胸してんじゃねえか”
「事実だし」
“口数少なさは相変わらずだな。どうせこの村のことも詳しく話してねえんだろ”
シルバは何やら壁を探っていて、説明する気はなさそうだ。大きなため息と共に、いいかよく聞けお嬢ちゃん、と頭に響く泥棒さんの声が続ける。
テドンにはグリーンオーブという宝玉が祀られていたこと。オーブはバラモスにとって脅威になる存在で、ずっと前から狙われていたこと。泥棒さんはそれを盗んだ罪で捕まっていたこと。
シルバは一人、村から離れた川で釣りをしていたこと。襲撃に向かう魔物の群れにぶつかって、頭を打って気絶してしまったこと。目が覚めて村に戻ると、日常が何もかも壊されていたこと。
話を聞いている間にも日が暮れていく。ほとんど陽の光が入らない牢獄で壁の石組を探りながら、ひとりごとのようにシルバが呟いた。
「あの日、“行かないで”って願った」
あたりが完全な闇に包まれる。すると突然、目の前に壮年の男性がぼうっと浮かび上がってきた。おそらくこの人が“ここで死んだ泥棒”さんなのだろう。
「その思いが強すぎて、グリーンオーブの魔力に囚われた」
きゃあ、と作業中のはずの仲間の悲鳴が聞こえて、村の方を振り返る。すると、村のいたるところに人魂のような光が浮かんでいた。
“つまり、こいつのせいで俺たちゃ全員地縛霊ってわけよ”
まあ害はないから心配すんな、と泥棒さんは軽い口調だ。そういえば道中聞いたなあ、テドンの幽霊の噂。確かに仲間のみんなが襲われてる様子はないけど、害がなくたって怖いものは怖い。
「ここにオーブがある限り、村のみんなは安らかに眠れない」
シルバが探っていた壁の石組から、カチッと音がする。さらにググッと押し込むと、足元の床に小さな収納スペースが現れ、手のひら大の透き通った宝玉が顔を覗かせた。
「だから誰かに託したかった。どうせなら、本来持つべき『本物の勇者』に」
シルバが、こともなげにオーブをポイと投げて寄越す。
「うわっとっと……危ないなぁ、もう」
「それ、預けるから」
「……ええっ!?」
“お。そんじゃ、その子が本物か?”
「さあ」
「いやいや、さあ、じゃないでしょ!?」
前にもこんな会話をした気がする。
「こんなに大事なもの、そんないい加減に決めちゃダメだよ!」
「いい加減じゃない」
はっきりと否定されて少したじろぐ。
「見てきたから。今まで」
こちらをまっすぐ見つめる金色の瞳。冗談やお世辞を言う目じゃない。手元のオーブが、実際よりも重く感じる。
『勇者』は『覚悟』。期待も不安も後悔も全部、腹をくくって背負う役目。
でも、戦う相手の強大さも、守るべき命の多さも、守れなかった命の多さも、全部全部、重たすぎる。ちっぽけで及び腰な私なんかが、背負いきれるんだろうか。
「……自信ないよ、やっぱり」
言うと思った、とシルバがため息をつく。
「預けるだけ。他に納得のいく『本物』が現れたら、その時また考える」
「あ、ああ……そゆこと……」
「でも最初に渡したいのはファウナだから」
「……」
認めてもらえたって、自惚れちゃっていいのかな。喜んでいいのか悪いのか、嬉しいやら申し訳ないやら恥ずかしいやら。私が言葉に迷ってうろたえていると、なんて顔してんの、と少し笑って頭を小突かれた。
「あの……本物って判断する決め手とか、あったの?」
「決め手……実績とか人望とか実力とか……何となく」
「な、何となくかあ……」
でもまあ、と抑揚のない声でシルバは続ける。
「そうだといいな、と思ったから」
手際良くその場を片付けたシルバは、最後だし挨拶してくる、と言ってさっさと村の方に歩いていってしまった。あんなに優しい顔する人だったっけ。
“憑き物が落ちたんだろうな、文字どおり”
「ひゃああっ!」
途中から気配がなかったからすっかり存在を忘れてた。
“ビビりすぎだろお嬢ちゃん。さっきまで普通に話してたじゃねえか”
「で、で、ですよね、すみませんっ」
“……まあいいさ。あいつが生きてるうちにオーブを渡せてよかったよ”
村を歩くシルバの背中をしみじみと眺める泥棒さん。これから消えてしまうというのに、その顔はずいぶん穏やかだ。私の視線に気がついた彼は、ニヤリと笑みを返してくれた。
“どうだい、俺が盗賊として持てる知識を丸ごと叩き込んだ最高傑作は”
「頼りになります。本当、いつも助けてもらってて」
“ふん、そうでなくちゃな。これ以上教えることもねえし……もう教えたくても教えらんねえ”
「そうなっちゃいますね」
“……あれでいて結構、呑気でおっとりしたところがあってな。ぼーっとし過ぎてないか、気を付けてやってくれや”
「……はい」
村を漂う人魂たちにひとつずつ触れていくシルバを見ながら、オーブを強く抱きしめる。冷えた石の感触に、気が引き締まる思いがした。
ひとりで洞窟の最奥にたどり着けたらブルーオーブを差し上げましょう、と神殿長は言った。ランシール伝統の“地球のへそ”の試練は例外なくひとりで挑まなければならないらしい。たとえ勇者であろうと、たとえ魔物が凶暴化していようと。
「なあ、おっちゃん! この消え去り草って魔物にも効く?」
「いんや、魔物にゃ匂いでバレちまうね。あくまで人間用さ」
なーんだ残念、と武闘家のシュウが肩を落とす。ロマリアでのカンダタ退治に協力してくれて以来サポートしてくれている、明るく元気なムードメーカーだ。
消え去り草はとりあえず買わずにおいて、薬草と毒消し草だけ買ってさっさと外に出る。
「ちょっとでも魔物から狙われにくくなりゃ安心なんだけどなー」
「はは……ごめんね。頼りないリーダーで」
「もー、そういう問題じゃないのっ」
私のほっぺを両手で挟んでぐりぐりしてくるのは、一人前の魔法使いを目指して旅のお供をしてくれているチェリ。同い年なのにしっかりしてる、お姉ちゃんみたいな子だ。
「強くたって頼りになったって、ひとりで試練に挑むのに心配しないわけないじゃない……」
いつものおてんばっぷりは何処へやら、チェリは少し泣きそうだ。
「マジで無理は禁物な。ケガはもちろんだし、疲れなんかは意外と自分じゃ気付けねーし」
そうだ聖水買い足そうぜ、休憩場所作れるだろ、とシュウが踵を返して道具屋に戻る。テキトーそうに見えて、案外いろんなことに気付いてくれるんだよね。
「……ありがたいなあ。いい仲間に恵まれたよ、私」
「だからっ、その仲間がついていけないから心配なんだってば! ちゃんと緊張感持ってる!?」
「あはは。持ってる持ってる、大丈夫だよ」
チェリは涙を堪えながら、私の手を取り両手で握りしめる。
「リヨンカフェの桃サンデー、2人分予約取っとくからね」
「うん、楽しみ」
「あとで絶対一緒に食べに行くんだからね」
「うん、そうだね」
「……気を付けてね」
「うん、ありがとう」
南の空からゆっくり分厚い雲がやってきて、小雨がポツポツと降り出した。本格的に降ってくる前に、洞窟に向かわなくちゃ。
陽の光がない洞窟の中は、どうしたって時間感覚が狂う。休憩中に懐中時計を確認すると、もう出発してから4時間も経っていた。シュウが教えてくれた即席休憩スペース、階段の死角に聖水を撒いただけだったけど、魔物たちには効果抜群で結構疲れが取れた。そろそろ出発しなくちゃ。
“引き返せ”
「ひええっ!?」
突然響きわたる謎の声に、情けなくもビビり散らかす。どんな仕組みか知らないが、目の前の薄気味悪い石の仮面がしゃべっている。試しにもう一つの分かれ道に進んでみても、同じような石の仮面に同じことを言われた。
「そんなこと言ったって……ここにくるまで、他の道は行き止まりだったじゃんか」
どちらの通路の壁にも、石の仮面がずらりと並んでいる。不安を煽る性格の悪い造りに眉を顰めつつも、ひとまずそのまま進んでみることにした。
“引き返せ”
どこまでもループする無限回廊に、だだっ広い空間、たくさんの分かれ道。簡単に地図を書きながら進んでるから、この道で間違いはないはずなんだけどな。
“引き返せ”
でも、素人の書いた地図なんだから、どこか見落としてるかも。こういう時、いつもシルバに頼りっきりだからなあ。
“引き返せ”
いつもそう、他人任せで、言われたことに従ってばかりで。そもそも勇者になるのだって決めたのは母親で、自分じゃない。
“引き返せ”
呼吸が乱れる。足が止まる。後ろを振り返る。結構歩いてきたけど、戻れない距離じゃない。
“引き返せ”
「やめて!」
勢いに任せて剣を振るう。バキ、と音を立てて石の仮面は容易く割れた。
惑う思考に耐えられない。荒い息のまま耳を塞いでうずくまる。聞きたくない。考えたくない。
今ならまだ引き返せる。勇者をやめて逃げ出すことができる。だってそうでしょ、はじめはそれが目的で旅に出たんだから。もう、もうこれ以上、旅を続ける理由なんて。
「……続ける理由、か」
落ち着け、落ち着け、平常心。壁を背にして目を閉じて、大きく深呼吸する。
昔の自分には自信なんてなくて、ただ国中からかけられる期待に押しつぶされていた。今じゃ期待の大きさはアリアハンを飛び越えて世界に広がりつつあるっていうのに、私はそれに応える気でいる。
こんなところに来るまで考えたことがなかった。勇者になるのをあんなに怖がっていたのに、ここまで続けられた理由って何だろう。
「……今だって、怖いのにな」
もう一度、大きく深呼吸。周りに敵の気配はなさそう。
剣の修行だって魔法の勉強だって、全部逃げ出すための準備だった。一定の基準を満たさなくちゃ外に出られないって思ったから、どの訓練も真剣にこなした。熱心だとか頑張り屋だとか、どんな褒め言葉も後ろめたくてたまらなかった。
私なんかどうせダメだって思っていたのに、いざやってみると私なんかでもできることが案外たくさんあった。他の人だってやればできるようなことを、さすがは勇者様って褒めてもらえた。
仲間を作って、世界を巡って、たくさん魔物を退治して、何だったら国や町を救ったりなんかもして。それなりに強くなったし、実績の分だけ信頼も得た。今ではいろんな人が、私の旅を応援してくれている。
どれもこれも、私にしかできない、なんてことはなかった。私より強い人なんていくらでもいたし、私より適任の人だっていくらでもいた。ただ、私は少しずつ積み上げてきただけ。でも、同じくらい積み上げてこられた人に、世界中を回ったけどまだ出会えていない。
何もやらずに怖がってばかりいた昔の自分はもういない。積み上げた分だけ、自分を認めてあげられる。このまま勇者を続けて、魔王だってやっつけて、みんなの期待に応えられたんだって、胸を張れる自分でいたい。
「……そっか」
もう一度、大きく深呼吸をして目を開く。
きっかけなんて、今となってはどうでもいい。
私、勇者をやってる私のほうが好きなんだ。
“引き返せ”
「ううん、進むよ」
気を取り直して、再び通路を歩き始める。石の仮面の無機質な声に揺さぶられることは、もうない。
厳かに佇む静謐の青。通路の奥には、やはりブルーオーブが飾られていた。これで私はまた一歩、勇者の道を進んでいける。
「私、最後まで頑張ってみるよ。よろしくね」
そっと表面を撫でると、オーブは返事をするように淡く光る。
『勇者』は『偶像』。希望を受け止め、願いを背負い、期待に応えていく役目。
どれだけ強い素質だろうがどれだけ立派な血筋だろうが、きっとそれらは些末なこと。やり遂げる意志や、みんなの思いを力に変えられることのほうがずっと大切だ。
だから、誰でも勇者になることができる。
だからこそ、未だ本物の勇者はあらわれない。
魔王を討ち倒し世界に平和が訪れたその時、初めて私は本物になれる。
リレミトで外に出ると、入る前に降っていた雨はすっかり上がっていた。まだ少しぬかるんでいる道を歩き出す。日が差してきたから、きっとすぐに乾くだろうな。
「『勇者』かぁ……ふふっ」
改めて声に出して、その称号の漠然さに何だか笑えてきてしまう。
今まで旅した足跡が、これから旅する道のりが、きっと証明してくれる。
「勇気ある者、だもんね」
私はまだ、本物になる途中なのだ。
END