雨上がりの昼下がり。グランバニアの廊下にコツ、コツ、と深紅のヒールが音を立てる。
「ふわぁ……」
あわただしくすれ違った女中を尻目に、退屈そうに欠伸をひとつ。城内は王の帰還と世界平和を祝う明日の祝賀パーティーの準備であわただしく、使用人たちは誰もかれも忙しいらしい。手伝いに行ったところで“王妃様にそのような事をさせるわけにはまいりません”とかなんとか言われてしまうに決まっているのだ、別に手伝いを申し出る必要もないだろう。そもそもお手伝いなんて、柄でもない。
「やっぱり部屋に戻っていようかしら……」
旦那はパーティーに招待された来賓の対応が長引いており、子供達は庭でゲレゲレと楽しそうに遊んでいる。王妃として隣で薄っぺらい話を聞く気力もなければ、走り回ってはしゃぐ元気もない。たまには一人、部屋でのんびりネイルを塗りなおすのもよさそうだ。
そう思った矢先。
「あれ、デボラ様じゃないですか」
聞き覚えのある声の方へ目をやると、見慣れた顔が見慣れない格好で中庭のベンチに腰かけていた。
「ちょうどよかった。クッキーご一緒にいかがですか、王妃?」
非番らしくラフな服装のピピンは、かわいらしい袋を片手にクッキーをほおばっている。呑気に手を振っているピピンに向け、デボラはとりあえずでこピンをかました。
「いたいっ!!?」
いくら今更気遣うような仲じゃないからって、従者のくせに気安く手なんか振るんじゃないわよ。
「もう一回立場をわからせてあげないといけないようね、一・般・庶・民のピピンくん?」
「ぎゃあ待ってください、その鋭利な爪のでこピンって結構ダメージでか……いってぇ!!」
二度目の衝撃に悶絶するピピンをみて満足したあと、デボラは本人に断りもなくクッキーをつまむ。なかなか控えめな甘さで美味しい。紅茶が欲しいわ。
光の教団の魔の手からデボラを救いだした後、リュカ一行はマーサの指輪の力を使い魔界へと飛んだ。
魔界での戦いは壮絶を極めた。魔物達はどいつもこいつも強力な奴らばかりで、魔王にたどりつくまでに誰かが死んでいたっておかしくなかった。全員が無事に戻ってこられたのは奇跡と言っても過言ではないだろう。
傷を負ったのは何も体だけではない。暗く陰惨としたあの世界の瘴気にあてられただけの自分はまだマシな方だ。探し続けた母親を目の前で八つ裂きにされたリュカの心の傷を想うだけで、悔しくて胸が苦しくなる。
エビルマウンテンを抜けた先、マグマに囲まれた部屋でミルドラースは玉座にふんぞり返っていた。ふてぶてしいその面に、前口上も聞かずにピンヒールキックをお見舞いしたのは他でもないデボラである。
許せなかった。神として人間界に君臨するために魔界と人間界をつなぐ、だなんて、そんなくだらないことのために、リュカの母は殺されなければならなかったのか。
当時は怒りに震えており、我を忘れて飛びかかったものだが。
「思い出すだに恐ろしいわよ……自分の無鉄砲さが」
「あっはっはっは! デボラ様、自覚あったんですか!」
頭を抱えるデボラの横で、ピピンは遠慮も無しに腹を抱えて笑っている。
随分とまあ、楽しそうだこと。デボラはノーガードだった首元にがしっと手をかけた。
「わ・ら・い・す・ぎ・なのよ、さっきから……!!」
「ぐぇ、す、すみませんって! 締まる、締まる!!」
「締めてんだから当然でしょ」
ぱっ、と手を離してやると、腹立たしい事にピピンはむせながらもまだ笑い続けていた。これがアンディだったら土下座させたうえで頭踏みつけてヒールでぐりぐりやってもまだ足りないくらいだが、さすがに周りの目を気にして自重する。
大魔王ミルドラースを倒し、世界に平和が訪れてから早一日。今までの長旅が嘘のように、穏やかな時間が続いている。
魔界へのお供を是非にと志願していたピピンだったが、リュカにグランバニアの防衛を命じられたため直にミルドラースと相対していない。僕だって戦えるのに、とパーティから外された本人は少し不服そうだったが、魔界に着いてからリュカが“ピピンが抜けるのは痛いが、今のあいつならもしもの時グランバニアを守れるだろうからな”とぼやいていたのをデボラは知っている。本人は知らないようだが、どうせ調子に乗るので言ってやるつもりはない。
「あー笑った……あ、ちょっと、デボラ様!? クッキー半分以上無くなってるじゃないですか!!」
「“いかがですか”ってあんたが聞いたんでしょ」
「せいぜい2,3個くらいに留めてくださいよ!! あー、せっかく女の子からのプレゼントだったのに……!!」
がっくりと肩を落とすピピン。言われてみると、確かに市販品にしては愛らしい包み紙だったような。少しは気を利かせてあげるべきだったかしら。とはいえ大切な貰い物を気軽に他人に勧める無神経さもいかがなものか。
「返してくださいよー」
「そんなこと言ったって、胃袋に入ったものはもう返せないでしょうよ……そうだ、明日のパーティーでやるあんたの着任式で勲章あげるんだから、それでチャラに」
唇の菓子屑を拭いながらそこまで言って、そういえばまだお祝いを伝えていなかったことを思い出す。
「……グランバニア王宮騎士団“副団長”着任、おめでとう」
「……へへ、ありがとうございます!」
照れ笑いをしながらビシッと敬礼する姿は、副団長という肩書には少々幼すぎるように見える。
騎士団長レベルまで鍛え上げてやる、というのは、ピピンが旅に加わった時に交わしたリュカとの約束だったと聞いている。鍛えるだけなら簡単だが、実際称号を与えられるまでの実力を身に付けられるかは本人の資質に依る。きっと、素直に貪欲にリュカの教えを受け、努力を重ねたのだろう。彼らの鍛錬の様子を見る機会はなかったが、リュカにとても可愛がられているのを見れば一目瞭然だ。
あえて“副団長”という肩書を与えたのは、いくら団長よりも格段に強いとは言え、ただの一兵卒が旅から戻ってきて突然団長になってはやっかみが大きすぎるだろうから、というリュカの配慮だ。いつかのぼやきから考えれば、ピピンも子供たちや仲間の魔物たちと同じくらい、リュカにとって大事な大事な存在なのだろうと思う。
……言っておくけど、妬いてなんかないわよ。
「着任式前からいきなり一仕事あるらしいんですよ。明日のパーティーでリュカ様達のおそばで護衛を務める、とかで」
「ふうん。よかったじゃない」
「よくないですよぉ、ご飯食べられないじゃないですか! 楽しみにしてたのに!」
「へぇ、そうだったの」
「そりゃそうですよ! 宮仕えのシェフが作る絶品料理の数々、庶民には手の届かない世界のフルコースですよ!!」
「ほほぉ」
「無駄にでっかい皿の上にこじんまりと、何やら横文字のおしゃれそうな名前の料理がアーティスティックに並ぶんでしょうねぇ……ああー食べたかったぁ、ハッシュドビーフ、ぺペロンチーノ、カルパッチョにフォンダンショコラにザッハトルテにガトーショコラ……」
全部大して高級な料理じゃない上に後半チョコケーキばっかりじゃないの。
そんなに甘党だったのかしら、と庶民感覚で並べたてられた横文字料理を聞き流しながら、デボラは再びクッキーの袋に手を伸ばす。
「……デボラ様、僕の話あんまり興味ないでしょ」
「あら、よくわかったわね」
「わかりますよ、態度で……そういうとこ、ご夫婦そろってそっくりですよね」
「あたしとリュカが? 馬鹿な事言わないでよ」
「そうでもないですよ。つまらなくなってきた頃合いで返事がおろそかになる所とか、興味無くなった途端に口寂しくなってお菓子つまみだす所とか」
それからそれから、と指折り数えはじめたピピンは、6つ程あげてから飽きたように溜息をついた。
「なんだか、本当に仲がいいんですね」
「……急に何言い出すのよ?」
「何かの本で読んだんです。何気ない癖とか仕草って、好きな相手に似てくるんですって」
くすくすと楽しそうに微笑むピピン。イラッときたデボラはもう一発デコピンの構えを取ろうとしたが、それがこちらを小馬鹿にしたような笑みで無いのにすぐに気付く。
「……あーあ。僕も、最後まで旅のお供したかったなぁ」
何気ない事のように、青空に向かってぽつりと呟く。
「あの方のために死ねるなら本望だとさえ思ってました。一生分の忠誠を誓う覚悟だってとっくに出来ているのに、まさか一番命を懸けるべき戦いで外されるなんて」
遠く空を見つめるピピンの目線に、ささやかな羨望の色。
この様子を見る限り、きっとリュカはピピンを大切にしながらも、愛情の裏返しでぞんざいに扱ってきたのだろうと想像がつく。敵へは巧妙に戦略を尽くすくせに、身内には手を抜いて言葉を尽くさないあいつらしい。
まったく残酷な男ね。まっすぐに自分を慕う部下が、ぽっと出の女にポジションを取られて意気消沈しているとも知らずに。
「これでも結構、デボラ様に負けないくらい尽くしてるつもりなんですがね。ホント妬けちゃいますよー、へへ」
茶化すような笑顔だけでは、寂しさは隠せない。
ああ、可哀想に。彼もまた、あの黒曜石の瞳に囚われた被害者なのだ。
囚われる気持ちも理由も痛いほどわかる。何せ経験者だ。腹立たしいことに。
だから少しだけ同情した。その子犬のような従順さに。
「……馬鹿ねぇ」
「ははは。やっぱ滑稽に見えます?」
「ええ滑稽だわ。鈍すぎて見てらんないわよ」
きょとんとしているピピンの頬を、真紅のネイルを施した指先でつついてやる。
「自分のつけてやった稽古を素直に受けて、ガンガン技術を吸収して強くなってくのを見て。アイツが、その成長を喜ばないような薄情な男だと思う?」
「……でも……」
「ああもう欲張りね……信頼してない部下に城を預ける王様がどこにいるっての」
信頼、とピピンはデボラの言葉を反芻するように呟く。
「あんただって十分大切にされてるわよ。だからこそ、あたしを助ける時に連れてったんでしょうが」
居場所を奪われた寂しさに、あたしの言葉が少しでも響けばいい。
凹ませた原因がこのあたしだなんて、後味悪いじゃない。
「……頼りないって思われたから、置いていかれたんだと思ってました」
「あんだけ可愛がられてといてその解釈はさすがにリュカに失礼よ。……罰としてもっとクッキー寄越しなさい」
「ああっ、ちょっとホントに全部食べる気ですかデボラ様!?」
励ます、だなんて柄にもない事をして照れ臭くなったデボラは、クッキーの袋をピピンから奪い取り中身を口の中にざらざら流し込んだ。
ピピンへの労いの言葉をかけてやる時間は、今のリュカにはないのだろう。魔界から帰って来てから、リュカは休む間もなくパーティーの段取りでバタバタしている。着任式の前にでも、ピピンへきちんと胸の内を伝えるようリュカに言っておこう。あれだけ頑張って褒美の言葉がないなんて、あまりに酷だ。
「……ホントに僕、欲張りですね。地位も名誉も頂いたっていうのに、直接褒めてくれないと嫌だ、なんて」
「いいんじゃないの? 富と名声ばっかり求めたがるよりはお手軽でエコだわ」
とはいえ、形のないもの程際限なく欲しくなるのは人間の常。従者である以上、主人からの言葉ほど嬉しいものはないのだろう。
「……ま、あいつもあいつよね。言葉にしなくても通じる仲だって、言わなきゃ分かんない事もあるのに」
東に流れていく羊雲を見送りながら、ひとりごとのようにつぶやく。
ふいに、少しだけ自分の胸が疼いた気がした。はたしてこれは、本当にピピンへ向けた言葉なのだろうか。
「ふふ。デボラ様って、実はすごく面倒見良くて優しいですよね」
「“実は”だなんて随分な言葉じゃない。あたしはいつだって優しいのよ」
「あははは! そうでしたね、大変お優しく、海よりも深い心をお持ちで! おまけに強くて美しい!! うわ、世界最強じゃないですかデボラ様」
「“うわ”じゃないわよ。もっと褒め称えなさい」
「ええー……じゃあ、ええと……何だろうな、髪が黒いとか、目が青いとか」
「全然褒め言葉じゃないじゃない」
「僕そういうレパートリー少ないんですよ! もーいいです面倒くさい、何て褒めてほしいか言って下さい!!」
「それじゃあたしがただの自意識過剰になるじゃない! ていうか、王妃に向かって面倒くさいって何よあんた!!」
ひとしきり言い合って笑った後、ピピンはうーんと背伸びをする。
「あーあ! いいなあ、デボラ様もリュカ様も! 僕だってそういう、お互いをわかりあえる伴侶が欲しいです!」
「あら、旅の最中に作らなかったわけ?」
「悪かったですねー、フィアンセどころか彼女だって出来ませんでしたよ!」
「さっきのクッキーの子はどうなのよ」
「……いや、そりゃあクッキーはもらいましたけども。“余ったから”ってもらったものですよ」
「余る? こんな可愛いラッピングしたプレゼントが、“余る”?」
「……いやいや、大勢に渡すものだったかもしれないし」
「これ手作りよ。味は良いけど、全体的に形が不揃いだったもの」
「……手作りのクッキーをみんなに振る舞ってたんですよ! ああもう、騙されませんからね!」
「あ、ほら。袋の底に何か小さいカード入ってるわよ」
「うえぇ!?」
デボラが袋から取りだしたメッセージカードを強奪し、食い入るように見つめる。
「…………」
「…………」
徐々に紅潮する頬を見れば、おおよその内容はわかる。
「…………」
「……さあどーすんのよ、色男」
「……デボラ様」
「何よ」
「第一回作戦会議を開催しようと思うのですが、ご出席いただけますか」
「あら、意外と慎重ね。当たって砕けて数打ちゃ当たる派かと思ってたわ」
「この旅での出会いを通じて学んだんです。当たって砕けたら相手も痛いし、下手は下手なりに狙いを定めなきゃ当たるものも当たらない」
「そう。いい勉強になったわね」
「で、どうなんですか。ご出席していただけますよね」
爛々と輝く瞳。否とは言わせないピピンの気迫に、デボラは苦笑いで答えた。
「……ダージリンとシナモンクッキーがつくなら、考えてあげる」
きゃっほう、と茶菓子の調達に飛んで行ったピピンを眺め、デボラは少しご満悦だ。
旦那の可愛い弟分なら、可愛がってあげてもいいかもね。
癪だけど、あたしとピピンは同志みたいだし。
「……“妬けちゃう”なんて、こっちのセリフだわ。全く」
世界平和を祝うパーティーは、各国のお偉方が招かれ予想していたより遥かに盛大なものとなった。
沈む夕日を見送りながら窓辺でスティックサラダをぽりぽりとつまむデボラ。バックで演奏されているワルツはそろそろ3曲目に入ろうとしている。
「ひゃあー……これが王宮の舞踏会ですか……ほえー……」
「感心するのはいいけど、きちんと口閉じなさい。間抜け面に拍車がかかるわよ」
ワインレッドのシックなドレスが、夕涼みの風を孕んで不機嫌そうに翻る。慌てて両手で口を覆うのは、同じく正装に身を包んだアンディだ。
いつぞや台無しになってしまった結婚祝いと出産祝いもまとめてやってしまえばいいのでは、というオジロン前王の計らいの元、今回の集まりにはルドマン一家も呼ばれている。フローラの夫ということで参加しているアンディだが、元庶民の分際でこんな集まりに招待される立場まで成り上がったあたり、実は一族一番の玉の輿は奴なのではないだろうか。
せっかくの機会、両親に伝えたいことは山ほどあったのに、最初に軽く挨拶したあとからというもの、各地方の有力者から声をかけられ続けていて近付ける雰囲気ではない。舞踏会嫌いもあるが、何より両親に話しかけるタイミングを図りたいデボラは、初めの曲だけリュカと踊ってからというもの、他の人間の誘いを断り続けて食事に専念して機会を伺っていた。
参加者が踊っているフロアを、アンディがハラハラしながら見守っている。
「でも、あの……あれ、大丈夫なんですか?」
「……いいのよ。仲違いにはショック療法が一番だわ」
視線の先には、三拍子のリズムに合わせて一緒に踊っているリュカとフローラ。露骨にぎこちなくて、少し微笑ましい。
デボラの石化が解けてから初めてサラボナの実家に帰った時から、いやにリュカはフローラから距離を置きたがっていた。本人は当然答えたがらないし、フローラに事情を聞こうとしてもはぐらかされてしまっていた。結局、今日のパーティー開始前に何があったかこっそりアンディに話を聞いてみたところ、どうやら一度デボラのいない所で大喧嘩をしていたらしい。
「大喧嘩というより、フローラが一方的に激昂してたんですがね」
白百合のような淑やかさを持つフローラからはまるで想像もつかないが、アンディだけでなく両親とメイドも目撃者なのだというから事実なのだろう。
リュカがグランバニアへの帰還を果たしてから、真っ先に向かったのがサラボナだったのだという。
“娘さんをお守りできず申し訳ありませんでした”との真摯な態度での謝罪があり、ルドマン夫妻とアンディは当然それ以上責めるような真似はしなかった。しかしフローラだけは、頭を下げるリュカの胸倉を掴み、躊躇なくビンタをかましたのだ。
『あなたという人がいながら、どうして姉さんを守れなかったのですか!!』
という言葉から始まり、リュカをなじりになじった挙句、アンディに止められても食ってかかり、
『姉さんを連れて帰るまで、この家の敷居は跨がせません!!』
と思い切り突っぱねたそうだ。さすが我が妹、口喧嘩の才まで持ち合わせてたなんて、お姉ちゃん吃驚だわ。
大人なんだからさっさと仲直りしなさい、と嫌そうな顔をする二人をダンスフロアに放りだしたのはデボラ自身である。妻子のいる国王が義妹と踊るのを咎める者もいるかもしれないが、まあ送り出したのが王妃本人なのだから問題なかろう。ぎくしゃく踊る二人を見ながら、そういえばフローラは昔から踊りが下手くそだったわね、などと昔を思い出す。アンディが小皿に盛ってきたローストチキンを適当につまんでいると、こつんと頭をつつかれる。
「ん、……何よメッキー、どうしたの」
「くわぁー」
ふわりと肩に留まったメッキーをやさしく撫でてやっていると、一人のそのそと外に出ていくゲレゲレの姿が見えた。
……もしかして、帰って来たのかしら。
チキンの骨をポイとアンディの皿に放り込み、メッキーを連れたままゲレゲレの後を追う。
「デボラさん? 何処か行っちゃうんですか?」
「ちょっと外に行くだけよ。もしリュカが戻ってきたら“出迎えに行った“って伝えて頂戴」
玄関に向かうデボラの目の端に、ステップの噛み合わないリュカとフローラが映る。あたしが戻る頃に、仲直りできてればいいけど。
「お帰りなさい。もうパーティー始まってるわよ?」
「ありゃー結構遅刻しちまったな。ちゃんとパーティー前に帰るつもりだったんだけど」
「えっ、えっ、まだご飯余ってますか!?」
「山程あるわよ。ローストチキンも桃の蜂蜜漬けもナッツタルトも、たっぷり用意するように言っといたから」
「ぴきぴきー! ぴっきー!」
「はいはい、落ち着きなさいな」
玄関の先でゲレゲレやメッキーが出迎えていたのは、生まれ故郷のラインハットに戻っていたピエールと相棒、そして同じくオラクルベリーの昔馴染みに会いに行ったブラウンだった。
物心ついた時からリュカに飼われていたゲレゲレと昔の仲間と確執があるらしいメッキーは特に故郷にこだわりはなかったようだが、ラインハット大陸で生まれ育った3匹にとって故郷が懐かしく感じるようで、旅が終わってからすぐにそれぞれ里帰りをしていた。
「どうだった? 久々の地元は」
「楽しかったですよ! みんな僕らの事覚えててくれてました!」
「ぴきー、ぴききー」
「昔話で盛りあがるのもたまにはいいもんだな!なんか懐かしかったぞー」
無事に帰ってこられるか内心心配していただけに、デボラはこっそり胸をなでおろす。
彼らを含む魔族の心を操って配下にしていたミルドラースが倒れた今、魔物達の凶暴化はすっかり収まっていた。リュカと共に旅をして来たピエールやブラウンたちは襲いかかる魔物達と必死に戦っていて、要するにずっと同族を殺めてきたわけで。デボラはずっと、仲間との確執が出来ているのではないかと不安に思っていたのだ。
「ミルドラースの魔法の支配って、すごく息苦しかったんです。僕もリュカに会う直前に取り込まれそうになったから、よく覚えてます」
「不思議とリュカの瞳を見ると、あのドロドロした気持ちが綺麗になるんだよなー。泥沼から引き上げられる感じっていうか、のしかかってた重石を外してもらう感じっていうか」
「めっきっきー」
「やっぱり、みんな辛かったみたいですね。長老が言ってくれました、“我々も救われた、ありがとう”って」
「……そう。こちらこそ、って感じかしらね」
その言葉があれば、きっとリュカも救われるだろう。あとでピエールから直接リュカに伝えてもらわなくっちゃね。
「それであんたたち、もう今後の準備は出来てるわけ?」
「準備っつってもなぁ、おいらはそんなに荷物もないし。身一つで行くつもりだぞ」
「がうがう、がるるぅ」
「僕もそうしようかな……あ、リュカに貰った武器とか、持って行ってもいいですか?」
「いいんじゃないの。せっかく天空城にお招きされたんだから、使う機会が無い事を祈るわ」
「ぴきぴきー」
他に何か持っていくものあったかなー、と悩む彼らをよそに、デボラは夕日の中に浮かぶ天空城を見上げる。
(……まさかこの子達が、天空城に迎え入れられるなんてね)
ミルドラースを倒した後迎え入れてくれた天空城のマスタードラゴンは、魔王のいなくなったその後の世界の事を憂えていた。
“人間界の受けた傷は、リュケイロム国王の統治のもと少しずつ癒えていくだろう。しかし、天界や魔族、妖精族のような自然界の受けた傷は計り知れない。しばらくはわたしが統治して事態を落ち着かせなければなるまい”
“これからの世界、特に今まで相対してきた魔族の世界を治めるために、橋渡しができる者がどうしても必要となる。君達の力を貸してはもらえないだろうか”
そんなわけで大抜擢されたのが、リュカのお供だったピエールと相棒、ブラウン、ゲレゲレ、メッキーである。
これから彼らはマスタードラゴンの下で働くことになる。ちょくちょく様子を見に行くつもりではあるが、いままでのようにいつでもくだらない世間話ができる関係では無くなってしまったのだ。落ち着いたら戻ってこられるとはいえ、その落ち着いた状態までにどれだけの時間かかるのかは分からない。
「なんだよデボラー、寂しいのかー?」
「……そうね、寂しいわ。とても」
「……どうしたんですかデボラ、気持ち悪いですよ」
「ちょっと、素直になってあげたってのに言うに事欠いて“気持ち悪い”って何よ!?」
生意気なピエールの兜の髷を引っ張ってぐりぐりしてやる。
大事な仲間が遠くに行くのに寂しくてたまらないだなんて、フローラばかりが大切で、他人はおろか自分の事さえどうだってよかった昔の自分では考えられない。
「……めきゃー」
「え、通訳ですか? いいですよ」
木の枝に止まっていたメッキーが、不意にデボラの方に飛び移ってくる。
「めっきっきー、めきゃー?」
「ええと、“思い出に、あなたの髪飾りを持っていきたいのだけれど、だめかしら”ですって。ふうん珍しい、メッキーって結構淡泊だと思ってたんですけど、可愛い所もあるじゃないですか」
「くわー!」
「“茶化さないでよ、恥ずかしいんだから”ですって。え、これは訳さなくていい? うわっ、ちょっ、つつかないで! 痛い、痛いですってば!」
「ふふ、ほら、喧嘩しないの。うーんそうねぇ、この辺に付ければいいかしら」
照れ隠しに暴れるメッキーを抱きかかえて髪飾りを胸元に括りつけてやっていると、その様子を眺めていたブラウンが口を開いた。
「なぁ、デボラはどうすんだ?」
「……え」
「だから、これから。おいら達は天空城で働くし、リュカはここで王様やるんだろ? デボラは、これからどうすんだ?」
「…………」
「やっぱ、リュカのお手伝いとか……デボラ、どうした?」
ブラウンたちに見つめられて、何か答えようと口を動かすが、上手い言葉が見つからない。
「そりゃあ決まってますよ」
言い淀むデボラの横から、ピエールが口をはさむ。
「リュカやイースやアンナと一緒に、人間界の復興のために尽力する。ですよね、デボラ?」
「……そ、そうよ。当たり前でしょう」
ほらさっさと城に戻るわよ、とごまかして仲間達を急かす。彼らは取り繕うデボラに気付く様子はない。
ピエールが城門の前にリュカの姿を見つけてぽよんぷよんと駆け出す。久々に会う仲間達に飛びつかれて、リュカはまんざらでもなさそうだ。
そんな微笑ましい光景を眺めながら、ぽつりと先程の自分の言葉を反芻する。
「……当たり前、か……」
そう、当たり前。リュカは国王で、あたしはその妻。子供二人は立派な王子と王女。これからのことなんて決まり切っている。
だというのに、この空虚な気持ちは何だ。
(……考えちゃダメよ。みんなこうして、幸せな結末を迎えているのに)
仲間達は、天空城からお呼びがかかった。
リュカは、世界から望まれて国王になった。
じゃあ、あたしは?
(……ダメだって言ってるのに)
あたしは、あの家から逃げるために、リュカを利用した。
リュカは、天空の盾を手に入れるために、あたしを利用した。
そして今、あたしはサラボナから遠く離れた場所にいて。
リュカは勇者と共に悪を討ち、平和な世界を導こうとしている。
足が止まる。視界が滲む。
渦巻く思考が、止まらない。
あたしは今、どうしてここにいるのかしら。