Cogwheel Waltz

おねえちゃん、どうしよう。やっぱりわたし、上手に踊れない。

もう、すぐあきらめるんだから。まだ舞踏会まで時間があるでしょ。

きっとダメだよ、わたしなんて。アンディにだって笑われちゃう。

ほら、泣かないの。練習ならギリギリまで付き合ってあげるから。

でも、それじゃおねえちゃんが練習できなくなっちゃうよ。

あたしはカンペキだからいいの。さあ立って、リードしてあげる!

え、だって、でも……きゃあ!

つべこべ言わずついてきなさい! スロー、スロー、クイック!

はわわ、おっとっと、えーっと、えーっと……!

そーれ、ここでターンよ!

きゃああっ! ……あははっ! おねえちゃん、すごい!

ふふ、そうそう。そうやって笑ってればいいのよ、フローラ。

 

 

「……ああ、美味しかった!」
「いやあ文句なしだ、食材が新鮮だとやっぱり違う」
 レストランでの遅い昼食を終えて、活気のある街並みを並んで歩く。偶然立ち寄った町で出会った料理に、リュカはたいそう満足していた。隣のデボラも想定外の上等な食事にご満悦のようだ。
 グランバニアへの道中、チゾット山脈を目前にしたリュカ一行は、手前の宿場町で旅の準備をしていた。
 山を越えるには体力が要るものだ、近場にいい所があるから美味しいご飯を食べて英気を養ってくるといい、という宿の主人のネッド氏の勧めに従っておいて正解だった。薬草や保存食の買い溜めだけのつもりだったが、近くの漁場で採れるらしい海の幸は確かに絶品だ。西に海を、東に山を望む抜群のロケーションに宿屋が立ち並んでいれば、魔物達の凶暴化が進むこのご時世に旅行客でにぎわうのも頷ける。
 それだけの荷物を持ち歩くのは大変だろう、うちの宿で預かっておくから安心して行っておいで、との親切な申し出にありがたく甘えさせてもらったが、あれはおそらくネッド氏が自分の客を他の宿に流さないための予防策だったのだろう。ちゃっかりしている。
「はあ、満腹だ……あれなら毎日でも食べられるな」
「あら、なあに? 日頃の料理に文句があるかのような言い振りね」
「……いやいやそういうわけじゃ」
「別にいいのよ、作ってあげたって。あれだけ上等で新鮮な魚を毎日のように揃えられるほど金が出せるものならね」
 うぐぐ。金のことを言われるとぐうの音も出ない。
「小魚風情が、身の程わきまえなさいよ。懐事情考えて発言なさい」
「だからそういうつもりで言ったんじゃないって……」
 魔物との戦いで稼いだ金は、武器や防具の買い替えで一瞬にして消えていく。命を守るための出費を削るわけにはいかず、真っ先に削られるのは食費や衣類のような日常生活費だ。服飾にこだわりたいデボラには、たまにもらえるルドマン氏からのお小遣いでドレスやアクセサリーを揃えてもらう決まりが自然とできていた。
 ちなみに一緒に旅をするようになってからの料理当番は、デボラが一手に引き受けてくれている。奴隷時代に鍛えられた壊滅的な味覚のリュカの作る料理はデボラにとって耐えがたいものだったらしく、新婚当時は〝あんたの料理食べるくらいなら餓死した方がマシよ〟だの〝厨房に立ったことないあたしの方がまだマトモなもの作れる自信あるわ〟だの〝ていうかこの味付けは食材への冒涜よ今すぐやめなさい〟だの、あらゆる罵詈雑言を喰らったものである。
はじめは見よう見まねのたどたどしい料理だったが、船のシェフや街の宿で教わった結果、今や食材さえ揃えば作ってやると豪語するほどの腕だ。意外な才能である。
「あ、そうそう。言っておくけど、あたしは荷物持ちなんてする気はないし、武器屋みたいな野暮ったいところに付き合う気もないから」
 びし、と指を突きつけられる。
「食材以外の必要なものはあんたが揃えるのよ? それからピエールとブラウンは荷物運び要員としてこっちに寄越しなさい。あんたの方はゲレゲレとメッキーがいれば十分でしょ」
「わかってる。もともとそのつもりだよ」
 ならよし、と頷いたデボラは、華奢な鎖の懐中時計を取り出して時間を確認し、案内看板を見上げて市場がどこか探しはじめる。
 ……何だかんだ悪態つきながら、旅に協力してくれるんだよなぁ。
 小柄で華奢なデボラの後ろ姿を、リュカはしみじみと眺める。サラボナにいた頃は金に困るなんて感覚はなかっただろうし、フォークやナイフより重いものなど持ったことのない筋金入りのお嬢様だったというのに。
 結婚相手が俺じゃなければ、こんなに苦労をかけずに済んだものを。自分から口説いて旅に協力させている身として少し罪悪感に駆られていると、リュカの視線に気付いたデボラがこちらを振り返って訝しげに首を傾げた。
「何よ、ぼーっとして。何か不満でも?」
「いやいや、不満だなんてとんでもない」
 見当違いなデボラの見立てに、リュカは苦笑いを返す。夫婦になったからと言って、テレパシーが使えるようになるわけでもない。言葉にしないと伝わらないことは、往々にしてあるものだ。
「いつも手伝ってくれてありがとう。これからもよろしく」
「…………な、」
 カチンと硬直したデボラは、しばらく黙っていたかと思えば、沸騰したように急激に顔を赤くして、このあたしに向かって上から目線でねぎらいだなんて偉くなったものね生意気な小魚だわ、と早口でまくし立て、軽くぽかっとこぶしをお見舞いしてから、市場の方へ走っていってしまった。
 ああやって照れてる時が一番かわいい、と思っている事は……伝えるとまた怒らせそうだから、やめておこう。リュカはクスクスと笑いをこらえながら、馬車で待機する仲間の魔物達を呼びに行くのだった。

 

 

〝収穫祭のお知らせ〟

 長期間馬車の中で保存ができそうな根菜類を探しに八百屋を巡っていたデボラの目を惹いたのは、手作りの一枚の張り紙だった。町の子供達が描いたであろう可愛らしいイラストのそばに、豪快なタッチで今日の日付が書かれている。
「おや、お嬢さん。興味がおありかね」
 大ぶりのニンジンを持ったまま何の気なしに張り紙を眺めていると、八百屋の女将に声を掛けられた。
「至る所に貼ってあるんだもの、気になるわ。今夜なの?」
「そうさ、お嬢さん運がいいねぇ。ここらで祀られている豊穣の神への感謝を表するお祭りでね。たくさん穫れた魚や野菜、今年出来たワイン、それに歌や踊りを奉納してみんなでひと騒ぎするのさ」
 ふうん、田舎じゃそんなお祭りもあるのね。決して馬鹿にしているわけではなく、デボラは町全体の仲の良さに素直に感心していた。
 幼少期から今まで育ってきたサラボナは正直に言って上流階級の町で、町民同士の交流はドライなものばかりで〝狭く深く、同じ階級同士〟が基本であった。身分関係なく大勢で集まってお祭り騒ぎという風習そのものがデボラの目にはずいぶん新鮮に映ったのだ。
「祭りの最後はみんなで踊るもんだから、いつも盛り上がるんだよ。お嬢さんも観るだけでなく踊っていきなよ! なあに、旅の狩人や流れの商人も巻き込んで踊るんだから恥ずかしくはないさ。あんたのような美人、男どもが放っておかないだろうねぇ」
 ……踊り、ねぇ。
 八百屋の女将と別れてから、デボラが袋に目一杯詰められたジャガイモをぼんやりと眺めていると、横からひょっこりのぞき込む影。
「どーしたんだ、デボラ? ジャガイモは生じゃ食えねーぞ」
 巨大なジャガイモかと思ったら、ブラウニーのブラウンだった。
「ついさっきご飯食べたばかりじゃないですか、もうお腹空いちゃったんですか? 食いしん坊さんですね……あいててて!」
 生意気な口を利くスライムナイトのピエールの兜の髷を引っ張ってつまみ上げてやる。
「誰が食いしん坊よ。別に、食べたくて見てたわけじゃないわ」
「ぴきき、ぴきっきー」
苦しそうなナイトを見ながら相棒スライムが楽しそうにぷるぷると揺れている。
「うう、ひどい……じゃあデボラ、どうしてボーっとジャガイモなんて眺めてたんですか。もう買い忘れはないはずですよ」
「……そもそも、ジャガイモに興味があるんじゃないんだってば」
 ああもう歩き疲れたわ、待ち合わせまで時間もあるし休みましょ、と時計を見ながら強引に仲間たちをベンチへ引っ張っていく。何だ何だとはてなが消えない仲間たちを尻目に、デボラは幼いころの苦い出来事を思い出していた。

 デボラ達姉妹がルドマン家の子供になって間もないころの話。
 資産家たちが集うサロンがルドマン邸で開催されることになり、大広間を使ってちょっとした舞踏会が行われることになった。関係者達に初めて姉妹をお披露目するということもあり、ルドマン夫妻はたいそう気合を入れて準備を進めていた。孤児院から引き取られたばかりの姉妹にワルツのステップの心得は当然なく、年が近い近所の子というだけで招待を受けたアンディも巻き添えに、踊りなど踊ったこともない三人は急遽必死に踊りのレッスンを受けることになったのだ。
 厳しい練習の甲斐あってデボラとアンディはある程度形になったが、二人と比べて幼いフローラは、舞踏会間近になってもステップを覚えることが出来ないでいた。たった二歳だけとはいえ、六歳と四歳の壁は大きいものだ。悩む妹を見かねたデボラは、レッスンの後も部屋の中で練習する妹に付き合って夜遅くまでリードの手伝いをしてあげていた。
 ここまでなら、美人姉妹の可愛い思い出に終わったのだが。
(……直前まで手伝ってたのが良くなかったのよねぇ)
 思い出しながら、デボラはなんとなくむず痒くなって頬を掻く。
 舞踏会開始ギリギリでなんとか形になったフローラをダンスフロアに見送った直後。いよいよ次は自分の出番か、と意識したその瞬間、ぶわっ、と鳥肌が立った。今まで妹のことばかり考えていたせいで自分の心の準備ができていなかったデボラは、頭が真っ白になってしまったのだ。
 手を引くアンディが、突然黙ってしまったデボラを心配そうに見つめている。曲が始まってもステップが思い出せない。ここは右足、いやちがう逆よ、右が左で、後ろが前で、ああもうさっきまでリードばっかりしてたから、そうよ鏡みたいに踊ればいいわ、これがこっちでこうなって……
「デボラちゃん、大丈夫……?」
「うるさいわよ黙ってなさいアンディのくせに!」
「えええ……ぁ痛っ!」
 アンディの悲痛な叫びがフロアに響いて、大人たちの笑いを誘う。もたつくデボラを呆れるように眺める両親の視線が深く刺さる。思い切り彼の足を踏んづけたのは、生意気にも口答えしてきた幼馴染に腹を立てたからではなく、ただただステップがわからなくなってしまったからなのだが、遠目から見る両親がそれに気付くはずもなく。失敗した恥ずかしさと伝わらないもどかしさと上手に踊れない悔しさで泣いてしまいそうだが、ここで涙なんてこぼしてしまったら、優しいフローラが〝自分のせいで〟と心を痛めてしまう。泣くもんかと一生懸命歯を食いしばって踊り切った。
「デボラはあまり踊りが得意ではなかったかな」
「いいのよデボラ、他にも向いていることがきっとあるわ」
 落胆を隠した両親の励ましがデボラの胸をえぐる。そうよ、確かにあたしはダンスが苦手で、向いてるわけじゃなかったのかも。別に、傷ついてなんかいないわ、もとからダンスは楽しくなんてなかったんだもの。
 あの時の失敗を忘れるように、自分自身に暗示をかける。もう二度と、踊りたいなんて思わず済むように。

(……今にして思えば、アンディ全然悪くないわね)
 子供のしたこととはいえ、一生懸命踊りの練習をしたにもかかわらずデボラのド忘れに巻き込まれ、挙句に足まで踏まれたアンディは完全にとばっちりである。まあ別に謝るつもりもないんだけど、とデボラは思い切り伸びをする。
 あれ以来、デボラはダンスを踊ったことがない。人前で踊るなんてもってのほかだ。楽し気なイラストと並んで書かれた〝旅楽団のワルツ〟の文字がいやでも目に入る。それを振り払うように、デボラは深くため息をついた。

 

 

「珍しいな」
「は?」
 不機嫌そうにこちらを向いたデボラの眉間の皺に、人差し指をぐりぐりと当てて伸ばしてやる。
「不満があればいつもならすぐ口に出すじゃないか。〝これは嫌だ〟とか〝あれが信じられない〟とか〝そんなのありえない〟とか」
「悪かったわね文句ばっかりで」
「正直なのはあんたのいい所だと思ってるよ。ただ、こんだけ周りが盛り上がってる中でそんな顔してるの見たら気になるだろ」
 夕暮れ時の街道沿いは祭りに参加する人々の楽しげな姿に満ち溢れていた。立ち並ぶ屋台からはいい匂いが漂ってきていて、街を彩る外灯にはカラフルな旗がたなびいている。
 お互いに必要な買い物を終えて合流したあと、リュカはデボラからなんとなくピリピリした気配を感じ取っていた。普段よりも口数の少ない彼女の苛立ち具合をしばらく窺っていたリュカだったが、こういう時は直接聞いた方が手っ取り早い。
「で、イライラしてる原因は何だ? 腹減ってるなら屋台で何か食べるといい。そこのイカ焼きなんか美味しそうじゃないか」
「……あんた達、揃いも揃ってどーしてもあたしを食いしん坊にしたいみたいね」
「へ? あんた〝達〟ってどういうことだ」
「別に、ペットは飼い主に似るものだと思っただけよ」
「え、オイちょっと待った、まさか俺あいつらと発想が同じなんじゃ」
「おにーさんっ! おねーさんっ!」
 急に横から、可愛らしい声に呼び止められる。
「もーすぐお祭りもフィナーレですよー。踊っていきません?」
 年端もいかない少女が、カゴにたくさん入っている羽根飾りをこちらに差し出している。突然の誘いに、リュカはわけもわからず首を傾げる。
「……踊り? 何の話かな?」
「あらご存じない? 収穫祭名物の楽団のワルツ! この羽根を頭につけて踊るんですよー、毎年好評、参加者絶賛募集中、今ならこちらの羽根飾りが無料で付いてくる! まあ今も昔も無料ですが」
 ささ、どうぞ、と強引に差し出された羽根飾り二本を、リュカはそのまま受け取る。
「うーん……楽しそうだけど、俺は遠慮しておこうかな」
「あらま、おにーさんは恥ずかしがり屋さんですかー」
「はは、お誘いありがとうね」
「残念ですよー、お二人とも華があるのにー」
 そう言うと少女は、踊りの参加者集めのために再び人混みに紛れていった。何だったんだと呆然とするリュカの後ろから、デボラが押し付けられた二組の羽飾りをひょこっと覗きこんできた。
「ふうん、綺麗ね。真っ白で大きくてふわふわしてて」
「気に入ったなら付けて踊ってくるかい」
「いやよ、一人でなんて」
 老若男女問わずぞろぞろとステージ周辺に集まってきている。みんなペアを組むでもなくそれぞれ思い思い好きなように踊るらしい。
「あんたこそ、踊ってきたらいいじゃない。見ててあげるわ」
「いやだよ、一人でなんて」
 ステージ上で、楽団の陽気な演奏が始まる。異国の弦楽器の音を合図に、白い羽根飾りを身に着けた人々がくるくると踊り出した。
「……踊りか。懐かしいなぁ」
「あら、庶民のあんたにも踊りの心得があるなんて意外ね」
「心得っつーか、なんつーか。踊れるけど踊れない、とでも言うべきか」
「なあに、それ。はっきりしないじゃない、どういう意味よ?」
 三拍子のリズムをバックに、リュカは昔を思い出す。
 あれは、神殿から抜け出してすぐの頃。ヘンリーと一緒に、ラインハットのお家騒動に巻き込まれていた頃の話。神の塔でラーの鏡を手に入れ、マリアを連れてラインハットへ向かう道中、オラクルベリーで休息を取った日の夜のことである。

「ふわあ……なんだよヘンリー、こんな夜中に町の外に呼び出しなんて」
「欠伸してるヒマはないぜ、リュカ! いよいよだ…とうとうこの日がやってきたぜ……!」
「この日……? ああ、オラクル屋さんの特売日」
「違ぁーう! あんないかがわしい店の商品、値引きされたって買わねーよ! 他にもっとあるだろうが!」
「他に……? ああ、オラクルベリーの夏祭り。今夜開催だったっけ」
「そのとおり! ふっふっふ、聞いて驚け! 俺はなぁ、この祭りに」
「マリアさん誘うんだろ? はやく行っておいでよ、頑張れー」
「聞いて驚けよ!」
「あれだけ好意だだ漏れのクセして今更何に驚けってんだ」
「……ま、まあいい! リュカ、この祭の目玉は何だ、言ってみろ」
「目玉ぁ……? ああ、モンスター爺さんが広場でサーカスやるって言ってたな。俺あれ観に行きたい」
「違ぁーう! これだよこれ! ほれこのチラシ、読んでみろ!」
「うーむ、なになに……〝広場のキャンプファイヤー会場にて、踊り子達によるダンスショー〟……なあヘンリー、これオラクル屋に負けず劣らず相当いかがわしいと思うけど」
「そこで止まるな、もっと先まで読めって」
「ふーむ、どれどれ……〝ショーの後は広場をフォークダンス会場として開放しますので、皆様ご自由にご参加ください〟」
「これにマリアさんを誘う!」
「下心見え見えじゃないか、十分いかがわしいだろ」
「うるさいぞ子分のくせに!」
「でもすごいなあ。城にいたのなんて十年以上も前のことだろ、ダンスなんて覚えてるのか?」
「何をとぼけたこと言ってんだよ。一体俺が何のためにお前をここに呼び出したと思ってんだ?」
「……悪いヘンリー、全然話が見えない」
「ちょっと頭を捻ればわかるだろ? ひとつ、俺はマリアさんとダンスを踊りたい。ふたつ、俺が城でダンスを習ったのは十年以上前。みっつ、お前は俺の子分であり、子分は親分の言うことを聞くものである。以上の三点から導き出される答えは、たったひとつ……」
「……ヘンリー、まさか」
「おう、そのまさかだ」

「夏祭り開始までに踊りの勘をカンペキに取り戻してみせるぜ! 付き合えリュカ、今から特訓だ!」
「ええーーー!?」

「あっはっはっはっは!」
「……そんなに笑わなくたっていいだろ」
 楽団が一曲目を演奏し終えた。ステージを見ながら聞かせたリュカの思い出話は、デボラにとってツボだったようだ。
「……だから、踊れるけど踊れない。フォローは完璧だけど、リードは結局教えてもらえなかったからな」
「ふふ、なるほどね、よーくわかったわ、あはははは」
 デボラが笑いすぎて出てきた涙を拭っている。
 ちなみに、あれから町の外で踊り続けてヘンリーが踊りの勘を取り戻すまでには一晩かかった。リュカはというと、簡単なステップを〝とりあえずくっついて踊りゃいい〟と雑に教えられてから足が棒になるまでヘンリーにリードされるがまま踊り、〝庶民でもダンスのひとつやふたつくらい踊れてろよ!〟だの〝なんでお前のが身長高いんだよ!〟だのと理不尽な怒りまでぶつけられ、翌日の夏祭りはクタクタで見に行くことも出来なかった。ヘンリーは当初の目的通りマリアを誘って踊ることができたらしいが、ガチガチに緊張して練習の時の三割程度の力しか発揮できなかったらしい。ざまあみろ、とほくそ笑んだのは内緒だ。
「散々じゃない、嫌な思い出ね」
「いや、そうでもないさ」
「……どうして?」
「そりゃ、夏祭りに行けなかったのは残念だったけど。踊るの自体は、結構楽しかったんだ」
 戦いの旅ばかりの無骨なリュカの人生の中で、娯楽らしい娯楽の勉強したのは、あの時が初めてだった。ヘンリーの真似をしながらリズムに合わせて体を動かしている間は、頭を空っぽにして楽しめていたような気がする。天空の勇者を探す旅の目的を、ほんの少しだけ忘れられたような、そんな気が。
「……そう。あんたは、そうだったのね」
 意外そうな顔でデボラが呟く。
「だから、一緒に踊るならヘンリーからリードを習ってから……」
「よし。踊るわよ、リュカ」
 突然立ち上がったデボラが、リュカの手から羽根飾りを奪い取った。
「……待て待て、俺の話聞いてたか!?」
「聞いてたから言ってんのよ」
 わけのわからないリュカをよそに、デボラは白い羽根飾りを自分の黒髪に結わえる。
「あたしがリードしてあげる」
 差し出された右手に、薔薇色のネイルが光る。同じ色の唇をニッとあげる彼女の顔に、先程までの不機嫌さはなくなっていた。

 

 

 ホールドは、置いておくだけ。
 流れるような動きを意識して。
 背筋をピンと伸ばして、指先からつま先まで音楽に集中。
 ダンスのレッスンに来ていた先生の言葉を反芻する。十年以上前の話でも、案外覚えているものね。
 筋肉質に引き締まった腰に右手を添え、意外と骨ばった太い指を包み込むように左手を添える。
「案外やるじゃないっ、小魚のくせに!」
「ふふ、何せ王族直伝のステップだからな!」
 フローラに教えてあげたのと同じように、触れた体でリードしながら音楽にのる。旅楽団の陽気なメロディは、かつて聞いた優雅な三拍子とは程遠い。
 リュカの手を引きながらくるりと回ると、頭に結わえた白い羽根飾りが優雅にふわりと揺らめいて、周囲から歓声が沸き起こる。各々踊っていた周りの人も、ペアで踊るデボラ達に見入っているようだ。
「なんかっ、やけに注目されてないか!?」
「当然よっ! こんな美女が男役で美しく踊ってれば目も惹くわ!」
「いやいや、自分で言うなよっ!」
 他人事のように笑っているこの男は、きっと気が付いていない。長身の優男が女役で踊っていて目を惹かないわけがないことに。
「あはは、すごいなデボラ! こんな曲一度も聞いたことないのに、踊りやすいや」
 リュカはデボラにリードされてけらけらと笑っている。あんたが踊ってんのは本来女のやる踊りで、観客達からちょいちょい笑われている声が聞こえるんだけど……ああ、もう。
(そんな楽しそうにされたら、こっちまで楽しくなってくるじゃない)
 くるり、くるり、とステップを踏むたび、つられてデボラの顔にも笑みがこぼれる。スロー、スロー、クイック。トラウマだったものたちが、一つずつ解けていく。
 楽団の演奏が、クライマックスに向けてどんどん盛り上がっていく。観客の手拍子も、つられて大きくなっていく。
「もうすぐ終わりか……うおっ!?」
「まだまだ! 飛ばしてくわよ!」
「うわ、おっとっと……あははっ、すごいすごい!」
「そーれ、ここでターンよ! 回んなさいっ!」
 ぐるんと思いっきり一回転させてやると、観客がわっと盛り上がる。
 いつの間にかステージの周囲はデボラ達の独壇場となっていた。注目を集めるのは嫌いじゃない。羨望の目がくすぐったい。踊るのって、こんなにも楽しい物だったかしら。
 いや、あのころだって楽しかったのだ。いろんなことに無理をしすぎて、気持ちを認められなかっただけで。
 きっと本当は、うらやましかったのだ。きちんと踊れて練習の成果を見せられたフローラやアンディが。
 無理をして、嘘をついて、自分の思いに蓋をして、人を遠ざけて。そんながんじがらめな意地っ張りの昔の自分を知らないリュカの前では、自然と素直になれる。
 親の体裁を気にしたり、妹の気持ちを考えたり、楽しいものにつまらないふりをしなくたっていい。
 全然知らない曲だって、踊り方が男女逆だって、こんなに楽しい。
「……あんたでよかった」
 曲が終わって拍手に包まれながら、うっかり口が滑る。
「え? 何だって?」
「…………」
 歓声に紛れて聞こえなかったらしいリュカが、こちらに耳を寄せる。
 あんな馬鹿みたいに素直なセリフ、もう一度言ってやる気なんて起きないので。
「……もう一曲、って言ったのよ!」
「は!? ちょっ、待っ……わああ!」
 照れ隠しにグイッと引っ張ってリードし始めると、デボラ達のダンスに応えて後を追うように楽団の演奏が始まる。周りの人々もつられて踊り出し、誰もかれも巻き込んで、お祭り騒ぎの夜は更けていく。

 このちぐはぐワルツが王宮で脚光を浴びるのは、もうすこし先の話。

 

END

あとがき

意を決して参加した主デボアンソロへ寄稿させていただいた作品でした。本の中に自分の書いた話が載ってるって新鮮。とっても楽しかったです、ありがとうございました!

最後のダンスがどうして主デボだけ男女逆転なのか、ゲーム内で説明なかったので妄想した結果です。
経験してきた色々なちぐはぐが主デボだからこそ綺麗にかみ合う、みたいなのを書きたかったんですよー!
ちなみに、Cogwheelは歯車です。全然タイトル決まらなくて辞書引きまくってたのを覚えてます。
先にタイトル考えるのは好きだけど、書き始めてからタイトル決めるのめっちゃ苦手なんですわ……。