夕闇に佇む、おどろおどろしい魔王城。
勇者アルフレッドとその一行は、幾多の困難を乗り越えて、かの悪名高い魔王を討伐すべく、この地へたどり着いた。
悪趣味で巨大な門扉を押し開ける。ギギィ、と軋む蝶番の音が不気味さを引き立てる。緊張と興奮で震える足をなんとか押さえつけ、深紅の絨毯の先にいる魔王の元へと歩を進める。
ジェルジ、シャロ、アズニェに、ゴールディオン……もとい、ルディ(と呼ばないと怒るのだ)。背後に控える仲間達も、神妙な面持ちだ。この中の誰一人がかけても、ここにたどり着くことはできなかった。
最奥の扉の前。ドアノブに手を掛けて、アルフレッドは仲間達を振り返った。
「……いよいよだ。みんな、覚悟はいいか」
「へいへい。今さら聞かれるまでもないね」
「私たち皆、心はひとつ……もちろん、準備は万全です」
「魔王の奴をぎったぎたにしてやるにゃー!」
「ふふ、威勢のいいこと。但し、これだけは忘れちゃダメ」
ルディはゴツい人差し指をたて、唇に添える。
「無茶は禁物。あくまで初戦は様子見、みんなで生きて帰りましょ」
「そうさな。離脱の魔方陣はさっき敷いた、やばくなったらトンズラしようぜ」
「なあ、その作戦本気なのか?」
「今更何言ってるにゃ? 昨日みんにゃで決めたことでしょ?」
「勇者の死は王国に滅びの運命を運ぶ……言い伝えの通りなら、少なくとも我々が生き残れば、王国の滅亡は阻止できるはずです」
伝承を書き留めたノートを確認し、シャロはアルフレッドを見上げる。
「魔王討伐は最優先事項、ただし王国がなくなっては元も子もない。安全第一、そういう話になりましたよね、アルフレッド」
「や、まあ、確かにそうなったけどさ」
「まだ何か不満なんかにゃー」
「……だって、カッコつかないっつーか」
「うーわ出たよロマンチスト」
「カッコつけられる余裕があるかわかんないからこその戦法よ。やめときなさいな」
「全く、昔から変わりませんね」
あきれたように苦笑いするシャロは、大体、と付け加える。
「格好つけたいのなら、初戦で突破してしまえばいいのです」
「うーわ出たよ猪突猛進」
「そうは思ってません。我々はそれだけの経験を積んできたはずですから」
「シャロもにゃんだかんだ命知らずだよにゃあ……」
「そうだな! よーし何かやる気出てきた!」
「念のため繰り返しておくけど、無茶は禁物よ。いいかしら特攻隊二人」
「おうともさ!」
「もちろんです」
ホントにわかってんのかしら、と首を傾げるルディを尻目に、息巻くアルフレッドは勢いよくドアを開けた。
「たのもーぅ……あれ?」
ドアの先にあったのは、応接室だった。
部屋を見渡せど魔王らしき影は見えない。中央奥にはマホガニー製の立派な机と大きな黒皮張りの社長椅子、部屋の手前にはそれと対面するように深紅のビロードの椅子が5脚並んでいる。
「……いつのまに道を間違えたのでしょうか」
「いんや、ここまで一本道だったろ。間違いようがねえよ」
「わあ! この真っ赤な椅子ふっかふかだにゃ!」
「こーら、遊んじゃダメよ」
状況が飲み込めず、皆の緊張が緩んだ、その時だった。
「ようこそ、魔王城へ」
一斉に振り返る。
何の気配もなく立っていた”それ”は、中性的な顔立ちの少年だった。
「かけて、どうぞ」
呆気にとられているこちらのことなど気にも留めず、少年は奥のひときわ大きな椅子に腰かける。
「……どーすんだ、アルフレッド」
「……どーするったって、どーしよっか」
「しっかりしてください、あなたリーダーなんですから」
「アズニェはこの椅子がいいにゃー!」
「あーあーもうこの子ったら自由ねぇ」
アズニェが席を決めたのを皮切りに、なしくずし的に全員が椅子に腰かけた。机越しにアルフレッド達の様子を確認しながら、少年は側に控えていた桃色の髪の女性に声をかける。
「ララリナ、お客様にお茶をお出ししてくれるかい」
「かしこまりました、トーチカ様」
「…………!!」
女性が口にした名前を聞き、全員に緊張が走る。
トーチカ。目の前の少年は、確かにその名で呼ばれた。
歴代の魔王と違い露出回数が極端に少なく、名前以外の情報はほぼ皆無。未だどこの国も明確な対策を打ち立てられていない、謎につつまれた魔王と、同じ名前で。
アルフレッドは恐る恐る口を開く。
「きみが、魔王トーチカ……なのか?」
「ああ、申し遅れたね」
髪を手櫛で整え、こちらに向き直る。
「トーチカ・オーブ・ハカラ。今代の魔王だ、以後お見知りおきを」
アルフレッドはごくりと息を呑む。
前髪の隙間からチラと除いたその額には、確かに魔王を示す紋が浮かび上がっていた。
「……お見知りおくのは構わんがな、魔王くんよ」
少しの沈黙のあと、先陣を切ったのは意外にもジェルジだった。
「もしや人違いをしてやいないかい? 我々はあんたを退治しに来た人間であって、お茶までいただく筋合いはないはずなんだがね」
「いいえ、人違いではないよ。黒魔道士のジェルジ・アルマース殿」
突然フルネームを呼ばれて面食らう。
トーチカが人差し指で空中にくるりと円を描くと、呼び出された魔方陣から流れるように文字や映像が溢れてくる。
「多彩な攻撃魔法を得意とし、特に炎系統の魔法に秀でている。コミュニケーション能力も高く人脈も地域・種族問わず幅広いが、女性遊びに派手な所は難アリ」
「……はっ、余計なお世話だよ」
ジェルジの冷や汗混じりの文句を聞き流し、ゆったりと椅子に腰かけたまま、くるり、くるりと次々に、トーチカが描いた円は合計5つ。相手は魔王、いつどこから何が飛び出てくるかわからない。アルフレッド達は武器を構え、戦闘体制を整える。
「白魔道士のシャロ・ライラック嬢は補助魔法での能力底上げを重視した戦法をとる、大人しいけれど芯の強いしっかりもの。シーフのアズニェ・リン嬢は明るいムードメーカーで、獣人らしく素早く攻撃力が高い前衛を務めるが、防御はイマイチ……長時間の戦闘で不利なタイプだね。格闘家のゴールディオン・ジャックナイフ殿は素早さこそないが正確無比の体術と豪気なスタミナを持つパーティの守りの要で、みんなのお父さん……というより、お母さんか。そして」
順番に魔方陣を指でなぞったトーチカが、中央に据えた最後の魔方陣越しに、ゆっくりとアルフレッドを指差す。
「勇者アルフレッド・イリステリカ殿。類い希なる聖の力を持ち、平民の出だというのに魔王討伐に大抜擢されたお人好しな青年。格好つけたがりがたまに傷、といったところかな」
「……俺たちのことは全てお見通し、とでも言いたいのか?」
「うふふ、こっちはボウヤのこと全然知らないっていうのに。不公平ねぇ」
クスクスと笑いながらもルディの眼光は鋭い。
「貴方達のこと、ある程度調べさせてもらったよ。なかなか個性的で愉快な方々だね」
「調べたのであれば、わかったのではありませんか?」
シャロは杖を握りしめ、静かに魔力を練り上げる。
「魔王であるあなたが、聖なる力を持つ我々に勝ち目などないことが」
「先に言っておくけど俺、炎系以外だっていけるからねぇ」
ジェルジが杖をしゃんと振ると、周囲に魔力が渦巻く。
「残念だけどデータはあなたの盾じゃないわ、ボウヤ。知ってるだけで勝てると思ったら大間違いよ」
ルディはトーチカから目を離さず、しなやかに武術の構えをとる。
「ふふん! ガキンチョ魔王め、泣いて命乞いするんだったら今のうちにゃ!」
アズニェはナイフを片手に、鼻息荒くファイティングポーズをとる。
「子供とはいえ、容赦はできない……国王の命だ。悪く思わないでくれ」
アルフレッドは、構えた聖剣をトーチカに突きつける。子供に向かって剣を振るうのはいい気がしないが、自ら魔王であると名乗るのならばなりふり構っていられない。罪悪感を押し込めて、アルフレッドは高らかに宣言した。
「正義の名の元に、裁きの鉄槌を! 全ては悪を滅ぼし、世界の平和を取り戻すため!」
「そんなことしなくても、世界はとっくに平和だよ」
「いざ尋常にっ……」
そこまで言って、アルフレッドは耳を疑った。
「……え、今なんて?」
こちらの臨戦態勢など何処吹く風で、トーチカは羽ペンと羊皮紙で何やらサラサラと書き付けている。
「世界はとっくに平和だよ、勇者殿」
「……平和、ですって!?」
激昂したのはルディだった。
「あなたたち魔王軍の進行で故郷を、家族を失った人間が、傷つき倒れた人間が、どれだけいると思っているの。あたしの手で救えた子供達なんてほんのわずかよ。それを」
「それは先代が行ったこと。今代の私にその意思を引き継ぐつもりはない」
憤るルディの言葉を遮り、トーチカはハッキリと断言した。
「先代は特に過激な思想の持ち主だったようでね……今、復興支援に割く予算の確保とスケジュール調整をしている。各地に残る被害の現地調査もまだ途中、今はもっとも被害の大きかったエルフ族の支援がやっとスタートしたところだよ」
復興支援。予算確保。現地調査。およそ魔王にそぐわない単語がポンポン出てきて、アルフレッドの頭はパンクしそうだ。
何だかちょっと不服そうに、アズニェが唸る。
「むぅ……それってつまり、これから先は戦うつもりがないってことかにゃ?」
「その通り。大体、戦うつもりの相手をわざわざ応接室に通すほど私は親切ではないよ。さあ、気を取り直して」
トーチカは羽ペンでふわりと、深紅のビロードの椅子を指す。
「かけて、どうぞ。お茶も入ったみたいだし」
お盆を運んできたララリナ女史が、穏やかなトーチカと構えるアルフレッド達を見比べてきょとんとしていた。
「へ、へ、ヘッドハンティング!?」
今度こそアルフレッドは大声をあげた。
「……って、何だ?」
振り返ると、がっくりと項垂れたシャロがジト目でこちらを見ていた。
「他社で働いている優秀な人材に対し、給与や待遇等よりよい条件を提示して自社に招き入れる行為を指します」
「要するに、引き抜きってやつな」
言いながらズズズとお茶をすするジェルジ。
「つっても、俺らが引き抜かれる理由はさっぱりわからん。アルフレッドはこんなでも勇者、王国の希望だ」
「……こんなでもとか言うなよぉ」
ジェルジはアルフレッドの力無い文句を無視し、トーチカを見据える。
「魔王の軍門に下るっつーのは、忠義を誓った王国への裏切りを意味する。それ相応の理由がないとねぇ」
「今までの旅路がぜーんぶパァになるんにゃら、アズニェは反対だけどにゃあ」
ふくれっ面のアズニェは、せっかくいっぱい頑張ってきたのに、とブー垂れている。
「アズニェ達、いろんな人達に応援してもらってここまで来たにゃ。なのに、一転して石投げられるようなのはイヤだよ……」
旅路の中でたくさんの大陸を巡り、数えきれないほど人を救った。ありがとう勇者様、応援してるよ、あんた達なら魔王だって倒せるさ。そんな言葉を、笑顔を、期待を、裏切りたくはない。それは5人の共通認識だ。
「……根本的なこと、聞いてもいいかしら」
ルディが軽く手を挙げた。
「あなたさっき、”世界はもう平和だ”っていったわね。戦うつもりがないのなら、あたし達を引き入れて軍力を強化する必要なんてないんじゃないの? 行動が矛盾してるわよ、ボウヤ」
警戒の続く空気のなか、トーチカはそれぞれの言葉を聞きながら羽ペンでメモを取っていた。
「ふむ。疑問点はそのくらいかい?」
「……ああ、俺達は王国と、みんなの期待を背負って戦ってきたんだ。平和になったからってお前に協力する義理はない」
「まあ、そう急かないで。私の話も聞いてほしい」
そういうとトーチカは、両手で大きく空中に円を描く。部屋の中央に魔方陣が浮かび上がり、組織図が表示された。
「私があなた達にお願いしたいのは、この部分」
”魔王城 指導監査相談課”
「しどう、かんさ、そうだん……?」
魔方陣の片隅、組織図の端で光る新たな単語の羅列。いよいよ中世ファンタジーの概念が崩れそうなそれに、アルフレッドの頭は理解が追い付かない。トーチカは、魔方陣を眺めながら困ったように笑みを浮かべる。
「魔族の統括や他種族との交流に関しては、私や部下達でどうにかなるけれど……この課にだけは、内部の人間を据えることができないんだよ」
そろそろ思考を諦めかけたアルフレッドの隣で、何やら考え込んでいたシャロがふと顔をあげた。
「……なるほど。オンブズマン制度ですね」
「ふふ、シャロ嬢は話が早くて助かるよ」
わーんまた知らない言葉が出てきたー、と頭を抱えるアルフレッドをよそに、二人はすいすいと話を進める。
「名称からして、会計監査もこちらに委ねるおつもりですか」
「もちろん。予算の割き方が魔族の思想に傾倒するのはよろしくないしね」
「トップとしか繋がりがありませんが、これは完全なる第三者機関だからと捉えても?」
「構わないよ。外部であることを明確にするために、建家から分けるつもりなんだ」
「まあ、随分な力の入れようで」
「課の性質上、分けた方が効率が上がるんだよ。当事者の根城で堂々文句は言いづらいだろう?」
「ああ、それは……そうでしょうね」
「ちょうど関連資料の保管庫を増やすために塔を建てる予定でね、そこに新たに部屋を設けようかと思っているよ」
「新築の建家に新設課、しかも入るのは過去に対立していた勇者達……内部からは反発の声が上がりそうですが」
「計画時点で中の人間には了承は得ている。そもそも、魔王世代交代時に内装はリフォーム済なのさ」
「そういえば、外観にそぐわない清潔感のあるインテリアですね」
「そうかい? ありがとう」
「ちょーっと待つにゃーー!!」
頭がショートしそうなのは、アルフレッドだけではなかったらしい。
勢いよく立ち上がったアズニェは、もふもふの指でビシッとトーチカを指差した。
「シャロとばっかお喋りしにゃいでっ! ヘッドハンティングにゃんでしょ、アズニェにもわかるようにお話しして!」
「こらこらどうどう、落ち着けっつの」
ジェルジが興奮するアズニェの首根っこを掴んで座らせる。
「一旦整理するか。どーせお前もわかってないだろ、アルフレッド」
「うう、おっしゃる通りで……」
「すみませんジェルジさん。私ったら興味深くて、つい……」
「シロちゃんたらずいぶん仲良しになったわねえ」
くそう、シャロを取り込もうったってそうはいかないぞ。アルフレッドは、くすくすと他人事のように笑うトーチカを一睨みした。
「えーとつまり……俺たちは魔王軍に寝返るわけじゃ、ないのか?」
「ええ、手下として人間側に対立するわけではなく、お目付け役です。魔王軍の動向やお金の使い方を定期的に調べて、ルール違反があったら指導します」
「……つまりは魔王軍の暴走を防ぐ抑止力ってとこだな。だろ? 魔王くん」
「ああ、概ねその通りだ。抑止力に内部の者を置いたら、本陣とずぶずぶの関係になって機能しない……だから、私に対抗しうる貴方達にお願いしたいんだよ」
「おおー、やっとわかった気がするにゃ!」
ジェルジとシャロが一生懸命噛み砕いて説明してくれたお陰で、アルフレッドとアズニェはあらかた内容を理解することができた。
横で頷きながら聞いていたルディが、ちなみに、と疑問を付け加える。
「指導・監査はそれでいいとして。相談の部分は何をするつもりなのかしら?」
「一般の市民から出てきてる魔王軍に対する苦情や相談を受け付けてもらおうと思っているよ。種族は問わず、ね」
それは何となく今までの旅でやってきたことに似てるな。アルフレッドのなかで、仕事の内容のハードルが下がった気がする。
「……あと、魔王軍内部から出た相談事も受け付けてほしい。きっと、直接私の方にはこないはずだから」
「おいおい物騒だな、裏切り者の粛清でもする気かい?」
「原因を調べて改善するんだよ。君の発想の方が余程物騒じゃないか、ジェルジ殿」
「はは、魔王くんに言われると誉め言葉のよーだね」
トーチカはあっという間にジェルジと軽口を叩くほど打ち解けている。くそう、ジェルジを取り込もうったってそうはいかないぞ。
「それで、どうするの? アルくん」
ルディがアルフレッドを覗き込む。
「これまで一緒にやって来たんだもの、あたしはアルくんに従うつもり」
「私もです。興味深くはありますが、リーダーの意見は最優先でしょう」
「アズニェも! ここまで来たら、みんにゃと一緒がいいにゃ」
「俺は、まーどっちでもいいが……」
逃げるなら離脱の魔方陣を起動させとくぜ、とジェルジがこっそり耳打ちしてきた。相変わらず抜け目の無いやつだ。
数々の試練を乗り越えてきた仲間は、アルフレッドに全幅の信頼を寄せてくれている。ここで判断を間違うわけにはいかない。
「……俺、は」
「そういえば、待遇の話をしてなかったね」
ふいに、トーチカがアルフレッドの言葉を遮った。
「た、待遇?」
「ヘッドハンティングだもの、条件を提示しなくてはね」
パチン、とトーチカが指をならす。すると、全員の前に新たな魔方陣が浮かんだ。
瞬間、全員の目の色が変わった。
「手取り30で残業なしだぁ!?」
「ボーナス支給が年3回ですか!?」
「福利厚生サービスすごいあるにゃ!?」
「有休が年30日で土日祝完全休みですって!?」
そして、全員の視線がアルフレッドに注がれる。
「……そういや俺、今まで定期的に給料もらったことねえぞ」
「……個人的なお小遣いは、アルバイト等で稼いでましたしね」
「……保険効かにゃいから、病院代高かったにゃあ」
「……なかなか休めなくて、施設の子達の顔長いこと見てないわねえ」
「何だい、勇者稼業ってそんなにブラックなのかい?」
「ええいうるさいうるさいっ!」
仲間達の静かな圧力に耐えられなくなったアルフレッドが立ち上がる。
「しょうがないだろ! 被害受けて困ってる人たちに高額の謝礼金なんて請求できないし! あんな微々たる金額、旅の最中の生活費で一瞬で消えちゃうに決まってるじゃないか!」
「ほとんどボランティアだったものねぇ……」
「せいぜい食費にしかなりませんでしたね……」
ルディとシャロが遠い目で今までの旅路を思い返している。
助けてあげた村や集落は大概、悪党や魔物の対策にお金を回している人たちばかりだった。疲弊しきった財政事情がわかっているのに、さあ助けてやったから金を寄越せ、と言える神経をアルフレッドは持ち合わせていない。宿代や装備品のための主な収入源は、魔物の肉や骨、皮といった素材を売り払うハンター業。おかげさまで剣さばきと魔物の肉を捌く技術は、誰にも引けをとらないほど上達した。
「それに救った村で別の村が困ってる情報もらったら! すぐに救いに行かざるを得ないじゃないか、勇者一行としてはさ!」
「行かなきゃ不公平感でるもんにゃあ……」
「あれ何なんだろうな、弱い村同士の負の情報連携……」
アズニェとジェルジも過去を思い出しながら頭を抱えている。
悪党や魔物の退治が終わったあとに村人から、実は隣の村も被害を受けているらしくて、と情報を教えてもらうことがやけに多いのだ。聞いた以上放っておくわけにいかず、アルフレッド達はほぼ休み無しで村から村を渡り歩いていた。おかげさまで野営や荷馬車を繰るスキル、邪魔にならないよう手持ちの荷物をなるべく軽くする技術も、誰にも引けをとらないほど上達した。
「何というか、苦労してるんだね。勇者殿」
「誰のせいだと思ってるんだよ!」
アルフレッドが食って掛かると、トーチカはこちらを落ち着かせるように両手を挙げる。
「わかっているよ……先代の非礼は詫びよう。ずいぶん迷惑をかけたようだ、すまない」
むむむ、その一言で済まされるのもなんだか納得がいかない。苛立つアルフレッドをよそに、仲間達は揃って魔方陣に浮かぶ待遇一覧を眺めてヒソヒソしている。
「……正直、めちゃくちゃ厚待遇だよな?」
「従来の仕事に魔王軍のお目付け役が加わるだけで、ボーナスまでいただけるわけですから……ええ、そうですね」
「お休みもキチンと取れそうだものねぇ……」
「アズニェはみんなが行く方にしようかにゃあ」
くそう、ルディさんも、アズニェまでその気になってきてる。
「ふふ、嬉しいお言葉ありがとう。でもね」
トーチカは、あらたまってアルフレッドに向き直る。
「私が欲しいのは、”聖なる力を持ち、魔王に対抗しうる勇者”なんだ」
射抜くような金の瞳が、こちらを見据えている。
「貴方が頷いてくれるなら、仲間の皆さんも悪いようにはしない。いかがかな」
目を逸らしたら負ける気がして、アルフレッドはキッとトーチカをにらみ返す。
今までの話が脳内をめぐる。
魔王は世界征服する気がなく、自身の使命はほぼなくなったも同然。降ってわいたヘッドハンティングは、自分を監視して欲しいという魔王自身からの依頼。魔方陣に浮かんだ組織図や待遇の一覧を見て、今まで自分についてきてくれた仲間達は、魔王が示した仕事の内容に興味津々だ。
答えは、自然と口から出ていた。
「……る」
「え」
「断る!!」
立ち上がったアルフレッドの決意は固かった。
「……理由を聞こうか。私としては、かなりいい条件をだしたつもりだけれど」
「ま、それがホントかどうか確かめる術はないわなぁ」
ジェルジは自分の髪をくるくると弄びながら呟く。
「会ったばかりの、それも今まで宿敵と思っていた奴だ。さっきの今で信用するわけにゃ……」
「違う!!」
「ありゃ、そうかい」
予想が外れて、ジェルジがガクンと肩を落とす。
「こいつの言ってること、多分本当だ。世界征服する気がないのも、俺たちを雇いたいって話も、さっきの条件だって、嘘はついてない」
「なにか、根拠があるんですか?」
「勘だ!!」
「……貴方達、この人がリーダーでよくここまで来られたね」
トーチカの声には呆れの色が見えたが、アルフレッドはひるまない。
「さっきの組織図、魔王のお前とだけ繋がってた。それって、たとえ寝返りじゃなくったって、俺達がお前の部下になるのに変わりないってことだろ」
「ああ、そうだね」
「俺が今まで苦労して、一緒に旅しようって一生懸命説得したみんなを、お前はサラッと引き入れられるってことだろ」
「まあ、そうなるね」
「そんなのいやだ」
「……はあ」
「それに、トップが上司ってことは、お前次第で今後みんなバラバラに異動するかもしれないってことだろ」
「可能性としては、あるけれど」
「お前を倒すために頑張ってきたのに、お前のせいで目的も果たせずに解散なんていやだ。いやだったらいやだ」
「……完全に私情じゃないか」
「何とでも言えばいいさ。けどな!」
アルフレッドは、トーチカをビシッと力強く指差す。
「みんな俺の大切な、大好きな仲間達なんだ! ぽっと出のガキなんかに取られたくないっ!」
石造りの応接室に、アルフレッドの渾身の思いがこだまする。
魔王に協力することが平和に繋がることも、魔王の提示する労働環境が魅力的なことも、わかっている。それでも踏みとどまってしまうのは、正義のために尽くしてきたプライドと、今まで積み重ねてきた思い出があるからだ。
トーチカは、今度こそ眉をひそめて溜め息をついた。
「……呆れた、貴方にだけはガキ呼ばわりされたくないな。わがままひとつで仲間を縛るのかい」
「別に、そんなつもりはない」
アルフレッドは首を振った。踏みとどまるのは、自分だけで十分だ。
「今のは俺一人の意見だ。みんなが魔王軍の方につくっていうなら、止めたりはしな……」
言いかけた所で、ぺちん、という小気味よい音と共に後頭部に衝撃が走る。
「あてて……じ、ジェルジ?」
「ばーか、置いてきゃしねぇよ」
悪態つきながら頬杖をついたジェルジが、はたいた右手でアルフレッドの頭をガシガシとなでつける。
「先程も言いましたよね。リーダーの意見が最優先だって」
「シャロ……」
「全く、こんなときに弱気にならないでください」
シャロは優しい瞳でこちらを見上げる。もやもやと淀んでいた不安や寂しさが、嘘のように消えていく。
「やっぱり、みんなが一緒の方が楽しいにゃ!」
「ごめんねボウヤ、そういうわけだから」
「アズニェ、ルディさん……」
俺、間違ってなかった。やっぱり持つべきものは、友だ。正義だ。信頼だ。
アルフレッドが感激して目を潤ませていると、向かいの机から特大のため息が聞こえてきた。
「見せつけてくれるね」
「え、いやあ、そういうつもりじゃ」
アルフレッドがデレデレと返す。トーチカは先程にも増して不機嫌そうだ。
「まあいいさ。すんなり受け入れてもらえるなんて、端から考えていなかったから」
言うなりトーチカは立ち上がり、パチンと指をならす。
「でもさっき言った通り、私が欲しいのは貴方なんだよ……勇者殿」
目の前の魔方陣が、突如どす黒く不気味に光る。
「何っ!?」
「きゃああ!!」
円筒状のバリアが現れ、仲間達を包む。
「勝負をしようか、勇者殿」
バリアに閉じ込められた仲間達が、中から叫んだり叩いたりしているが、こちらには振動ひとつ伝わってこない。
ひとり取り残されたアルフレッドに向けて、トーチカは抜き身の剣を突きつけた。
「貴方が勝ったら、全員無傷で解放しよう。私が勝ったら……先程の件、問答無用で受けてもらう」
「不意打ちなんて卑怯だぞ! みんなを解放しろ!」
「私一人に対して5人がかりで戦う方がずっと卑怯だろう。それに」
トーチカはバリア側をチラリと見やる。
「焦りの赤と高揚の橙、そして安堵の青……感情が色に出ているよ。私の提示した条件がよほど魅力的だったと見える。貴方達だって内心この状況、負けたところで案外悪くないと思ってガッツポーズでもしてるんじゃないのかい?」
「何だと!? そんなことあるはずが……おいお前達、なんでみんなして目を逸らすんだよ!? ホントに内心ガッツポーズしてんのかよ、こっち見ろって、おいっ!!」
「……ちなみに」
一歩、また一歩と剣を構えたままトーチカがこちらに歩み寄る。アルフレッドが聖剣を構え直す頃には、あどけない瞳は黄金色に変わり、華奢な背中からは武骨な翼が現れ、マントの先からは固い鱗におおわれた尻尾がのぞいていた。
「私は悠久の時を司る龍族。ヒトとちがって長寿でね……来月で、130歳になるんだ」
「えっ」
130歳。アルフレッドの年齢を5倍してもまだ足りない。目の前の少年は、確かにそう言った。
「せっかくの機会だ、勇者殿。年上と上司に対する礼儀を教えてあげよう……」
どうやらガキだのなんだのと子供扱いしていたのが気に障っていたらしい。ニコリと微笑むその表情からは、こちらにもわかるほど苛立ちがが滲んでいる。
「かかっておいで、”ボウヤ”」
アルフレッドは、死を覚悟した。
かくして剣技しか能がない勇者アルフレッドは、仲間の力も頼れず、魔王トーチカにコテンパンに叩きのめされた。
指導監査相談課の課長席で、アルフレッドは魔王トーチカへの復讐を心に誓う。
完膚なきまでに打ち砕かれた勇者としてのプライドを、内心待遇向上に喜ぶ仲間達に慰められながら。
ちなみに彼らは「魔王と共に平和を築いた英雄」として後世に語り継がれるのだが、それはまた別のお話。
END