山奥の村の腕利きの職人にヴェールを注文したので、取ってきてくれ。その間に花嫁の支度をしておこう。
ルドマンにそう命じられたリュカは、デボラの花嫁姿を見ることのないまま街を出て行った。そもそも盾のおまけとしてしかみていないのだ、ドレスアップしようと何をしようとと興味はないのだろう。その証拠に、すれ違いざまにリュカはデボラの耳元で小さく囁いていった。
「気取られるなよ」
「わかってるわよ」
全くぬかりない。
とはいえ計画の仕上げで失敗するわけにはいかない。花嫁の支度を言いつけられたメイドについてこうとすると、後ろからフローラとビアンカが声をかけてきた。
「姉さん、私もお手伝いします」
「あ、じゃあわたしも!」
「えっ」
無邪気な申し出にデボラは一瞬固まる。あんな凄まじいプロポーズをしてしまった手前、式が終わるまでの間はできるだけ2人(というか主にビアンカ)とは関わりたくなかったのだが、前を歩くメイドは手伝いが増えたことに単純に喜んでいた。
「あら本当?じゃあお願いしちゃおうかしら」
お願いしちゃわれたらあたしが困るのよ。平静を装いながら焦るデボラに、3人とも気付く気配はない。
「どんなドレスか気になりますね、姉さん?」
「こんなにスタイルいいんだもの、きっとどんなのでも似合うわ」
「さあ、参りましょうかデボラ様!」
「え、ちょっ、待っ」
半ば引きずられるようにして、デボラはルドマン邸から連れ出される。人の結婚式だというのにフローラもビアンカも何やら楽しそうだ。
……ちゃんと気取られずに済むかしら。
さっそく計画の難易度が跳ね上がったことに不安を覚えるデボラに、3人とも気付く気配はなさそうだった。
「わー……きっれーい……」
目をまん丸にして感嘆の声を上げるのはビアンカだ。どう返していいか数秒迷って、とりあえずいつものキャラクターを保つことにした。
「……まぁ、あたしにかかればどんなドレスでも輝くってものよ」
「ホント、すっごい綺麗!!やだー羨ましいー!!」
デボラの自慢げな態度を気にするでもなくビアンカはきゃいきゃいはしゃいでいる。ここまで豪華なドレスなど滅多に見られるものではないから当然なのかもしれない。指輪見たさについてきたビアンカなら尚更である。
ルドマンの別宅に用意されていたウェディングドレスは、ウエストからAライン状のスカートになったオフショルダータイプの純白のドレスだった。メイクもアクセサリーもピンクを基調とした随分可愛らしいものだ。普段のデボラとあまりにもかけ離れているせいか、フローラもメイドも感嘆とも驚嘆ともとれる溜息を洩らしている。
どす黒い思惑の交錯する結婚には似合わないわね、とデボラは気付かれないようにこっそり溜息をつく。
「そうだわ、エリシアさん!」
フローラに呼ばれてメイドのエリシアが振り返る。
「何でしょうか?」
「姉さんのドレス姿、出来るだけ他の人に見せないようにしたいんです。他の人が入ってこないように外を見ていてくれませんか?」
「あら、それは名案ですね。かしこまりましたわ」
彼女は嬉しそうに席を立って、いそいそと玄関へ向かう。
他の人が入ってこようがこまいがデボラ本人は気にするつもりはなかったが、フローラが言うならわざわざ止める必要もあるまい。化粧台に座ったままメイドを見送った。
パタン、と扉の閉じる音がする。
優雅に手を振っていたフローラが、にやり、と不敵な笑みで振り返った。大きく開いたデボラの背中に冷や汗が垂れる。
「うふふ、ようやく3人だけになれましたね」
「そうね。メイドさんがいたんじゃ話しにくいものね」
ねー、だなんて顔を見合わせて笑い合うビアンカとフローラ。何よ何よ、いつの間に仲良くなったのよあんた達。
「さあデボラさん、いろいろ聞かせてもらうわよ?」
「い、色々ってなによ?」
「姉さんったら、しらばっくれないでください。あのプロポーズの事にきまってるじゃないですか!」
2人がにやにやと楽しそうに迫ってくる。デボラは軽く後ずさりするも、ドレスなので大した動きが出来るわけでもなく、そもそも後ろは化粧台なので逃げ道は完全にふさがれている。どうしたもんかしら、さっそく大ピンチだわ。
興味津々な目をしたビアンカは、目に見えて焦っているデボラに嬉しそうに手強い質問を投げかけた。
「ね、ね。デボラさんはリュカのどの辺が気に入ったの?」
「えー……そう、ねぇ」
またこの人は一段と答えにくい質問を。
夜道で自分に質問攻めにされたリュカはこんな気分だったんだろうか、と過去の自分の行いを少し反省しながら架空の答えを考える。あの時の彼は、フローラに求婚した理由をどう言い訳していたか。
「……一目、惚れ?」
「何で疑問形なんですか、姉さん」
とっさに思いついた回答だったため自信なさ気になってしまったが、ビアンカはそれを照れ隠しととったらしい。何の衒いもない笑顔でうっとりと遠くを見つめる。
「へぇー……素敵ね、なんだかロマンチックだわ」
「旅先での運命的な出会いだなんて、恋愛小説みたいですね」
ロマンも運命もくそもあったもんじゃないわよ、とぶちまけてみようかとも思ったが、いかにも純朴そうな彼女達にそんな物言いをするのはいささか気が引けて、デボラは言葉を飲み込む。かわりに四重ほどオブラートに包んだ言葉を返した。
「そんな風にうっとりされるほどのものでもないわよ」
「ううん、そんなことないです。今朝だってリュカさんのために3階の窓から抜け出してきたんでしょう?」
「3階!?どうやって!?」
「え、そりゃあ、カーテンをロープ代わりにして窓から降りたんだけど」
勢いに押されてとっさに本当のことを答えると、ビアンカの瞳はさらに輝く。
「きゃーすごい!度胸あるわね!」
「いいえ、愛のなせる技かもしれないですよ?」
「愛って、あんたねぇ……」
「姉さんったら結構情熱的なところがあったんですね、うふふ」
フローラも一緒に黄色い声ではやし立てはじめる。テンションの高さに若干ついていけなくなりながら、勘違いしていてくれるならまぁいいか、とデボラは諦めの境地に達してきていた。
2人の質問攻めをのらりくらりとかわし、何とか振り切った頃。
楽しそうにしていたフローラの雰囲気が、少し落ち着いたものになった気がした。ほんの少しの変化に気付いたデボラがフローラに目をやると、困ったようにうふふと笑った。
「……ありがとう、姉さん」
浮かべられた笑顔は先程の無邪気なものとは少しだけ違う、この純白のドレスに似合いそうな白百合の微笑み。
「私、本当は結婚なんてしたくなかったんです。今回の話だってお父様が勝手に決めたことで、本当は私……」
「アンディでしょ」
ひょろくてドジで情けない、それでも一番フローラを理解して愛してくれている幼馴染。あっさり想い人の名前を言い当てられて、フローラはほんのり赤面する。
「ど、どうして……」
「わかるわよ、それくらい。何年あんたのお姉ちゃんやってきてると思ってんの?」
知ったのは昨日の夜だし、それもリュカに教えてもらったことなのだが、そこは姉の威厳を保つために黙っておく。デボラの見栄には気付かなかったらしいフローラは、ふんわりと笑ってそのまま言葉を続ける。
「お父様に話を聞かされたのは、当日の朝でした。私が結婚を望まなかったこともあるけれど、私のために他の人に怪我なんてしてほしくなかったから、必死に止めたのに……」
「それ、わたしも聞いたわ。すごい大火傷だったって」
「そうなんです……あんなに止めたのに、“君のためならどうってことないよ”なんて言って。そんな無茶出来るほどの力、アンディにはなかったのに……」
確かに、下手をすれば火山に行ったまま帰ってこないという可能性だってあったのよね、とデボラはすこしだけ感心する。旅の経験があったわけでもないのに結構やるわよね、もうちょっと評価を上げてやろうかしら。
「アンディの怪我にも驚いたけれど、もっと驚いたのはリュカさんですわ」
「実際に炎のリング取ってきちゃうんだものね……あたしだって驚いたわ」
「そのうえあんな笑顔で“必ず無事に帰ってきますから”と言われてしまっては……正直、ほんのちょっぴりグラっときちゃいましたわ」
「へぇー、フローラさんだってデボラさんのこととやかく言える立場じゃないじゃない?」
「もう!ほんのちょっぴり、ですってばっ」
ピンク色のオーラを漂わせた会話を見ながら、その笑顔は絶対仮面だわ、と一歩引いているデボラ。それを気に留める様子もなく、フローラは話を続けようとビアンカのほうに向きなおった。
「ビアンカさんにも、きちんと謝らなくちゃいけませんね」
「え、何を?」
「……無理やり引き留めてしまって、すみませんでした。私、何とか婚約を逃れようと必死で」
「そんな、いいのよ!フローラさんにだって事情があったんだもの。しょうがないわ」
慌てたようにビアンカはぱたぱたと両手を振る。上手い具合に利用されたってのにそんな笑顔を向けられるなんて、どれだけお人好しなのよ。
そこではた、と思いつく。せっかく目の前に幼馴染がいるのだ、小魚男の事を聞いておくのも悪くない。
「ねぇ、ビアンカ」
「ん?」
「こざか……リュカ、とは幼馴染なのよね。いつ頃から知り合いなのよ?」
「んー、いつだったかな……初めて会ったのはリュカが4つの時だったわ。可愛かったわよ、こーんなちっちゃいの」
手で幼少の彼の背の高さを表すビアンカは、懐かしそうな目で語りだす。
「それからちょっと後、ゲレゲレを助けるためにお化け退治に行ったりしたのよ」
少し首をかしげるフローラに、仲間のキラーパンサーのことだと耳打ちしてやる。しかしお化け退治とは、響きは可愛らしいがあまり穏やかではない。
「わたしが無理やり押し切ったんだけど、リュカはそういうの苦手だったみたい。まぁわたしもお化けとか苦手で、ずっとリュカの後ろにしがみついて悲鳴上げてたからどっこいどっこいよね」
「あらあら、なんだか可愛いですね」
「微笑ましいもんねぇ」
「……微笑ましくなんかないわ」
そのまま続けるビアンカの笑顔がすこしだけ昏くなる。
「ホントは怖くてたまらないくせに、大丈夫だよ、とか言っちゃって、わたしに向かって作り笑いまでしてさ。余裕たっぷりなふりして、全部終わってお父さんに会ったら飛びついて大声で泣き出すんだもの。わたしには全然頼ってくれなかったのにね」
父親と自分とを分かつ圧倒的な壁。自分はあんなに近くにいたのに、彼の一番近くにいたのは自分じゃなかった。父親に甘える子供、というごく当たり前の光景は、ビアンカに大きな隔たりを思い知らせた。
「久々に会えたと思ったら何にも変わってないし。相変わらず偽物の笑顔でわたしに笑いかけるんだもの、ずるいわ」
再会した時も水のリングを捜しに行った時も、リュカがビアンカに向ける笑顔は幼いころから変わらない。それが偽物だとわかってしまうから余計に辛い。
「デボラさんが部屋に来た時、あいつ笑ったでしょう?あんな自然な笑顔、わたし初めて見たもの」
ホント悔しいわー、とビアンカは笑う。まるで全てを諦めたような、ほんの少し皮肉めいた笑みで。
ああそうか、この人は。
「あのままなら……偽物でしか接してくれないなら、わたしはきっとリュカの重荷にしかなれないわ」
本当に彼のことを想っていたのだ。
玄関からメイドの呼ぶ声がした。
「あら、リュカさんが来たかもしれませんね」
フローラが確認しにパタパタとそちらへ向かう。何やらカジノ船で挙式だの王族が参列だの面倒そうなことばが聞こえてくるが、デボラはあまり気にしないことにする。正確には気にしたくないので聞こえないふりをしている。
「……ねぇ、デボラさん」
「何よ?」
デボラの小物類をまとめながら、ビアンカが言う。
「幼馴染として頼むわ、あの人を幸せにしてあげて」
振り返った彼女の横顔は優しくて、ほんの少し寂しそうで、本当に……綺麗で。
「お願いよ?」
そうやって悪戯っぽく笑う。その笑顔は、少しだけリュカの仮面を彷彿とさせた。
……それでも。
「安心なさい」
悪いけど、あんたの恋心に同情してられるほど状況は甘くないのよ。
「心配しなくたって、そうするつもりよ」
こっちは人生賭かってんだから。
問題の結婚式も終わり、サラボナからポートセルミまで歩いての旅路を御所望のデボラのため、手始めにリュカ達は中間地点のルラフェンへと向かっていた。丁度日が真南を通り過ぎたので、先程昼食を済ませたところだ。
サラボナの洞窟を抜けた先には簡素な旅人の宿屋があり、昨日は久々にふかふかのベッドと温かい飯にありつけた。近くに水浴びを出来るところもあり、ようやくさっぱりできてデボラも機嫌がよさそうだ。馬車の中で袋の整頓をしながら鼻歌なんて歌っている。
「サラボナでの生活がどれだけ恵まれてたかわかるわ。ベッドがあんなに幸せなものだったなんて知りえなかったもの」
「今までが豪勢すぎたんだよ。今のうちに貧民の辛さを思い知っとけ」
「そうねぇ、とりあえずご飯が食べられることを神に感謝するくらいはしておくわ」
……確かフローラさんは、修道院に修行に行く程の敬虔な宗教家だったよな。
お祈りくらい付き合ってやればよかったのに、と思いながらリュカはデボラの後ろ姿を眺める。袋の中など今までろくに整頓していなかったので、何かを取り出す度に埃が舞っている。リュカが多少申し訳ない気分になっていると、デボラが何かを見つけたらしい。
「……あら?」
「どうした?」
「ちょっと、何でこんなもの持ってきてんのよ」
何か不味いものでも入れていただろうか、と馬車に入って見てみると、デボラの手の中には長く白い薄布があった。
「何だそれ?」
「シルクのヴェールよ」
「……俺持ってきてたっけ?」
「現にここにあるんだから、持ってきてたんじゃないの」
ああもうグシャグシャじゃないのよ、とデボラは馬車の外に出て埃をはたいている。その様子を眺めながらリュカは結婚式前後の記憶をたどる。
「全然覚えてないな……触れた覚えもないし」
「それちょっと記憶力無さすぎじゃ……いや、あの時あんた魔力の使いすぎでフラフラだったわね」
「そうなんだよ。式の最中もよろよろだった」
結婚式場のカジノ船からサラボナまでの距離は、仲間たちを連れてルーラするだけでも大変な距離だ。それをかなりの人数連れて飛んで行ったわけだから、リュカの消費した魔力は普段の3倍、4倍にもなった。加えてほぼ休憩無しで往復という殺人的スケジュールだったため、リュカの記憶が曖昧なのは致し方ない。
「じゃあ、あたしの花嫁姿も覚えてないってわけね。残念ねぇ、美の女神もビックリの美しさだったってのに」
「……いや、それは覚えてる」
「へ?」
からかうような口調だったデボラが固まる。
あまりに急激な魔力消費のせいで神父の前に立っているのが精一杯のリュカだったが、ルドマンに手を引かれるデボラを見た時は一瞬疲れを忘れて見惚れてしまっていた。誓いの口付けの際、これはなかなか役得かもしれん、と思ってしまったのは黙っておく。
「素直に綺麗だと思ったよ。さすがはデボラ様、とでもいうべきか」
あまりにストレートでありきたりな感想を述べてから、もう少し他に言葉があったかもな、と思い直す。
「……当然でしょ」
ふい、とそっけなくリュカに背を向け、デボラはヴェールの埃を落とす作業に戻る。はためく白い布が青空と対比してなかなか綺麗な光景だ。美人は何してても絵になるねぇ、とぼんやりデボラの後ろ姿を眺めていると、リュカはあることに気がついた。
どうやら彼女にはストレートな言葉が効くらしい。
耳が赤い。
漸く埃が落ち切ったらしく、デボラが長い薄布を畳む作業に移る。リュカも昼飯の片づけを終え、そろそろ出発しようかと思っていた矢先。
「ねぇ、一回聞いておきたかったんだけど」
「何?」
手元のヴェールを眺めながら、デボラは続ける。
「……ビアンカ、どうして選ばなかったの?」
ぎく。
馬車馬のパトリシアの手綱に掛けた手が止まる。
「式の準備の時にちょっと話したけど、なかなかいい子だったわ。それに、あたしじゃなくたって天空の盾を手に入れることは出来たでしょ?」
「あー……」
おそらく何の意図も企みもない純粋な質問なのだろうが、リュカは思わぬタイミングでの質問に少々たじろぐ。
今更下手に言い訳したところで、何の意味もないだろう。どうせもうすぐ別れることになるんだ、ここでぶちまけた方が気が楽になるかもしれない。
「……嫌いなわけじゃないんだよ。ただ」
「ただ?」
「……怖かった、とでもいえばいいのかな」
山奥の村で再会したビアンカは、外見はとんでもなく美人になっていたとはいえ、中身はいっしょにお化け退治に行った頃のままだった。
あの頃から全く変わっていない綺麗な心のままのビアンカを見て、リュカは嫉妬にも羨望にも似た感情を覚えていた。
彼女は清らかにまっすぐなままなのに、どうして俺はどす黒く捻くれてねじ曲がらなくちゃいけないんだ。
彼女は静かに穏やかに暮らしているというのに、どうして俺は辛い思いばかりしなきゃいけないんだ。
彼女はずっと幸せだったのに、どうして俺は。
どうしようもない程に卑屈な自分がそこにいた。旅を楽しむビアンカの笑顔を見る度、明るい笑い声を聞く度、彼女が全く違う次元の人間に見えて、まるで“自分は不幸なのだ”と思い知らされているような心地だった。
出来ることなら会いたくなかった。知りたくなかった。永遠に思い出の中の人でいてほしかった。
水のリングを捜しに一緒に旅をしたあの一瞬、たったあれだけの時間で、かつての憧れのおねえさんはリュカのコンプレックスの塊と化した。
何言われるかな、と少し覚悟を決めていたにもかかわらず、デボラからはあっさりした言葉がかえってきた。
「あんた、本当にビアンカのこと大事なのね」
あっけらかんと言い放つデボラ。そのあまりのさっぱり具合に、リュカは困惑して言葉を失う。
ビアンカから逃げ出したようなものなのに、彼女のそばにいたくない、と思うことがどうして“大事”に繋がるのか全くリュカには分からない。
「……そう……か、なぁ……?」
返す言葉も疑問形だ。
「歯切れ悪いわねぇ。要するに、あの子を傷つけたくないから離れたんでしょう?」
「…………」
言われて初めて、胸のつかえがストンと落ちたような気がした。
あのままそばにいれば、嫉妬に狂ってしまいそうで怖かった。幼い頃のまっさらなままの穢れのない彼女を、自分のそばに置くことで汚してしまいそうで怖かった。
何が怖かったのかと聞かれれば、確かに彼女を傷つけるのが一番怖かったのだろう。
「……大事だから汚したくなかった、が一番すっきりする答えかもしれんな」
「じゃあ何?あたしだったら傷つけようが汚れようが構わないってわけ?」
「え」
拗ねたような声に振り返ると、デボラはご機嫌斜めな表情だ。
「いやいや、そういうわけじゃ」
「言葉だけ見たらそういうことになるじゃない」
「違うっつの」
「あーやだやだ、ホントにあんた自分のしたいこと以外見えてないわよね」
「そんなつもりじゃないって」
「さすが腹黒性悪小魚」
「だから……って待て、なんだ小魚って」
「小魚は小魚よ。……ふふ」
くすくすと笑うデボラを見て、どうやらからかわれていたらしい事に気付く。真面目にとりあった事が少し悔しくて、リュカはぷいとデボラに背を向けてパトリシアの首筋を撫でた。
珍しくしてやったりなデボラは、そんなリュカの背を眺めて呟いた。
「本当に、あたしとあんたはそっくりだわ」
デボラの声のトーンが少し落ちたことに、リュカは気付かない。
「嫌になるくらいにね」
リュカがその言葉の真意を知ることになるのは、もう少しだけ先の話。
「そういえば、もうひとつ聞きたいんだけど」
御者台に座ってじゃれつくメッキーと遊んでやっていたデボラが、不意にリュカに話題を振った。
「何だよ、さっきから質問攻めだな?」
「しょうがないじゃない。大体お互いを知らなさすぎるのよ、あたし達」
「夫婦なのにな」
「新婚ほやほやなのにね」
ここまで冷めたハネムーンがあったもんかね、と互いに苦笑いを交わしてから、デボラが質問を続ける。
「あたしがプロポーズ断ったらどうするつもりだったの?盾も結婚も諦めてた?」
「とんでもない、盾だけはどんな手を使っても手に入れるさ」
「……どんな手、って例えば?」
「フローラさんに求婚する」
「なんですって!?」
「めきゃっ!!!」
デボラのあまりの剣幕に、じゃれついていたメッキーが転げ落ちて馬車の床に頭を打ち付けた。リュカは頭を押さえるメッキーを抱き上げてやってから、ハッと我に返ったデボラに言ってやる。
「……っていえばあんた乗ってくるだろう?」
あまりに綺麗に嵌ってくれたので、リュカは笑みを隠しきれずに吹き出す。対するデボラは苦い顔だ。
「……逃げ場は元から無かったわけね」
「まぁ、元から逃がす気もなかったけどな」
「へ?」
メッキーを受け取ろうとしたデボラが固まる。
……最初からあなたを狙っていました、という意図ではなかったのだが、敢えてリュカは訂正をしない。
不意打ちで可愛いのはずるいだろう、畜生。
「……そう」
目をそらした彼女の顔は耳まで赤かった。
Scarlet Honeyの補足というか裏話というか。
リュカの結婚は多分誰にとってもすっぱいものだったんだろうなぁ、みたいな意味でタイトル付けました。本編で説明し損ねたところを拾う形の話です。フローラがリュカに言いかけた事とか、ビアンカの皮肉めいた笑いの意味とか、本編だとぼかしてましたからね。ちゃんと考えてますよーという言い訳の意味も込めて(笑)
後編のお話は Scarlet Honey に入れるか入れまいかずっと悩んでました。最終的には「本編主デボなんだし、完成速度優先しよっかなぁ」と思ってカット。
ゲームやってる限りでは、主人公がビアンカを嫁に選ばない理由って一切見当たらないんですよねー。
フローラは可愛いしデボラだって色っぽくて素敵なのですが、やっぱり幼馴染属性と思い出補正は強力なので。
実際私も家族内のネタとしてデボラを選んだだけで、一人でやるんだったら確実にビアンカを選びますしねぇ。
そこをうちの主人公に何とかして歪めて解釈していただき、こんな話になりました。
うちのリュカは腹黒でひねくれ者である以前に劣等感の塊なんだろうなぁ、と思います。だからこそひん曲がった生き方してるデボラに親近感を抱いたわけで、多分ビアンカと自分を比べていたたまれない気持ちでいっぱいだったんじゃないかなぁ、とか。
でも数少ない大切な昔の友人で、一緒に居続けて嫌いになりたくなかったから結婚したくなかった、という理由だったらなんとなくしっくりきませんか。……きませんか。
Scarlet Honeyでブラウンが「ビアンカと話してる時、何かこらえてるみたいだった」的なことを言ってますが、リュカのこの辺りを感じ取ってたんだと思います。
そんでもって、後編あたりですでにリュカはデボラに落ちてたらいいなと思います。
デボラがいちいち照れてるのは単純に男慣れしてないからです。その反応を楽しんでるうちに彼女にのめりこんでいけばいいと思うよ!!(なげやり)