【1】船旅

 結局のところ、自分は要領が悪いのだろう。
 何度目かわからない溜息をついて、タキ=フォンブックは狭い船室についた小さなはめ殺しの窓に目をやった。先程まで希望溢れる未来を夢見て立っていたランシール大陸が遠ざかっていく。
 窓の外にはあいにくの曇り空が広がっている。船出には似合わないが、今の心境にはぴったりなのかもしれない。旅立って数時間しか経っていないが、タキの心は帰りたい気持ちでいっぱいである。

 小さな頃からそうだった。外で駆けまわれば必ず3度は転び、家で絵を描けば床に絵の具をこぼし、近所の子と遊べばからかわれいじめられ。
 だから本を読むことに傾倒した。読んでいる間は転ぶこともないし、部屋を汚すこともないし、いじめられることもないと思った。絵本を読んで空想にふけり、子供向けの術書を読んで魔法の不思議に触れ、伝記や歴史の本を読んで在りし日の偉人達に思いをはせた。置きっぱなしの本に躓いて転び、本棚に収まりきらない本で部屋を汚し、近所の子には“本しか友達がいない”といじめられたが、このあたりはもう自分の性格なのだろうと弱冠6歳にして悟り、諦めていた。
 自然と勉学の道へ進むことを決め、神学校に入ってからはさらに本を読んだ。知識の量はさらに増え、同級生とは会話が噛み合わなくなってきた。一度教授の間違いをおそるおそる指摘したら、プライドに傷をつけてしまったらしく凄まじく怒られて、さらに孤立してしまった。
 自分の要領の悪さはわかっていたが、それでも勉学の道を諦めることだけは出来なかった。“やめておけ”だとか“お前には無理だ”なんて周りには馬鹿にされたが、そんなことは関係なかった。
 一度だけでいい、純粋な自分の力を試してみたい。そう思ったのは、“態度が気に食わない”という理由だけで教授に半年かけた研究結果のレポートを破り捨てられた時だった。この場所では、もう自分の力を発揮することは出来ない。最高学府であるダーマを目標に据えるのに、そう時間はかからなかった。
 両親は幼い頃に亡くなっていたし他に親族も親しい友達もいなかったので、特にこの国に思い残すことはなかった。進学費用にあてていた本屋の給料と今までの貯金を全て旅費に変え、旅支度を整え、バハラタ行きの船のチケットを取った。
 ここまでは、完璧だった。

 

 

「…………まさか、乗る船を間違えるなんて……」
 タキはもう一度溜息をついた。
 乗り間違えた船は、漁船に偽装した密輸船。海賊への物資供給で荒稼ぎするのが目的だった船長は、間違って乗り込んできたタキをあろうことか商品と一緒に海賊に売りつけたのだ。転んでばかりの本の虫に逆らう力などあるはずもなく、タキは抗うこともできずに海賊船に連れ込まれ、牢獄のような狭苦しい部屋に放り込まれたのである。
 さぞかし良い値で売れたことだろう。若い男だから鍛えれば長く使える奴隷になるし、華奢な体つきだから男娼としても申し分ない。金持ちに売りつけるならどちらが高く売れるのだろうか。勿論どちらも願い下げだけれど。
 何とかして逃げ出したいところだが武器も金目の物も取られてしまったし、ここは海の上だから逃げ場も無い。大体扉の外に出られたとしても、何の抵抗も出来ずに海賊たちに部屋に連れ戻されるのは目に見えている。
「こんなことなら神学と治癒学だけじゃなくて、魔術系にも手を出しておけばよかったなぁ……」
 魔術系なら攻撃呪文も多彩に覚えられるし、何より移動呪文が覚えられる。それがあればここから出ることも容易だろうが、後悔先立たず。治癒学は多少実用性があるが、あれだけ勉強した神学に至っては役立ちすらしない。
 これから待ち受ける苦難の日々を想像してさらに溜息を重ねる。
 ああ、神様。
 今まであなたの事を学び続けた子羊が、これだけの災難に見舞われているというのに。
 やはり救いの手を差し伸べてはくださらないのですか。

 何も考える気が起きずぼうっと外を眺めていると、ガチャ、と扉が開いた。とうとうお呼びか、と覚悟を決めたがどうやらそうではなかったらしい。タキの目の前に何かが乱雑に放り込まれる。
「うわっ!! ……いってぇな、何しやがる!!」
「そこで大人しくしてろ。明日船長から直々に処罰が下されるだろうよ」
「そんな……あ、ちくしょう!待てっつーの!!」
 文句をつける青年を残し、ガチャン、と再び扉が閉まる。青年は扉を開けようと試行錯誤していたが、鍵のしっかりかかった扉がやかましく音を立てるだけに終わった。
「ぁんだよ、ちょこーっと手ぇ出しただけだろー……」
「……何に手を出したんですか?」
「うぉ!!?」
 お化けでも見つけたかのような勢いで飛び退った黒髪の青年は、どうやらタキの存在に気付いていなかったようだ。驚かれるのは心外だったが、例の教授のように存在を無視されるよりは余程心地がいい。
「何だよ、人がいたのか……びびったぁ」
「す、すみません。驚かせるつもりはなかったのですが……あの、大丈夫ですか?」
「……おう、ちょっと尻餅付いただけだ」
「かなり乱暴に突き飛ばされたように見えましたが……」
「なぁに、俺には幸運の女神様がついてるからな。あの程度どうってことねぇさ」
 どうやらこの部屋は、船員を閉じ込めるための仕置き部屋のような役割を果たしているようだった。先に仲間がいたのが嬉しいのか、青年は嬉々としてタキに話しかけてきた。
「アンタ、見ない顔だな。新入りさん?」
「……新入りと言えるのかは、わかりませんが。今日の昼にこの船に来たばっかりです」
「今日の昼だぁ? 今日はどこにも寄港なんかして…………あ、もしかして!」
「…………ええ、買い取られた奴隷候補です」
「あはははは、あの性質の悪い商人に売り飛ばされた可哀想な兄ちゃんか!」
 豪快に笑い飛ばされた。どうやらタキの哀れな現状は、一応海賊たちの同情を買えているらしい。
「噂になってたぜ。船の上じゃどうせ使い物にならねーだろうから、アリアハン辺りで売り飛ばすっつってたかな?」
「アリアハンですって!!?」
「うわっ!?」
 予想外の地名に、タキは青年に掴みかかる勢いで聞き返す。海賊に売り飛ばされるならば、貿易が盛んで運航ルートがきちんと確立しているというポルトガか、運が良ければランシールやダーマのような学術都市とある程度交流のあるバハラタ、運が悪ければ闇商売の堂々と行われているアッサラームだろうと思っていたが。
「アリアハンって、アリアハンって!! あの鎖国中の!?」
「おう、そうだぜ」
「世界大戦以来だんまりを決め込んで他国との交流を一切絶っているあの!?」
「そうだな」
「文明の発達が100年単位で遅れているというあの!?」
「や、それはどうだか」
「そんな……よりにもよって現在人がいるかどうかもわからない国だなんて……ああ、神よ……!!」
 さらなる絶望に打ちひしがれていると、青年がポン、とタキの肩を叩いた。
「いやいや、“売り飛ばす“っつってたんだから。さすがに人はいるだろ、買い手がいるんだからさ」
「……あ、そっか」
 アンタおもしろいなー、と青年は笑う。
 よく笑う人だと思った。何だかこうして普通の会話をするのは久々な気がした。言葉のキャッチボールが心地よいせいで、つい必要ない事まで口走ってしまう。
「……僕、ダーマに行きたかったんです」
「ダーマ? あー、言われてみれば学生っぽい身なりだもんなぁ」
「ポルトガでもアッサラームでも、地続きの国なら、まだ望みはあったんです……でも、別の大陸だなんて。しかも、よりにもよって鎖国中だなんて」
 あまりのショックに涙が滲む。どうしてこう、僕には運が無いのだろう。そろそろ溜息もつき飽きてきた。
「ま、そう落ち込むなよ!生きてりゃそのうち行けるって。アンタまだ若いだろ、いくつだ?」
「……18です」
「お、同い年。まだまだ人生長いんだからさ、お互い気長に行こうぜー」
「……あなたの考え方が羨ましいです。僕もそうなれたらいいのに」
 気楽過ぎもよくねーけどな、と青年は再び笑う。その笑顔に少し救われながら、ふとタキは最初の質問の答えを得られていないことを思い出した。
「あなたは、どうしてこの部屋に? 先程“手を出した”とかおっしゃってましたが」
「あー、あれなぁ。俺、まだここ来たばっかでさ。超下っ端じゃんな」
「そうなんですか」
「やっぱ下っ端って雑用がメインの仕事じゃん? で、甲板の掃除やらされてたんだけどだるくてさー」
「はぁ、それで」
「で、近くの女の子にちょっかい掛けてたんだよ。そしたら、なんと!」
「……なんと?」
「その子、船長の娘だったんだよ!」
「あらま」
「船長、親バカで有名な人でさ。“明日の朝には切り刻んで魚の餌にしてやるから覚悟しろ”だって」
 まったくよー、と呆れたように溜息をつく青年。閉じ込められた理由は随分下らないが、下される処罰の内容がおかしい。
「……それ、あなたの方がよっぽどピンチじゃないですか?」
「そうかもな。あーあ、俺の命も明日までかー」
「そんな……! 今からでも、謝りに行けば許してもらえるかもしれないじゃないですか」
「いやだね。言っとくけど、あの子だって結構ノリノリで口説かれてたんだぜ? 悪いのは俺だけじゃないね」
「責任の重さの問題じゃないですよ! 殺されちゃうじゃないですか!」
「はは、大丈夫大丈夫。何とかなるって」
「……その根拠は?」
「幸運の女神様がついてるからだ!」
「…………」
 前言撤回。僕は、あなたのようにはなりたくない。というか、なれそうもない。
 旅先(?)で出来た友人をどうにか救ってやることは出来ないだろうか、と考えをめぐらそうとしたその時。

「クラーゴンが出たぞ!! 全員戦闘配置につけ!!!」

 甲板の方から船長の物と思しき怒鳴り声が聞こえてきた。同時にバタバタと廊下を走る音が船内に響く。クラーゴンと言えば、大王イカに匹敵するかなり大型のモンスターだったはず。タキは昔見た図鑑の記憶を思い出す。
「あちゃー……随分やっかいなのにでくわしたなぁ」
「勝てるんですか? 確かすごく凶暴な魔物ですよね」
「どーだか。この船の戦闘員、正直かなり質が悪いからな」
「そんな……」
 船の揺れが激しくなる。クラーゴンの吸盤が、べたりと小さな窓を覆い尽くした。
「ひぃ!?」
「うわ、でけぇ!」
 これはもう、ダメかもしれない。タキは死を覚悟して、救いもしない神に末期の祈りをささげようとする。青年もさすがに魔物の規模に焦っているのか、タキの肩を掴んで揺さぶる。
「なぁ、アンタ! 学生でダーマ目指すってことは、魔法使いの卵とかだろ!? 何か呪文使えたりしねーの!?」
「無茶言わないでくださいよ! 僕、神学校生ですよ!? 治すか祈るかしか出来ませ……あっ」
「……何か、あるんだな?」
「あるにはありますが、今の僕で使えるかどうか……それに、あのクラーゴンに効くかどうかも」
「試してみようぜ。どうせこの船の奴らじゃ敵いっこねぇよ」
「でも……」
「いーからいーから。俺がピンチなんだから、幸運の女神様だってきっとお前に味方してくれるって!」
 なんて無茶苦茶な理論を、と否定しかけたタキだったが、確かに今は失敗を恐れている場合ではない。試す価値はありそうだった。
「……すみません。その窓、割ってもらっていいですか」
「おうよっ」
 今の実力ではかなり成功率が低い呪文だし、精度も得意な回復呪文に比べたら遥かに劣るだろう。しかし、この場で死ぬよりはやったほうがマシだ。
 青年がはめ殺しの窓に正拳突きをかますのを確認して、タキは深呼吸をして右手をクラーゴンにかざした。
『――― ……全知全能の神よ 我は汝が僕 その御力をひととき我に与えたまえ…… ―――』
 魔力の精製はいつも通り。しかし、ここから先は馴染みのない術式変換だ。青年も不安げにこちらをみつめている。
『――― ……命の理は 我が手に在り 神に仇なす悪しきかの者に 裁きの鉄槌を…… ―――』
 青白い光が放たれて、ひとまずあらかたの工程が成功したことに安堵する。さすがは命を操る高等呪文、変換自体は単純でも魔力のコントロールが難しい。ベクトルと座標をクラーケンの頭に指定し、発動印を切る。

『――― ザキ』

 ごう、と命を奪う光と風が通り抜け、クラーゴンに吸い込まれていく。きちんと発動はしたようだが、成功するかどうかは五分だろう。
 その様子をぽかんと見ていた青年が、息を荒げるタキの方に慌てて向き直る。
「……今の、どんな呪文なんだよ!?」
「敵の血液を凍らせる即死系呪文です。今回は敵が大きいので、脳に効果範囲を絞ったのですが……」
「すっげぇ!! なんだよ、勿体ぶってたわりに難しいの出来んじゃん!!」
「うわっ!?」
 ばしーん、と思い切り背中をたたかれ、タキは思わずつんのめる。まだ効いたかどうかも分からないのに、久々に褒められたのがこそばゆくて笑みがこぼれる。
 すると。

――― ざっぱーーーーんッ!!!

「うひゃあっ!?」
 再度、大きな揺れに見舞われる。クラーケンの足はまだ船体に絡みついたままだ。
「や、やっぱり効かなかったんでしょうか……!?」
「まさか!」
「でも、じゃあこの揺れは……」

――― ばきばきばきッ!!!

「うぉっ!!?」
「ひぃっ!!?」
 凄まじい衝撃音と共に、突然視界が開ける。
 まず目に入ったのは、いつのまにか真っ青に晴れ渡った空だった。
 次に目に入ったのは、無残に破壊された壁と、ぶくぶくと沈んでいくクラーゴン。
 おそらく息の根が止まったクラーゴンの足が思い切り叩きつけられた衝撃で、壁が破壊されたのだろう。今生きているだけでもかなり運がいい、落下する足の軌道に一歩でも入っていたら即死だった。
 しかし、狭苦しい部屋にもたらされた開放感に浸っていられるのもつかの間。
「…………」
「…………」
 船体の損傷は、激しいどころの騒ぎではなかった。先程落下してきたクラーゴンの足は船を真っ二つにしたようで、船を支える竜骨がバキ、バキ、と折れていくのがここからでも見える。沈むのは時間の問題だ。
「……なぁ」
「……はい」
 壊された壁の一部が、イカダのように足元にぷかぷか浮いている。
 かたや近い将来奴隷として人身売買、かたや明日にでもミンチにされ魚の餌。決断を迷う理由など、どこにもなかった。
「逃げるぞっ!!!」
「はいっ!!!」

 

 

「……着いたな」
「……着きましたね」
「生きてるな、俺達!」
「生きてますね、僕達! もう自由の身ですよ!!」
「いよっしゃあーミンチ回避ーー!!」
 タキ達は砂浜にばったり倒れ込む。日差しに温められた白い砂が心地いい。
 タキが唱えたバギによって風を起こし、青年が服を使って作った即席の帆を操って陸地を目指すという強引な荒業だったが、青年の野性の勘に従って動かすうちに、半日もかからず陸地に辿りつくことが出来た。
 青年と手を取り合って喜びながらタキは、本当に彼には幸運の女神がついているのではないかと思うようになってきた。もし自分だけで遭難したとしたら、一か月は陸地に辿りつかない自信がある。
「はー、生き延びたのはいいとして……ここは一体どこでしょうか?」
「わかんねぇ! あっちに高台があるから、行ってみようぜ!」
 早く早く、とせかす青年に慌ててついていく。あれだけのことがあってまだ走れるだなんて、どんな鍛え方をしているのだろうか。待ってくれと声をかけようとして、ふと気付く。そういえば、まだ互いに自己紹介もしていない。

「おっ、街がある! ひとまず飢え死には避けられそーだな」
 見晴らしのいい丘に登ると、立派な城と城下町が見えた。城の作りからして、かなり長い歴史のある国だろう。近くの湖の孤島にポツンと塔が建っているのも確認できる。
「しかし、お金はどうします? 着の身着のまま逃げてきたから、完全に無一文ですよ」
「……結局は金かー。世知辛いね、全く」
「現金どころか、売るものも無いとどうしようも……わぁ!!」
 生きていくこともままならない世の中に対して溜息をつきかけて、タキは目を見張った。
 振り返った先に、とんでもないものが流れ着いている。
「おおっ、こりゃラッキーだな! 一ヵ月くらいは生きてけるんじゃねーの?」
「そ、そうでしょうけど……こんな偶然、ありえません!」
「それがあるんだよ。俺には、」
 砂浜に打ち上げられた、先程倒したクラーゴンの亡骸。
 可食部はもちろん、イカスミや骨を売り捌けばかなりの額が手に入るだろう。きっと、タキの用意した旅費など簡単に上回る金額が。
「幸運の女神様がついてるからな」
 そう言って青年は、黒い髪をかきあげてニカッと笑うのだった。