【2】酒場

 辿りついた国は、タキが売り飛ばされる予定だったアリアハン。
 世界政府の創立国ともあって、国としての規模はかなりのものに見えた。少なくとも故郷のランシールよりは大きな国だ。書物で読んだのとは違い、文明の発達は故郷のランシールとさほど変わりはないようだった。むしろ、閉ざされていた分アリアハン独自の文化が大きく発達しているようだ。見たことのない織物や変わった建築様式の家があちらこちらに見える。
 思ったよりも今までどおりに過ごせそうな国だし、元手になる資金も手に入った。たとえ鎖国中の国だったとしても、奴隷ではなく旅人としてスタートを切る方が余程いい。少しでも生きる希望を見いだそうと、タキは前向きに考える。
 ただ、アリアハンが鎖国を解かない限り、ダーマへの道は閉ざされたも同然なのだが。

 タキがネガティブな考えに負けそうになっていると、バタン、と大きな音を立てて部屋の扉が開いた。
「タキー! 最後のイカスミ売っ払ってきたぜー!」
「ああ。おかえりなさい、ギル」
 つきかけたため息は件の青年の景気のいい一言で立ち消えた。ごつい手が携えている袋から、銀貨の音がジャラジャラ響く。
 幸運の女神を虜にしてやまない彼は、ギルバード=レイスと名乗る旅の武闘家だった。特に世間体の悪い仕事を生業にしているわけではないらしく、海賊船で働いていたのは単純に資金稼ぎの一環だったとのこと。
「……あれから、まだ一晩しか経っていないんですよね。信じられません」
「はは、色々ありすぎて整理できてないか? 金も時間も十分あるんだ、しばらくのんびりしてこうぜ」
 ギルはうーん、と思い切り伸びをして窓辺に寄り掛かった。外に見える中央の噴水広場には、朝の爽やかな日差しが差し込んでいる。祭りでもあるのだろうか、街灯に施された鮮やかな旗飾りが風で翻っている。
 アリアハンの浜辺に流れ着いたのは昨日の夕方。閉まる直前の道具屋に無理を言ってクラーゴンの骨を買い取ってもらった金で宿をとり、その晩は泥のように眠った。明け方に市場でクラーゴンから取れたイカの肉を売り払い、タキはその金で食べ物や衣類等の生活必需品を買いに、ギルはタキに指定された場所にイカスミを売りに行き、今はひとまずやるべきことが終わり、宿で一息ついたところである。
「しっかし、すごいなお前。料理屋だとかインク屋はともかく、何で薬屋にまでイカスミが売れるって知ってたんだよ?」
「以前本で読んだんです、黒死病の薬として扱われることもあるって。伝染病が広まったらこんな島国ひとたまりもありませんし、出来るだけ薬のストックを作っておきたいのではないかと……」
「ほーぉ……まぁ、俺は難しいことはわかんねーわ」
 ギルは磯臭いままの服から新品の布の服に着替えつつ首を傾げる。別に嫌味でもなんでもなく感心しているようで、その笑みがランシールの教授や同級生たちの物と違うのがわかってタキは少しホッとした。
「……そういえば、ギル」
「うん?」
「あなたはこのあと、どうするつもりなんですか?アリアハンで仕事探しでも?」
「あー、そうなぁ……お前は?」
「え、僕ですか? 僕は……その」
 ダーマ神殿で自分の力を試す。そのためにすべてを投げうって旅に出たのだ、そう簡単に諦められる事じゃない。
「この大陸の外に出る方法を探すつもりです」
 密輸ルートを探すなり、数年がかりでもいいから強引に旅の扉を作成して飛ぶなり、合法違法問わずやりようはいくらでもある。ダーマに行くことが出来るのなら手段は選んでいられない。人身売買や海賊といったアウトローな世界に遭遇した影響か、タキはどうやら間違った方向に度胸を身につけてしまったようだった。
 意志が固いねぇ、とギルが笑う。
「よし決めた。これも何かの縁だ、手伝ってやるよ。アンタのやりたいことをさ」
「……へ?」
「神学校生っつーことは、戦う手段なんかほとんど知らないだろ?アリアハンから出られたところですぐダーマに行ける訳じゃねーし、道中の護衛として俺を雇わないか。俺だっていつまでもアリアハンに残りたいわけでもねぇし、な?」
 ギルの助けを借りるということは、幸運の女神を味方につけたも同然だ。しかしタキは、突然の申し出に困惑する。
「し、しかし……僕、学生ですし。雇おうにも報酬なんて支払えませんよ?」
「なーに言ってんだよ。報酬ならもう貰ったぜ?」
「……貰った、って」
 ギルは親指をトン、と自分の胸にあてた。
「アンタがあの化け物倒してなきゃ、俺は今頃海の藻屑だ。命の恩人に借りを返すくらいはさせてくれよな」
「恩人……」
「……ま、小遣い程度に戦利品の3割くらい貰えりゃいいかなー、なんて」
 そう茶化したギルは、ニカッと笑って手を差し出した。
 今まで馬鹿にされてばかりの人生だったタキには、対等な関係を望むギルの申し出がとても新鮮なものに見えた。命の恩人なんて、むしろギルのおかげで遭難せずに済んだのだから、借りならこちらにだってあるのに、随分とまっすぐな人だ。ちょっと楽天的すぎるところはあるけど。
 ダーマのことで頭がいっぱいだったが、環境が一変した今は自分を変えるチャンスでもあるのだ。新しい人間関係で、要領も運も悪かった今までの自分をどうにかしてみるのもいいかもしれない。
「……じゃあ」
 タキはその手を取って頷く。ためしにギルの真似をして、ニコリと笑ってみた。
「協力してください。お願いします!」
「おう、頼むぜ相棒!」
 しっかりと握手を交わし、二人の雇用契約は成立となった。出だしで気の合いそうな協力者が見つかったのは幸先がいい。
「さぁて、そうと決まったらとっとと行動しようぜ!」
「そうですね。早速情報収集……の前に、まずは寝床の確保が先ですか。家賃の安い所があればいいですけど……」
「は?何言ってんだよ、その前にやることがあるだろ?」
「やること?宿のチェックアウトですか?」
「まぁ、そりゃやらなきゃならんことだけど。それよりもっと大事なこと」
「大事なこと、ですか?」
「だーかーらぁ。奇跡の生還と俺らの前途を祝して」
「……祝して?」

「飲みに行こうぜ!!」

 タキがほんの少しだけ協力者選びを後悔していたその時、外では城の演奏隊による祝福のトランペットが高らかに鳴り響いていた。
 国王の祝いの言葉と共に、緑の宝石がはめ込まれた頭冠があどけない顔立ちの少女に授けられる。城に集まっていた民衆からは歓声が沸き起こり、その場に控える重臣や兵士達も誇らしげにあたたかい拍手を送る。
 祭りの中心人物である少女だけが、つまらなそうに欠伸を噛み殺していた。

 

 

「朝からお酒なんて……罰が当たっても知りませんよ?」
「あはは、大丈夫大丈夫。葡萄酒だったら神様だって許してくれるって」
「もう……。今日だけですからね」
「そうこなくっちゃ! ルイーダさぁん、葡萄酒のグラスと……えー、ビール! ジョッキで!!」
 結局ビールも飲むんじゃありませんか。店主であるルイーダの妖艶な笑みに慌てて眼を逸らしたタキは、店内を改めて見回す。
 朝っぱらから飲む人なんて滅多にいないだろう、と思っていたのだが、ルイーダの酒場は午前中だと言うのに多くの冒険者で賑わっていた。酒場の朝の時間帯は基本的に、下ごしらえや開店準備に充てられるものだと思っていたのだが。まさか文化の違い?いや、いくらなんでもそんなはずは………
「ライバルだらけで不安かしら?」
 香水の甘い香りに振り向くと、すぐ近くでルイーダがトレイに酒とつまみを乗せて微笑んでいる。驚いてのけぞったらギルがからかうように笑っていた。少し情けない。
「ふふ、ここで怖気づいてちゃあ勇者様にお近づきになれないわよ? 堂々としてなさいな」
「……ライバル? 勇者? 今日は何かあるんですか?」
「あら。勇者様のバラモス討伐隊に加わりたいのかと思ってたけど、違うの?」
 じゃあこの混雑はとんだ災難ねぇ、とルイーダは呆れたように笑う。彼女にグラスに注いでもらった葡萄酒と泡が溢れそうなビールジョッキで、ひとまず二人は乾杯した。
 ギルはクラーゴンから手に入れたイカスミをこの酒場にも売りに来ていたらしい。すでにルイーダと打ち解けていた彼は、素朴な疑問をルイーダにぶつけた。
「な、な、ルイーダさん。勇者って何? そのバラモスとか、初めて聞くんだけど」
「そうねぇ……まぁ要するに、正義の味方が悪者退治するって話よ」
 20年近く前に起こったネクロゴンド城襲撃事件や、その首謀者であり世界征服に乗り出そうとしているバラモスの存在。民衆の混乱を防ごうと発生から数年の間上層部が情報統制をかけていたため、一連の事件はあまり広く知られている話ではない。
 ちなみにタキは、統制解除後に書かれたネクロゴンドの歴史書をいくつか読んでいたので知識自体はある。なので、ルイーダのぼかしすぎな勇者の説明がすこし引っ掛かった。
「アリアハンからも勇者を輩出するんですか?」
「ええ、当然よ。なにせこの国はバラモス退治に一番に名乗りを上げた国なんだから」
 そういえば、バラモス討伐を志して10年前に討ち死にしたオルテガと言う男は、確かアリアハン出身だったような。
「で、今日が旅立ちですか」
「そう。16歳の誕生日に旅立つっていう噂を聞いて、ここに冒険者たちが集まってるの。みんな勇者のお供に立候補して一攫千金を狙ってるのね」
「なるほど……」
「なぁなぁ、タキ。勇者ってのは?」
「魔王バラモスを倒すための権利を国から与えられた人達です。各国から支援を受けられるだとか、入国審査が楽になるとか、必要な情報が手に入りやすくなるとか、色々……」
「え、“人達”ってことは他にも勇者っていんの?」
「いますよ。主要国であるロマリアにイシス、ポルトガ、サマンオサ……は少し変則的ですけど、僕が知ってる限りでは4人います。アリアハンはチェックしてませんでしたが、この様子だと今年から輩出していくみたいですね」
「へーぇ……」
「国外じゃあんまり情報出回ってないのね。そんな中で颯爽と現れたうちの勇者様がバラモスやっつけて仇討ち……なんて、カッコいいシナリオじゃない。ふふ」
「あはは、そうですね」
 いつの間にかジョッキを空っぽにしていたギルは、バラモスや勇者の知識を持ち合わせていない側の人間らしい。まぁ、詳しく知っているタキやこの国の住人のほうが異質といえば異質なのだが。

 タキがグラス2口で早々にギブアップし、ギルがジョッキ2杯目を空にしようとしていた頃。
 カラン、カラン、とドアベルが鳴った。冒険者の集う酒場に不似合いなヒール音をコツコツと響かせ、紫色のマントの少女が入ってくる。何やら立派そうな騎士と魔法使いを引き連れて。
「下々の民が大勢集まりましたね、勇者様」
 青銀の鎧に身を包んだ騎士が、小馬鹿にしたような目で酒場の客を見渡す。高圧的なのは見た目だけではないらしい。
「ふん、数ばかり揃って……」
 宝石のあしらわれた上品なローブを纏った魔法使いは、そう呟いて怪訝そうに眉をしかめた。
 勇者と呼ばれた少女はどちらの言葉にも一切反応を見せない。カウンターの冒険者登録のコーナーへ向かった彼女は、ルイーダに向かってようやく口を開いた。
「登録、お願い」
「はーい、かしこまりました。そちらはお仲間?一緒に登録しておきましょうか?」
「…………」
 ルイーダの問いかけに応えない少女は、二人に見向きもせず羽ペンを取って記入を始めた。随分態度が悪い。
「も、勿論仲間です! 登録、お願いします!」
「わたくしもお願いしますわ!」
 騎士と魔法使いもルイーダから紙を受け取り記入に取り掛かる。
 勇者って、女の子だったのか。つまみのピスタチオの殻を割りながら、タキは少女の後ろ姿を眺める。魔王討伐という大義名分を掲げているにしては華奢な体躯だが、大丈夫なのだろうか。
 まあ僕には関係ないけれど、とタキは先程のピスタチオを口に放り込む。塩気が効いていておいしい。
「……なぁ、タキ?」
 口の周りに白い泡ひげを付けたギルが、ジョッキ片手に問いかける。
「何ですか?」
「勇者ってさぁ、どうやって魔王倒しに行くんだよ?」
「どうやってって……そりゃあ、世界中を巡って力を付けて、海の向こうの、ネクロゴンド城に……向かっ、て……」
「……もしかしてさぁ」
 タキは愕然とした。何故“関係無い”などと思えたのか、自分の思考回路が不思議でしょうがない。
「一番手っ取り早く外に出る方法って……え、おい、タキ!?」
 気付けばタキは椅子を倒して立ち上がり、ギルの制止も聞かずに少女に駆け寄った。羽ペンをインクに漬けようとしたその細い腕をガッシリと掴む。
「あ、あの!!」
「何」
 特に動揺するそぶりも見せず、少女は淡々と返事をする。対するタキは焦りと高揚で上手い文句が出てこない。

「あなたが必要なんです!! 僕を連れて行って下さい!!」

 口を衝いて出た言葉は本音むき出しだ。
 突如訪れた静寂と刺さる周囲の視線で、タキはふと我に返る。
「……ん? あれ、何か違うような……」
 もしかして僕は、とんでもなくまずい事を口走ってしまったのではなかろうか。片手で口を塞いで自分の言葉を反芻する。視線を掴まれた腕からタキの顔に向けた少女は、少し呆れているように見えた。
「愛の告白なら、受け付けてないわ」
「え!? あ、そうか!! いやっ、違う!! 違うんです、そうじゃなくって、ええと……だからそのっ」
 そりゃあそうだ、いきなりあんなこと言われたって主旨が伝わるわけがない。しどろもどろになりながら、どうにか誤解を解こうとすると。
「おい、いつまで触ってるつもりだ!?」
 パシン、と乾いた音でタキの手が弾かれる。タキと少女を乱暴に引き離した騎士は、かなり苛立っている。
 ああ、よく考えたら僕は、初対面の女の子つかまえて突然口説きだした頭のおかしい奴にしか見えないのか。タキは我に返ったことで、客観的に見た自分の立ち位置を痛いほど思い知る。出来ることなら今すぐここから消えてしまいたい。
 書類の記入を終えたらしい魔法使いが、凹みまくりのタキに追い打ちをかける。
「先に言っておきますけどね。勇者様は仲間の募集はされませんわよ」
「え、そうなんですか!?」
「当然でしょう? 魔王を相手取るというのに、大した実績も無い有象無象に力を借りるわけありませんわ」
「そんな……」
 じゃあ一体、ここの冒険者たちは何のために集まったと言うのか。周囲からも不満の声が漏れる。
 苛立つ騎士が、邪魔だと言わんばかりにタキを突き飛ばした。
「わかったら、さっさとどけ。勇者様の手を煩わせるんじゃない」
 睨みつける騎士の視線から、殺意に近いものを感じる。どうも先程のタキの口上が相当頭に来たらしい。
 口上がどうのこうの以前に、彼女自身が仲間を連れていくつもりがないなら仕方ない。けれど、ここで諦めたら正しい手段でアリアハンを出る方法が。
 ええい外聞なんて知ったことか、と自棄気味にタキはもう一度少女を見据える。
 すると。
「……ふふ」
 どうしたことか。あれほど無表情を貫いていた少女が、肩を震わせ笑っている。
「うふふ……ああもう、おっかしい、あははは」
「ほ、ほら見ろ! 勇者様もお前達を……」
「何を言ってるの。随分おめでたい頭してるわね」
 クスクスと人が変わったように笑う少女は、カウンター席で騎士と魔法使いの登録用紙をヒラヒラとなびかせた。
「仲間の募集はしないって言ったでしょう。私、あなた達を誘うつもりだってないのよ」
「……え」
 ポカンとする二人を横目に、少女は記入済みのそれぞれの登録用紙を丸めて投げる。ゴミと化した二枚の用紙は、美しい放物線を描いて屑かごへ。
「あなた、自分で言ったわよね? 〝勇者様は大した実績も無い人間には力は借りない”って」
「それはここの冒険者共の話ですわ! わたくしは国の魔術大会で優勝、彼だって武道大会で」
「その成績、お父上にお金を積んでもらって得たものでしょ。知られていないとでも思ったの?」
 あなた達の家系と大会側の癒着は有名な話よ、と呆れる少女。ぎ、と歯がみする魔法使いの隣で、騎士は焦りを隠せず少女を問い詰める。先程の高圧的な態度は何処へやら。
「で、では何故! 何故我々をここへ連れてきたのですか、旅のお供としてではないのですか!?」
「しつこいから“好きにしろ”って言っただけよ。勇者様の手を煩わせてるのはどっちかしらね」
「……じゃあどうして、冒険者ギルドなんかに。仲間を募らないなら、ここに来る意味が」
「ああ、さっきの言葉じゃ語弊があったわね。私は、」
 ふいに少女は言葉を切る。椅子から降りると腰のサーベルが揺れた。完全に蚊帳の外のタキを無視し、左の皮手袋を咥えて外す。
 その瞬間魔力が溢れ出し、瞬時に魔力は爆破術へと形成する。
 詠唱は完全破棄、相手に一切隙を与えず。

――― パァン!!

「きゃああっ!!?」
 眼前で爆ぜたイオの爆風で魔法使いが壁まで吹き飛ばされる。
 振り向きざまにすい、とサーベルを抜き、優秀なはずの騎士の首にあっさり刃を押し当てた。
「なっ……!!」
 刃の軌道に気付けもしなかったことに驚いているのか、騎士は言葉も無く呆然としている。鋭利な刃を90度傾け、少女はニコリと微笑んだ。
「私より強い人間以外、仲間として認めるつもりはないの」
 フン、と二人を一瞥して、少女は何事も無かったかのようにカウンターで書類への記入を再開する。そして何の口出しもできず一連の流れを見ていたルイーダに向かって、
「マダム。のどが渇いたわ、何か頂戴。アルコール以外でね」
 平然とそんなことを言ってのけるのだった。