皿いっぱいに盛られた新鮮なウサギの肉を美味そうに頬張るゲレゲレを眺めながら、リュカは朝から上機嫌だった。
「珍しいなー。無駄遣いの嫌いなリュカが、好きなもん食わせてくれるなんて」
「昨日の僕達のアイデアのおかげですね。素敵な御褒美です」
市場には滅多に出回らない林檎と桃の蜂蜜漬けにかじりつくブラウンに、かなり高価な丸々太った骨付き鶏の香草蒸しを口に含んだピエールが答える。ちなみに相棒が食べているのはチーズクリームのたっぷり載った贅沢な木の実のタルトである。
「たまにはな。今回はお前らの手柄だ、思う存分食っとけよ?」
昨晩のデボラとのやり取りから一夜明け、リュカ達は街の市場で朝食を取っていた。
リュカの隣でメッキーは、ニシンやイワシをふんだんに使ったカボチャのパイを必死についばんでいる。その頭を撫でてやりながら、リュカは昨晩のことを思い出した。
ルドマンから結婚相手を選べと言われた昨日の夕刻。重苦しい空気の屋敷からため息混じりに宿に帰ると、リュカは唸りながらベッドに倒れてうつ伏せになった。
「あ゛ー……どうするかな…」
ルドマンの言葉を思い返して憂鬱になる。あそこにビアンカを連れてきたのは失敗だった。まさかフローラさんとビアンカのどっちかを選ばされることになろうとは。フローラさんは何だか嬉しそうだし、ビアンカも結局押されて言いなりになっちゃってるし。
「…………どっちもいらねーよー……」
当初の目的は天空の盾、唯一つ。しかしルドマンの中では、あくまで盾は指輪探しの一景品でしかない。いっそ、娘さんも指輪もいらんから盾だけ寄こせ、と交渉してみるか。いや無理だろうな、俺あの人に妙に気に入られてるし。
リュカは仰向けに寝がえり、少し思案してから部屋で待機していた仲間たちに問いかける。
「……な、ビアンカと一緒に旅してみてどうだった?」
「がう?」
「どうって、何がだ?」
「ほら、その……相性というか。仲良くできそうだったか?」
「めきー……?」
「がうがうー!!」
ゲレゲレが嬉しそうに喉を鳴らしてすり寄ってくる。十数年も前のことをまだ覚えていたのだろうか、ゲレゲレはビアンカにずいぶん懐いていた。そういえば山奥の村でビアンカに最初に気付いたのもゲレゲレだったな。
「そうだよなぁ、お前にとっちゃあ命の恩人だもんな」
「でも、リュカは辛そうだったぞ?」
リュカの枕元にブラウンが座る。
「ビアンカと話してるとき、なんかこらえてるみたいだった」
不安げな顔で、ブラウンはリュカをじっと見つめる。……これは空気が読めてるのか、観察眼がいいのか、それとも単に野性の勘なのか。
「ブラウンさ、変なとこ鋭いよな」
「んー、そうか?」
「うん、鋭い。それでいつも俺、不意打ち食らうもん」
ブラウンの頭でポンポンと掌を跳ねさせて、次は横に寝返る。ブラウンに見破られるほどに顔に出ていたのなら、それが本人にも伝わってしまう可能性もある。やっぱりビアンカは選べない。そもそもビアンカは、病気の家族を放っておけるような人間じゃないからな。
「……となると、フローラさんか……?」
「ふろーら? 誰だそれ?」
「天空の盾を持ってる家のお嬢さんだよ。……あぁほら、デボラさんの妹さんだ」
お淑やかで世間知らずの、いかにもなお嬢様。こちらを選べば、まぁルドマンさんの面子は保たれるわな。天空の盾も確実に手に入るだろう。だけどきっと息苦しい毎日が続くんだろう……俺がポロっと本性見せたら失神しそうだもんな。大体彼女、なんとなく結婚したくなさそうだったんだよなぁ……?
「二人に一人、か……」
どちらかを選ばなければ、本来の目的である盾は手に入らない。どちらも選ばずに盾を手に入れる、という抜け道はないだろうか。
リュカがうんざりして深くため息をつくとドアが開く音がして、いつの間にか外に出ていたらしいピエールが部屋に入ってきた。
「みんな、桃貰ってきましたよー」
「おーさすがピエールっ! 早く食べよーぜー!」
「めっきっきー!」
「桃? 買ってきたのか?」
「宿の人が差し入れにってくれたんです。『結婚相手で頭悩ませてるなら、糖分がいるだろう』って言ってました」
あの店主余計なことを。軽く舌打ちをしてから、リュカは仲間たちが各々手を伸ばす桃を手に取る。あんぐりと口を開けて桃に齧り付こうとしていたブラウンが、その一切れを見つめて、おお、と呟いた。
「なー、デボラは?」
「……へ?」
思わず間抜けな返事をしてしまった。
「よくわかんないけど、女の人を一人選ぶんだろ? デボラはダメなのか?」
「そうですね、面白い人でしたし。それに彼女と僕らはもう仲良しですから」
「……デボラさんねぇ……」
意外な所から出てきた第三の名前に、リュカは桃の実を灯りにかざしながらぼんやりと思案する。
完全に盲点だった。よく考えたら彼女もルドマンの娘だ。最初に話した時に猫かぶり損ねたおかげで気を使う必要もないし、あの性格なら俺の考えを話しても大して動揺しない気がする。
それに、屋敷で感じた違和感。もしも彼女が自分と同じような考え方の人間なら、協力してくれるかもしれない。
「話をする価値はある、か……?」
リュカの頭が少しずつ冴えてくる。抜け道が見つかったかもしれない。
思考を働かせながらリュカは起き上がり、不審に思う仲間たちの視線を無視して外出の支度をする。
「あの、リュカ?」
「ちょっと出掛ける。遅くなるけど、大人しくしてろよ」
「それはいいけどよ。何処行くんだ?」
「屋敷だ。それからお前達、」
ドアを開け、振り向きざまに仲間たちに笑顔を向ける。
「ありがとう。明日は御馳走だ」
その御馳走で懐が痛恨の一撃を喰らったため、リュカ本人は安物のライ麦で出来た堅いパンを口にしている。
「……まぁ、お前達のおかげで盾が手に入るんだ。これくらいの出費、安いもんだわな」
これまた安物の野菜スープでパンをほぐしていると、ピエールが嬉しそうにリュカをみる。
「ということは、これからデボラが一緒に旅をすることになるんですよね? 楽しくなりそうですね」
「そーだな! また木登りして遊べるぞー!!」
「……いや、それは出来ない」
リュカの言葉に、ピエールとブラウンが驚いて振り向く。
そこは最初から考えていた。彼女に協力してもらうのはあくまで天空の盾を手に入れるためで、旅にまで協力してもらうつもりはない。彼女はこのサラボナから出たいだけだと思うし、本人が嫌がるだろう。
「俺は父さんの願いを果たすために旅してんだ。そこに他人の人生まで巻き込むつもりはない」
「でも……」
「忘れてるかもしれんが、お前たちは魔物なんだ。本来人間と対立する立場にいるし、魔物を嫌う人間は多い……というか、ほとんどの人間はそうだろう」
「…………」
「お前らのわがままで彼女を旅に付き合わせるのは酷だろ? せっかく窮屈な所から抜け出せたっつーのにさ」
千切ったパンをスープに漬けながらリュカは続ける。
「まぁ、サラボナから離れるまで護衛として一緒にいるのはありだけど。でも、そこまでだ」
期待に満ちていた視線をぴしゃりと跳ねのけると、二匹は残念そうに肩を落とした。
「……お前らもそうだからな?」
「ふぁに、むぐ……なにがだ?」
両頬にたっぷり林檎を詰め込んだブラウンが問い返す。
「その、旅に他人の人生を巻き込むつもりはない、って事。お前たちにだって無理させるつもりはないんだよ、俺は」
言いながらリュカは、思い思いの朝食を口にしている仲間達を見る。闘って強さを見せつけて従えるという方法ならば、恐怖心から付き従う者もいるだろう。だがリュカはそんな忠誠など望んではいない。
「がうがうー」
食べかけの肉をそのままに、ゲレゲレがリュカにすり寄ってきた。メッキーもパイをついばむのをやめて、リュカの膝に上って羽を休める。
「あーずるいぞ二人ともっ、おいらもだ!」
やっとのことで林檎を飲み込みきったブラウンも、よじ登ろうとリュカに駆け寄る。ブラウンが膝のあたりまでせっせと上ってきた辺りで、じっくり鶏を味わっていたピエールが口を開いた。
「……ええと、リュカ」
「ん?」
「みんな、ずっと一緒ですから。大丈夫です」
そしてピエールは、最後の一切れを口の中に放り込む。少し驚いた顔をしたリュカには目もくれず、肉のとろける旨味に頬を押さえながら。
「……なぁ、ピエール」
「はい?」
「お前、生意気言うようになったな?」
「え」
ほれお仕置きだ、とリュカはピエールの頭をくしゃくしゃに撫でつける。迷惑そうにこちらを見るピエールに、悪戯っぽく笑顔を返す。
この居心地の良さに、彼らの純粋な優しさに甘えている自分が嫌になる。
人間が魔物を嫌うように、魔物だって人間を忌み嫌っている。その人間側に付いた魔物達がどういった扱いを受けるのかは、想像に難くないのに。
「……ごめんな」
「……?」
わけがわからず首を傾げるピエールの頭を、リュカはさらにぐしゃぐしゃに撫でてやった。
『パパに関してはあたしが考えてなんとかするわ。あんたはあたしのフォローしてくれればいいから』
別れ際に今日の段取りを考えていたときに、デボラがそんなことを言っていた。
「とは言え……」
応接間に通されたリュカは困惑していた。
部屋にいたのはルドマンと花嫁候補の二人、ビアンカとフローラだ。どちらかにルドマンの目の前でプロポーズをして嫁を決めろと、そういう制度らしい。これは何かの冗談か。
当初の予定では、部屋で待つルドマンにデボラが結婚する旨を伝え、それに同意していることをリュカが伝えるだけのはずだった。が、そのデボラが何故だか姿を現さない。
(初っ端から計画が崩れてくな……どうしたものか)
真剣にこちらを見据えるルドマンから軽く目をそらし、リュカは思案する。今の状況で“デボラさんを嫁に”などと言える強者がいるのなら、どうにかして力を借りたいものだ。
「さあリュカくん、一晩じっくり考えた結果を教えてくれたまえ」
だからこっちには考えて相談して同意も得た結果があるんだよ。初手で計画を突き崩されて苛立つリュカは、両脇の花嫁候補の二人に視線をずらす。
昨日までの明るい元気な彼女はどこへやら、ビアンカは海の色をした瞳を泳がせて落ち着かない様子だ。こんな彼女は初めて見るかもしれない。意外な様子で眺めるリュカの目に気付いたビアンカは、もごもごと口籠る。
「あの、リュカ……わたしのことなんか、気にしないで。フローラさんを選びなよ」
そういって浮かべるぎこちない笑顔。普段のひまわりみたいな彼女はどこにいってしまったやら。
そんなビアンカとは対照的に、早くビアンカさんを選べばいいのに、とでも言いたげなほんのり明るい微笑みを湛えているフローラ。
「リュカさん、私は守っていただくしか出来ない女ですのよ? ビアンカさんなら、きっとあなたの力になってくださいますわ」
控えめに振る舞いながらも、余裕綽々で無邪気な白百合の笑顔が今は憎らしい。
ここはデボラさんを待つために時間稼ぎをするべきか。しかしどうやって?
試しにどちらかに話しかけてみるか? ……今は最初に話しかけた方と結婚するような流れだ、それだけはマズい。
こちらの態勢を立て直すために、ルドマンさんにもう一晩だけ時間をもらうとか? ……そんなの許すような目ぇしてないもんなぁ、ルドマンさん。
それなら全員に対して話題を投げかけて時間を稼いでみるのも……いや、何の話題を? どんなタイミングで? そもそも無駄口をたたける場面じゃないだろうが。
思い切って階段駆け上がってデボラさん呼んでみたりは……あ、ダメだ。メイドが“問題起こすんじゃないわよ”って目でこっち見てる。
思案を巡らせた結果、リュカはもう一晩時間をもらうのが一番現実的な答えだと決めた。優柔不断だと思われようと気に入られなくなろうと、知ったことか。どちらにしろ指輪は持ってきたんだから、盾はもらえるに違いない。これで縁談が破棄になれば、デボラさんには悪いがしめたものだ。
とにかくルドマンさんに頼みこんでみるか、とリュカはルドマンの方へと向かう。どうか頼みをきいてくれますように、と願いながら口を開こうとした。
すると突然ルドマンが真っ赤になって立ち上がる。
「なっ……なんと、リュカくん」
「はい?」
「ま、まさか、こっ、このわしと申すか!?」
「はぁ!?」
「ならん、それだけはならんぞ!!」
「いや、急に何を言い出すんですか!!」
「絶対にならんぞ、もう一度考え直すのじゃっ!!」
「当たり前ですっ!!」
「い、いや待て、どうしてもというなら……」
「アホかっ!! あんたに興味ある輩なんかいるわけないだろうが!!!」
バシン、と机を叩きつけ、思わず素の口調で叫ぶ。
しまった、と思った時には遅かった。水を打ったように静まり返る部屋の中、全員が唖然とした顔でリュカを見ている。
「リ……リュカさん、どうしたんですか?」
「なんか、リュカらしくなかったけど……」
ビアンカの言葉で、リュカの首筋に冷や汗が流れる。ダメだ、ここで本性晒したら何もかも終わりだ。どうする?
「いや、これは……その、なんだ」
どうする?
―――バターーーン!!!
思いつきかけた切り返しが全部吹っ飛ぶような音で玄関のドアが開く。息を荒げた赤薔薇が、いらだった様子でこちらを見ている。
遅いっつの、と思いながらも自然と笑みがこぼれてしまう。
「デ、デボラ!! これ、部屋にいなさいとあれほど……!!」
「あれほど、何よ? あたし、パパの口からそんなの一言も聞いてないわ」
「確かに言っちゃあおらんが、手紙を置いておいたろうに……」
「部屋に外から鍵かけられてそんな手紙に従うような子じゃないのは、パパが一番良くわかってるんじゃないの」
「そりゃあそうだが……」
こんな風に事態をややこしくすると思ったんだ、と小さくルドマンがつぶやく。思えば最初の登場もなかなかインパクトのあるものだったし、警戒されても仕方がないのかもしれない。
まだ何か言おうとするルドマンを無視して、デボラはつかつかとリュカへ歩み寄り、聞こえるか聞こえないかの小声で話しかける。
(……ちょっと手こずったわ)
(鍵かかってるのに、どうやって出てきたんだ?)
(カーテン引きちぎってロープにしたの。それで3階からダイブ)
(……さすがデボラ様)
「あ、あの……姉さん?」
「へ?」
フローラの呼びかけに、デボラは気の抜けた返事をして振り返る。
花嫁候補の二人は、ルドマン以上にキョトンとしている。あたりまえだ、予期せぬ人物が登場してきたのだから。
ビアンカが困惑しながら、無意識だろうがデボラを追い詰める。
「何か御用……なんですよね、わざわざ部屋を抜け出してきたんだから」
「……そ、そうよ! そうに決まってるじゃない!!」
最初の奇妙な間はなんだ。もしかして抜け出すのに精いっぱいで、入った後のことは何にも考えてなかったのか。
「えー……そうだわ」
リュカがなんとか助け船を出そうとしたその時、何かをひらめいたらしいデボラはリュカの鼻先に人差し指をビシッと突き付けた!
「あんた!! リュカとか言ったわね!!」
「は!? あ、ああ、そうだけど」
「どこの馬の骨だか知らないけど!! 炎のリングと水のリング、両方見つけてくるなんてなかなかやるじゃない!!」
「……はぁ」
「仕方ないから、あたしがあんたと結婚してあげるわ!! いいわね!?」
この部屋が静まり返るのは、今日で何度めだろうか。
「……ふふ」
気まずすぎる静寂を破ったのは、ほかでもないリュカ自身の笑い声だった。
「な……何笑ってんのよあんたはっ!!」
「だって、そんな、はは、あははは」
「やめなさいよ、ちょっとっ、笑うなーっ!!」
「はは、考えた結果がそれって、お前どうなの、あはははは」
「お黙りっ!! 大体誰に向かってお前呼ばわりしてんのよっ!!」
どうやらツボにはまったらしく、リュカの笑いはなかなかおさまらない。恥ずかしさからだろう、デボラの顔は熟れたトマトのように赤くなっている。ビアンカとフローラは、二人のやり取りを見て顔を見合わせ、リュカにつられてくすくす笑い出す。
笑いのおさまらないままのリュカはデボラの肩に手を添えて、苦い顔をしたルドマンに声をかける。
「ふふふ、どうでしょう、ルドマンさん?」
「な……何がだね?」
「デボラさんもこう仰っているわけですし、デボラさんを妻として迎えようと思うのですが?」
「し、正気かね!?」
「ふふ、もちろんです、あはははは」
「むむむ……なんと勇気のある男よ……」
赤面しっぱなしのデボラと笑いっぱなしのリュカと、一緒になって笑っている花嫁候補の二人を眺めて、ルドマンは呆れたように溜息をついた。
翌日のカジノ船での結婚式で、デボラが「これ以上あたしに恥を掻かせるんじゃないわよ!」と言い放つことになるが、その真意を知る者は少ない。