Break the ice【1】

 さく、さく、さく。
 紅の髪が、舞い散る銀杏と一緒に靡く。
「……今日は思ったより冷えるのね。油断していたわ」
 さく、さく、さく。
 緋色のフードが、落ち葉を踏む足音に合わせて跳ねる。
「咲樹、お前薄着すぎ。この時期に上着なしとか、風邪引いても知らねーぞ」
 さく、さく、さく。
 白いカーディガンの裾が、秋風を孕んで翻る。
「大丈夫だよ。昼から結構暖かくなるって、天気予報で言ってたから」
 抜けるような青空の下、色づききった銀杏並木を歩く。こんな風に三人揃って出掛けるだなんて、いつ振りだろうか。
 一歩前を歩く背の高い二人は、こちらに気を遣って速度を緩めてくれているらしい。かつて『冒険』と称してこちらの制止を跳ねのけ広大なショッピングモール内を好き勝手彷徨った挙句、“遅い”、“何故来ない”、“大体ここは何処だ”等と散々理不尽を言ってのけた二人を思い出し、少しだけ微笑ましい気分になる。成長したのは外見だけじゃないんだね。
「喫茶店とかイベントとか、結構いろいろあるって言ってたね。サッコちゃん、何から回るか決めた?」
 サッコと呼ばれて振り返ったのは、幼馴染の近衛咲樹。美しい顔立ちと腰まで伸びた世にも珍しい赤色の髪が、銀杏の黄色によく映える。
「いいえ、全く決めていないわ。隆芳、あなたは?」
 ううむ、と歩きながら思案しているのは、こちらも幼馴染の御門隆芳。そうして真面目な顔をして黙っていれば男前なのに、とつくづく思う。
「俺も別に。響ちゃんこそ、行きたいとこねーの?」
 目立つ外見のわりに思いのほか主体性のない幼馴染達に、渡辺響は苦笑いを返した。二人と比べて地味な自分に嫌気がさすこともあったが、それも昔の話だ。
「じゃあ、とりあえず校内ぐるっと一周しよう? 学校の中と先輩たちの雰囲気が見たくて来たわけなんだし」
 とはいえ、どんな店があるか位は目を通しておいたほうがいいかな。響は大通りで貰ったA4サイズ1枚の薄っぺらいパンフレットを取り出す。裏面には学校の見取り図と催し物リスト、表面にはでかでかと「藤祭」の文字が描かれていた。

 

 中学3年生の秋、受験に向けてピリピリと忙しくなる時期にこんなにものんびりとしていられるのは、この夏に3人そろって同じ高校の入試に合格しているからだ。
 二人と違ってコツコツと努力するタイプの響はそれなりに成績もよく、普通の進学校に進む予定で勉強してきていた。単純に学力の適正だけで進学先を決めようとしていた響を阻んだのは、他でもない近衛家・御門家双方のご両親である。町内を仕切っている地元の有力者である両隣の大黒柱に、“どうか!! 家の子の面倒をみてやってくれ!! 後生だから!!”と頭を下げられてしまえば、余所から引っ越してきたごくごく普通のサラリーマン一家である渡辺家は手も足も出ない。ローンを返済しきれていない一軒家を守るため、勝ち目のないお隣さんとのご近所トラブルを防ぐため、渡辺家一人娘の響は犠牲となったのだ。
 この学校に座学がメインのコースがあって本当に良かった。入学案内を隅から隅までチェックして“魔術研究学科”の文字を見つけた時は、心から安堵したものだ。
「それにしても意外だな。響ちゃん、こっちの分野にゃ興味無いとばかり思ってた」
 彼らの両親が響にプレッシャーをかけていたことは、二人には話していない。別に恩着せがましく話すことでもないだろう、目指す進路を断念させられたわけでもないし。それに、新しい高校に馴染みの友人がいるのは響にとってもメリットだ。
「無いわけないじゃない、名門の二人とお友達なんだもん。せっかく近くに国立の学校があるんだし、これを機に本格的に勉強したくなったんだ」
 別に、嘘は吐いていない。平和のために危ない環境に身を置こうとする二人が心配で、独学だが本やネットである程度の知識は身に付けていた。まさかその環境に自分まで飛びこむことになろうとは、考えもしなかったが。
 バルーンアートで出来た学園祭用の派手なアーチをくぐる。そのそばでひっそりと佇む御影石の門柱に、年季の入った銘板。錆びた「藤之江学園」の文字が、この学校の歴史を思わせる。
 国立藤之江学園。町に張られたシールドの外にはびこる化け物――魔獣――への対策を講じるため、独自の研究を行う国家機関と連携し、戦闘面でも学術面でも対魔獣の力を持つ“退魔師”を育てる、いわゆる防衛学校である。
「来年も同じクラスになれるといいわね。小学校から10年連続、キリがいいわ」
「ふふ、楽しみだね!」
 祭りに賑わう校内の空気にあてられて、胸がドキドキと高鳴っている。来年から三人そろって三年間、ここで過ごすことになるのだ。
 何にせよ、これからもサッコちゃんや隆芳くんと仲良くできるんだもん。結果オーライだよね。

 

 
 
 響達が藤之江学園に辿りついたのは、開場時間からある程度時間が経ってからだった。校舎内にはすでに、学園祭独特の弾むような空気が満ちている。
「さて、と。まずは校内一周ってことでよかったよね?」
「ええ。気になった所があったら見ていきましょ」
 割とクールな性格の咲樹も、今日ばかりはテンションが高そうだ。隆芳も一緒になって、飾り立てられた廊下を物珍しそうにキョロキョロしている。
「なんか美味そうなにおいがする。焼きそばか、お好み焼きか……?」
「動く前にいきなり食べるの? お腹を壊すわよ」
「いいんだよ、育ち盛りなんだから」
「……お金もあんまりないし、食べる量はほどほどにしようね。喫茶店コーナー探そっか」
 手持ちのパンフレットの地図だけでは、現在地がわからない。目印になるものを探そうと辺りに目をやると、正面に立て看板で地図が貼ってあるのが見えた。近付いてパンフレットと見比べてみると、どうやらこのフロアは1年生がメインで展示をやっているスペースらしいことがわかる。
「1-A展示“藤之江学園の歴史と伝統”、1-B展示“魔獣の生態と武器の適正”、1-C展示“魔術構築式の発展とその応用”……なんか難しそうだなぁ。へえ、お店や出し物は2階からなんだ。あ、特別教室棟で1・2年生合同で喫茶店やってるよ! “フジノエ名物 魔法陣カップケーキ おひとり様3つまで”だって、どんな味なんだろうね。ねぇ、サッコちゃん?」
 くるり、と振り返る。
 ざわつく喧噪の中、馴染みの赤髪が見当たらない。
「あれ?」
 嫌な予感がして、反対側にも振り返る。
 目立つ赤いフードも、いつの間にか消えている。
「サッコちゃーん? 隆芳くーん……?」
 響の脳裏に、いつかのショッピングモールがフラッシュバックする。
 前言撤回。あの二人、中身はまるで成長していない。
「……相変わらず自由なんだから、全くもう!」
 目の前の地図で二人が行きそうなところに目星を付けてから、響は天を仰いで溜息をついた。
 
 
(二人とも何処まで行っちゃったんだろ……赤髪なんて、目立つからすぐに見つかると思ってたのに)
 一つ一つ教室を巡ってみたが、見慣れた赤い色は一向に見つからない。とうとう一番上のフロアまで来てしまった。噂にでもなっていないかと周囲の声に耳を傾けても、赤髪の美少女の話も大食いのイケメンの話も聞こえてこない。
(……こうなったら、聞き込み捜査するしかない!)
 現にショッピングモールで迷子になった時だって、周りの大人に“赤い髪の子を見ませんでしたか”と聞きまくって探しあてたのだ。ここまで見つからないのであれば、しらみつぶしに当たっていくしかないだろう。
 手始めに、目の前の3年B組のスペースで受付している女の先輩に声をかける。
「すみません、ちょっといいですか……」
「わあ、よかった! エントリーラスト一人、埋まったよー!!」
「……え?」
「トーナメント制って、一人足りないとシード誰にするかで揉めるのよねー。ほら、入って入って!」
「えっ? えっ!?」
 見た目の割に強い力でぐいぐいと背中を押されて、響は暗幕の張られた薄暗い部屋へと押し込まれる。
「待って下さい! 私、そういうつもりじゃ!」
「いいじゃない、いいじゃない。そんな時間とるゲームでもないからさ」
「ええー……あの、何する部屋ですか、ここ」
「カードゲーム対戦部屋。表の看板見なかった?」
「見てないです。私、人を探していて」
「なに、迷子? 放送かけてくる?」
「……それは、さすがに結構ですけど。あの、赤い髪の女の子と、赤いフードの男の子で、二人とも背が高くて」
「ふうん。じゃあ、君が対戦してくれてる間に情報集めておいてあげる。ほら、ここにエントリー名書いて!」
「あ、はい。ありがとうございま……」
 薄暗い照明の中差し出されたのは、これから対戦するらしい相手の一覧。何やら片仮名の名前が多いように見える。パッションストライカー、ハバネロリベロ、マカロンピッチャー。なんじゃこりゃ。
「……エントリー名って、自分の名前じゃなくて?」
「最初は普通に名前だけにしてたんだけど、結構みんなふざけた二つ名付け出しちゃってさ。君も何かぱぱっと決めちゃって!」
 そんなの急に言われても。響が悩みながら一覧表を指で追い、それらしいものを考えていると。
“血塗られた暗殺者-ブラッディ・アサシン-”
 うわあ、なんかずば抜けて恥ずかしい人がいる。
 内容が内容なうえ、無駄に長いし、ルビまで振ってあるとか。身震いするほど厨2病拗らせてる。
 これに比べたら、何にしても大丈夫そうだな。何やら妙な安堵感を得た響は、迷子の迷子のお隣さんに掛けて、“ネイバーガール”と太枠に記入した。
 
 
 カードゲームなんてルールも分からず対応できるわけがないだろうと思っていたが、何てことはない、ただのUNO対戦をするだけのコーナーだった。
 相手の表情を読み、行動を予測し、先手を打つことが魔獣との戦いではとても重要なため、このUNO対戦により疑似的にその能力を有無を測る、というのがこの催し物の建前らしい。黒い装束を着た悪役感満載の男の先輩が、情感たっぷりに前口上でそんな事を言っていた。
「とはいえ、結構普通に2連勝出来ちゃったなぁ……次の戦いで勝てば、チャンピオンと戦えるのかな?」
 目の前のトーナメント表によれば、勝ちあがった人間はチャンピオンと戦い、それに勝利すれば豪華景品がもらえるとのこと。チャンピオン戦で負けても、トーナメントで1位であれば何かしら景品がもらえるらしい。
 さて、対戦相手は誰だろう。コンソメベーシストに、あんみつピアニストと来て、お次は……。
「……ふん。どいつもこいつも、あたしの敵じゃないわねぇ……」
 颯爽と現れたのは、黒く長い髪を高く結い上げた小柄な少女。鋭い眼光が、メガネの奥から響を射抜く。
「次はあんた? 3連続で腑抜け続きなんて、拍子抜けもいいとこだわ。これなら楽勝、豪華景品ゲットだぜ!」
 パイプ椅子にどっかりと腰を据え、ニーハイソックスの映える足を豪快に組む。自信満々のこの態度に、ちょっとだけ嫌な予感がした。
「別にあんたに恨みはないけど、コテンパンにしてあげるわ! ……えーと、なんだっけ? あぁ、“ネイバーガール”!!」
 ノリノリすぎる少女に圧倒されていると、彼女は鼻息荒く名乗りを上げた。
「この“血塗られた暗殺者-ブラッディ・アサシン-”、高千穂真那様がね!!」
 うわあ、予感的中。
 当たったらめんどくさそうだなとは思ったけど、ここまでとは。精神的にかなり消耗しそうな気がして、響はとりあえず苦笑いを返した。
「……お、お手柔らかに……ね?」