藤之江学園の体育館はかなり広く、さすが防衛学校とでもいうべきか、飛んでも跳ねても暴れてもビクともしない造りになっているらしい。
「……天下一武闘会かっつーの」
中央のアリーナで繰り広げられるド派手な対戦を、一人2階席で頬杖をつきながら退屈そうに眺める。高千穂真那は、大層ご機嫌ななめであった。
最後の1枚に数字カード以外残したらダメだなんて知らなかったんだもん、しょうがないじゃん。結局一位を掻っ攫っていった“ネイバーガール”の、こちらを小馬鹿にしたような忌々しい笑みを思い出し、真那の苛立ちは更に募る。
≪バトルトーナメント第3会場、いよいよ来ました決勝戦! この戦いの勝者がチャンピオンへの挑戦権を得ることになります!! さあ、勝つのはどっちだ!!!≫
プロレス会場のごとく熱の入ったアナウンスを聞き流しながら、ぼんやりと目をやる。どうやらこれから新しく試合が始まるらしい。
戦闘向け学科への入学を希望する生徒の実力を測るための、学校が用意した殺傷性のない武器による、豪華景品を賭けたガチンコバトル。確か一緒に来たアイツは、この謳い文句を見て喜び勇んで体育館へ走って行った。“好きなだけ暴れられて景品までもらえるとか、何それ超おいしいっ!!”などと目を輝かせるあたり、着眼点が奴らしい。
知り合ってから日は浅いが、彼女が負けている所なんて男相手だって見たことがない。どうせ勝つのはアイツだろうなー、と思っていたら、ちょうど目の前のフィールドに見知った顔が現れた。
≪青コーナー!! 15歳にして屠った敵は数知れず! この辺で知らない者はない喧嘩番長!! “死の狙撃手-デス・スナイパー-”、梶小都子!!!≫
≪いぇーい! 応援よろしくーっ!≫
太ももに2丁拳銃のホルスターを携えてピースサインで声援にこたえる小都子の姿は、思った通り余裕そうだ。消耗した様子も見られないので、そう苦戦せず決勝戦まで辿りついたのだろう。ちなみに先程会場にこだました“死の狙撃手-デス・スナイパー-”の二つ名は、毎度喧嘩が始まると狙った獲物を逃がさない彼女を見た真那が、調子に乗ってつけてやったものである。こんな時に使うってことは、梶サン案外気に入ってんのかな。
こちらに気付いた小都子が大きく手を振る。せっかくいいタイミングで来たんだ、連れの勇姿を見て行ってやるのも悪くない。軽く手を振り返しながら少し身を乗り出した、その矢先。
―――ピトッ。
「わひゃあっ!!?」
背後から突然頬に触れた冷たい感触に跳ね上がる。
「冷たっ!! 何っ!? 誰っ!!?」
「あはは、ごめんなさい。そんなに驚かれるとは……」
真那の真後ろで冷えた缶ジュースを持って笑っていたのは、見覚えのある白いカーディガンの少女。
「ね、“ネイバーガール”……! 何でここに!?」
「うわあ、その名前で呼ばないで! ただでさえ恥ずかしいんだから!」
先程のUNO対戦で真那をコテンパンにした宿敵が、ぱたぱた手を振って自分の二つ名に照れている。甘いわね、こーゆーのは恥ずかしがった方が負けだっつーの。
「あらためまして、“ネイバーガール”こと渡辺響です。さっきは遊んでくれてありがとうね」
「……高千穂真那。何よ、敵に塩でも送りに来たの?」
違うよぉ、と笑いながら、響は冷えた缶ジュースを投げて寄越す。苛立ちを露わにする真那を気にする様子もなく、響は当たり前のように隣に座った。片手に持つビニール袋には、今渡されたものと同じオレンジジュースのアルミ缶がいくつか入っているのが見える。
「これ、UNO大会のトーナメントのトップ賞だったの。メーカーも全然知らない所だし、案外ケチだよねぇ」
「……トーナメントの、ってことは、何。チャンピオンには負けたわけ?」
「うん、そうなの。すごかったよー“陰陽系文学乙女”! 全然表情読めないし、Draw4もスキップもこっちが嫌なタイミングでバッチリ嵌めてきてさ。ぼろ負けしちゃった」
「“ぼろ負けしちゃった”じゃないわよ、能天気ね……勝手に負けないでくれる? あんたに負けたあたしの価値まで一緒に下がるでしょ」
「いやいや、勝手にハードル上げたのはそっちでしょうよ……あ、そうそう。私さっきから幼馴染を探してるんだけど、」
≪さあ、相手方の準備が整ったようです!!≫
体育館にこだまするアナウンスで、響の声がかき消される。小都子のいるフィールドの対戦相手を眺めながら、声を聞き取ろうと響の口元に耳を寄せた。
「さっき受付の先輩に“赤い髪の子なら、体育館で見た人がいるらしい”って聞いたの」
「ふうん、赤い髪ねぇ……」
「だから多分、この大会に参加してるんだと思うんだけど」
「そうみたいね」
「……へ?」
「ほら、アレじゃね?」
眺めていた壇上を指差す。小都子と反対側からフィールドに上がってきた少女は、自身の身長と同じくらいの巨大な鎌を携え、真っ赤な長い髪を掻きあげる。
≪赤コーナー!! 退魔師の名門近衛家、実力未知数エンプレス! 真紅の御髪は強さの証か!! “大和撫子『紅姫』”、近衛咲樹!!!≫
高らかに会場に響く咲樹の二つ名に、真那は思わず噴き出した。
「ぶふっ、“紅姫”だって! フツー自分で姫とかつける?」
「……あの子も、ブラッディなにがしにだけは言われたくないと思うな」
苦々しく呟くネイバーガールは、とはいえ恥ずかしそうに頭を抱えていた。
小都子の圧勝を予想していた真那の予想は、端的に言えば外れていた。
大会のルールは簡単、今戦っている円形フィールドから落ちた方が負けだ。ルール無用の単純な喧嘩であれば小都子に分があるのだろうが、飛び道具持ちが押し相撲で接近戦に持ち込まれるようなら話は別である。
乱れ撃つ小都子のゴム弾を軽々と掻い潜り、距離を詰めてはダンボール製の鎌で豪快に切りかかる咲樹。成程、大鎌を華麗に繰る姿は、確かに“姫”然としているかもしれない。どうも相手が悪そうだ。
≪んもーっ、ちょこまかちょこまかうっとうしいっ!! 大人しく当たってよねーっ!!≫
≪ふんっ! 銃弾の雨も、当たらなければどうということはないわねっ!!≫
相性の悪さに苛立つ小都子の声をマイクが拾って、2階席まで聞こえてくる。何やってんだか……喧嘩素人相手に押されるなんて、らしくもない。
「響ちゃん」
横から聞こえてきた声に、何気なく目をやる。
「こんなとこで何してんだ?」
「あ、隆芳くん!」
どうやらネイバーガールの知り合いらしい。背の高いイケメンが、袋詰めされた棒菓子をもしゃもしゃと頬張っている。
「こっちのセリフだよ、こんなとこで何してるの!」
「第一会場の試合出てた。さっきまでチャンピオン戦してたんだよ」
「そういうこと聞いてるんじゃないの! 黙って勝手にどっか行っちゃうのやめてよね、もうっ」
「怒んなよ、これやるから。ほら、うみゃー棒10本詰め合わせ。トーナメントのトップ賞で貰ったんだ」
「……はぁ、全く。ありがとう、私が貰ったジュースもあげるよ」
諦めたように、うみゃー棒とジュースを交換する響。慣れた様子は随分と仲がよさそうである。何だコイツら、リア充か? さっさと爆発しろ。
「そうだ! 紹介するね、御門隆芳くん。さっきまで私が探してた幼馴染の残りの一人だよ」
「名前は知ってるわよ、さっき試合見たから。チャンピオン戦で結構な時間粘ってた侍ボーイ、“大和魂『流星』”でしょ」
「侍ボーイって何だよ」
「うわあ、隆芳くんもそんな恥ずかしいの付けてたの……」
「仕方ないだろ!? 咲樹の奴もノリノリだったから合わせなきゃと思って!!」
試合中の随分と堂に入った二刀流の刀さばきが印象に残り、なんとなく見た目は覚えていた。どうして流れ星なのかと思っていたが、名前を聞いて納得した。“リューセイ”って、“流星”じゃなくて“隆盛”だったのね。
「さっそく友達出来たのか、よかったじゃん」
「うん! さっきカードゲームのイベントで仲良くなったんだ。高千穂真那ちゃんっていうの」
響の軽々しい友達認定に、真那は少々面食らう。この女、さっきのUNO1回こっきりであたしと仲良くなった気でいる。随分と薄っぺらい“トモダチ”だこと。
「……高千穂…って、あの高千穂!?」
緩めの響の紹介を聞いて、隆芳がサッと顔色を変えた。
「……ふうん。そっちの地区でも、ちょっとはあたしの名前が知れ渡ってるようねぇ」
ニヤリ、と意味ありげに笑ってやる。すると隆芳は幼馴染の響を自分側に引き寄せて、露骨にこちらを警戒する態勢に入る。
「……うちの子に、何かご用ですか」
「何。あんた、渡辺サンの保護者か何か?」
「保護者はどっちかっていうと私なんだけどねぇ」
意味もわからず庇われる響が、キョトンとしながら隆芳に問いかける。
「彼女、有名人なの?」
「……そうか、響ちゃんは知らないのか。あの“闇の虐殺”の噂」
「何かもうネーミングからすでに恥ずかしいんだけど」
しらけたツッコミには、聞こえないふりをする。“闇の虐殺”、だなんて、随分と懐かしい響きだ。
あれは、同じ地区に住む小都子とつるみだした頃の話。
ナンパした小都子に適当にあしらわれたヤンキーの逆恨みから始まり、舎弟を引き連れてきたヤンキーを真那が小都子と一緒になって返り討ちにした所、最近治安が良くなったと町の人に褒められ、調子に乗った真那が正義の味方ごっこと称して奴らのたまり場の路地裏に乗り込んで暴れ、小都子も面白がって奴らのカツアゲ現場に割り込んで暴れ、気分がよくなってきたので二人揃って奴らの決起集会に飛び込んで暴れ、色々な所から恨みつらみを買った挙句、すべての発端である小都子が“じゃあ、まとめてかかっといでよ!”と笑顔で言い放ち始まったド派手な喧嘩。
虐殺と銘打ったとおり、相手は頭数ばかりそろってほとんど手ごたえが無く、かかってくるヤンキーは全て真那と小都子の二人だけでツブしてしまったのである。
自分がもう受験生ってことは、あれから半年も経ったのね。時が経つのは早いもんだわ。
「喧嘩を吹っ掛けられて無事に帰って来た奴はいない、とまで言われてる。特にコイツは、影に忍ぶ戦闘スタイルと狡猾な手口から、“血塗られた暗殺者-ブラッディ・アサシン-”なんて呼ばれてるらしい」
「……そう、だったんだ」
警戒を解かない隆芳の後ろで響が呟く。
「なあに、怖気づいた? せっかく“トモダチ”になったのに」
からかうように真那は言う。離れていくなら好きにすればいい。一人知り合いが減ったところで、あたしは痛くもかゆくもないのだから。
隆芳の腕に隠れて表情が見えない。真那のえげつない過去を聞いた響は、
「よかったぁ……!」
何を思ったか、胸をなでおろしたのだ。
「……よ、よかったって、何がよ!?」
想像もしなかった反応に、さすがの真那も虚を付かれた。一緒になって隆芳まで焦っている。
「何にもよかねえよ!! ドの付く不良だぞコイツ!!」
「だって! だって! ちゃんと実績があって呼ばれてるんでしょ!?よかったぁ、漫画とかアニメに影響されてキャラになりきっちゃってる痛々しい子じゃなかった!!」
「ちょっとあんたそんな風に思ってたの!? つうか痛々しい二つ名で悪かったわね!!」
「ああーよかったぁ、ホント! はは、“血塗られた暗殺者-ブラッディ・アサシン-”(笑)」
「鼻で笑うなぁーーー!!!」
自分の話を聞いても怯えず引かず、あまつさえ笑い転げる初対面の大人しそうな女子。出会ったことのないタイプの人間相手は、なんだか調子が狂う。
実は自分から名乗りだしたのだ、というのはコイツには絶対に黙っておこう。真那はひっそりと心の片隅で誓ったのであった。