Break the ice【5】

 さく、さく、さく。
 紅の長い髪が、夕暮れの風に吹かれて揺れる。
「……今日、やっぱり寒いわ。昼間はあんなに暖かかったのに」
 さく、さく、さく。
 緋色のフードに、ひらりと銀杏の葉が舞い込む。
「だから薄着すぎっつったろ……俺の貸すから、羽織ってろよ」
 さく、さく、さく。
 白いカーディガンを、沈む太陽が茜色に染め上げる。
「ふーん……もしかして、そのために今日は普段より厚着してきてたの?」
 うるさい違う違う、と何やら慌てふためいている隆芳とニヤついている響を横目に、咲樹は手渡された緋色のパーカーの袖に腕を通す。隆芳の体温がまだ残っていて暖かい。
 あれから5人で学園祭の様々な催し物ひとつひとつに律儀に足を運んだ結果、気付けば学園祭の終了時間になっていた。方向の違う小都子と真那とは校門手前で別れ、見慣れた幼馴染達と今朝通った銀杏並木を再び歩いている。
「それにしても、面白い子だったね。西園寺さんだっけ?」
「……思い出さなくたっていいわ、あんな子」
 咲樹のイラつく態度で、響がくすくすと思い出し笑いしている。
 学園祭の最中、再び相まみえた“高貴なる姫騎士-エレガントロイヤルフェンサー-”西園寺薫子。どうにもこちらに突っかからないと気が済まないようで、彼女の相手にそれなりに時間を費やしたのだ。
「ふふ、小都子ちゃんを一人占めしたくてたまらない、って感じだったね。可愛かったなー」
「ヤキモチだなんて子供じみているわ。馬鹿馬鹿しい」
「そうだね。昔のサッコちゃんそっくり」
「……いつの話をしているの、響ったら」
「あれ、いつだったけ。サッコちゃんのがよく覚えてるんじゃない?」
「………響のいじわる」
 ごめんごめん、といたずらっぽく舌を出す響。かつての自分たちからは考えられないやり取りだ。

 

 

 生まれついての真紅の髪。その物珍しさから面白がってからかう奴らが後を絶たず、幼い咲樹はいつもいじめられてばかりだった。
 その度助けに来てくれていたのが、隣の家に住んでいる隆芳だった。同じく退魔師の家系で面倒見のいい彼は、隠れて泣いている咲樹をなぐさめ、いじめっ子への報復だってかかさない。咲樹にとって隆芳は、弱きを助け強きをくじく正義の味方だった。
 小学校に入ってからも、いじめられっ子の咲樹とそれを守る隆芳という二人の関係は変わらなかった。しかし一年生の最後の月、響が隣に越してきたことで少しだけ変化が起こる。
“よろしくね、おとなりさん”
 そう言って差し出した響の手を、幼い咲樹はパシリと払いのけた。どうせあの子も、他の子達と同じ。またからかわれるに決まっている。私の友達は隆芳だけで十分だわ。子供らしい狭小で馬鹿げた価値観で、純粋な好意を拒絶した。
 学年が上がっても相変わらず孤独を貫く意地っ張りな咲樹とは違い、素直で人当たりのいい隆芳は響とすぐに打ち解けていた。同じ区画に同い年は咲樹を含めて3人だけ、通学路も一緒なのだから仲良くなって当然だ。
 響は響で、めげずに咲樹とのコミュニケーションを図ろうと努力を重ねてくれていた。毎朝挨拶したり遊びに誘ったり、学校でもクラスメイトとして話しかけてくれたり。よくもまあ飽きもせず続けたものだ、と今になって思う。
 彼女がいじめっ子達のような他のくだらない連中と違うのは、当然わかっていた。それでも咲樹は、どうしても響と仲良くできなかった。
 視線の先にあるのはいつも、クラスの人気者の隆芳と仲良く話す響。自分の一番の友達をあっさりと取られてしまったようで、悔しくて憎たらしくて、そっけない態度ばかり取ってしまう。その頃の咲樹は、どこまでも子供だった。
 忘れもしない、梅雨の淀んだ空のある日。隆芳が体調を崩して休んだその日、いじめっ子は遂にハサミを持ちだした。
“その血みたいな色の髪の毛のせいでいじめられるのよ。仕方がないから、わたしが全部切ってあげる”
 鍛錬を積んでいる身とはいえ体躯は小学2年生、3人がかりで抑え込まれたら振り払うことなどできない。人気の無い狭い部屋、暗がりに光る刃先、口をふさがれて声も出ない。こわい、いたい、くるしい、誰か。ああ、でも、こんな目に遭わずにすむのなら、いっそのこと、こんな髪、なくなってしまえば。
 恐怖で思考が停止する。咲樹があきらめて抵抗するのを止めたその時だった。
“―――ちゃん、先生が探してるよ”
 不意に響く冷静な声。背後からいじめっ子の名前を呼んだのは、息を荒げた響だった。
“先生、とっても怒ってたよ? 何だか知らないけど、早く行って謝った方がいいんじゃないかな”
 柱に手をかけて息を整えながら、響はいじめっ子たちに語り掛ける。各々顔を見合わせた彼女たちは、何やら思い当たる節があったらしく、咲樹を突き飛ばして慌てて職員室へ駆けていった。
 それを見送った響は、へなへなぺたん、と地べたに座り込む。ぽかんとしている咲樹に向け、響は情けなく笑いかけた。
“あはは、腰が抜けちゃった。手すごい震えてる。あーあ、カッコ悪い”
 案外簡単にだまされるんだ、適当でも口から出まかせで言ってみるもんだね、といじめっ子たちが走っていった職員室の方を眺めて呑気につぶやいている。何の稽古もしていない非力な女の子が、咲樹が戦うのをあきらめた相手を追い払ったのだ。
“お姫さまみたいなきれいな髪だもん、大切にしなくっちゃね”
 あまつさえ、咲樹にやさしく微笑む。散々冷たくあしらったにもかかわらず、だ。
 カッコ悪くなんかない、いつもいじわるしてごめんなさい、助けてくれてありがとう。言葉にする前に涙ばかりがあふれてしまい、咲樹はその場で泣きじゃくる。あわわそうだよね怖かったよねもっと早く来ればよかったねごめんね、と慌てふためく響にとんちんかんな理由で慰められる始末。カッコ悪いのはこっちのほうだ。
 あの日を境に、ヒーローは二人に増えた。強くなんかなくたっていい。咲樹にとって響は、いつだって寄り添ってくれる心優しい正義の味方だ。

 

 

 例の西園寺の怒りの原因、何故すぐに思い当たったか。答えは単純、彼女が自分とそっくりだったからだ。かつて隆芳を取られそうになって響に冷たく当たった咲樹と同じように、仲良しの小都子を取られると思い攻撃的になっていたのだろう。彼女の気持ちは嫌になるくらいよくわかる。だってまったく同じことを考えていたんだもの。
 咲樹がイライラしているのだって、別に彼女が嫌いだからというわけではない。見たくもない恥ずかしい思い出映像を目の前で公開再生させられている気分になって不快だったというだけだ。
「……咲樹ってそんなヤキモチ妬きだったか? そんな印象ないけど」
 肝心の妬かれた側は、昔の思い出などすっかり忘れてしまっているようだが。
「ああもう隆芳くん、あなたって人は本当に……どうしてそういう大切なことを……」
「ええーなんだよ、そんなこと言われたら気になるじゃんか」
「忘れたままでいいのよそんなもの。永久に思い出さなくていいわ」
 あーあもったいないなぁ、とぼやく響の口を両手でふさぐ。こんな情けない話、いまさら蒸し返されてたまるものですか。
 三人が出会ってから、かれこれ9年。年が同じで家もすぐ隣、過ごす時間が長かった分、お互いのいいところも悪いところも知り尽くしている。何でもわかってくれている安心感があるとはいえ、知られすぎているというのも問題である。
 どうにも居心地が悪くなって少し早めに歩を進めると、後ろから二人のひそひそ話が聞こえてくる。
「なんか、ずるいよなぁ……俺のが先なのに、響ちゃんばっかり」
「“ばっかり”なんてことないと思うんだけどな。そもそも、私ははじめから奪うつもりなんかないんだからね?」
「つもりがないのにその状態なら尚更タチ悪ぃじゃねーか」
「ふふ。頑張りたまえよ、青少年」
「誰の所為で頑張ってると思ってんだよ」
「あれ、責任転嫁? 誰かさんがなかなか行動に移さない所為じゃないのかな」
「……かなわん」
「だろうねぇ」
 途切れ途切れでしか聞こえてこないせいで、咲樹にはさっぱり内容が伝わってこない。
「何の話?」
「「何でもない」」
 振り返って問いかけても、はぐらかされるばかり。ほんの少しの疎外感があるとはいえ、大好きな二人同士が仲良くしているのは喜ばしいことだ。
 明るく快活な隆芳に、穏やかで心優しい響、そして生真面目でストイックな咲樹。これだけバラバラな性格にもかかわらずこの年まで変わらず仲良しのままでいられるのは、それぞれの気質の凹凸が上手くかみ合っているからだろう、と咲樹は勝手に解釈している。
 積み重ねてきた思い出が、余計に二人を愛しくさせる。このままずっと、三人で仲良くしていられたらいいのに、なんて、そんな途方もない願いを抱いてしまう。それくらい咲樹にとって隆芳と響は宝物のような存在なのだ。
“咲樹ちゃんが今この学校にこだわる理由、わかっちゃったかも”
 別れ際、小都子が咲樹にこっそりしてきた耳打ち。そのものズバリを言い当てられて、咲樹が本日二度目の赤面に至ったのは言うまでもない。
“咲樹ちゃんって、見かけによらず甘えんぼさんだね?”
 クスクスと笑う小都子に、お願いだから内緒にしておいて、と懇願したはいいものの、出会って数時間の少女に見破られる程度の隠し事だ。隆芳も響も、すでに不器用でバカ正直な咲樹の考えなどお見通しなのかもしれない。
 一人悶々と悩んでいると、ピリリ、と後ろで響の携帯電話から着信音。メールを開いた響の顔がパッと華やぐ。
「今日の晩御飯、サッコちゃんのお家で私達の合格祝いだって! ほら見てすごいよ、お寿司お寿司!」 
「はは、すげー量! こんな作ったって食いきれないだろ」
「いつも隆芳の食べっぷりが豪快だからたくさん用意したんでしょう」
「……もしかして俺もうちょっと遠慮した方がいい?」
「うちのお母さんは“作り甲斐があるわ”って喜んでるよ?」
「うちの母もよ。別にいまさら遠慮しなくたっていいんじゃないかしら、育ち盛りなんだもの」
 そんならお言葉に甘えようかな、と結局遠慮するつもりなどない隆芳。昔から変わらない食い意地に、咲樹と響は目を合わせて笑い合う。寿司三昧の夕食を目指して三人並んで家路を急ぎながら、咲樹はこれから始まる高校生活に思いを馳せる。
 4月からは、義務教育の今までと違って退魔師としての鍛錬に専念することができる。愉快な友人も出来たし、倒すべき目標も出来た。環境も人間関係も、目まぐるしく変わっていくに違いない。
 本当はわかっているのだ、“このままずっと”なんてありえないことくらい。
「……ねぇ、ふたりとも」
 それでも。
 いや、だからこそ。
 私を思って優しく慰めてくれる人がいて、私を思って本気で怒ってくれる人がいる。今あるこの絆に、もう少しだけ甘えていたい。
「来年からもよろしくね」
 ただ、それだけなのだ。

 

END

 

あとがき

世界設定にたぎって結構勢いで書き上げた、主人公組の前日譚でした。
短めにするつもりがどんどん長くなっていくのは私が文章書く時の癖なのですが、最初に書いた響ちゃん一人称パートと比べて最後のサッコちゃん一人称パートは3倍近い文章量。衝動のまま無計画に書いてるのがバレますね。
ニックネーム的に付けた二つ名等の固有名詞が厨二病がかっているのは私と原作者が厨二病末期患者だからです。「闇の虐殺-ダークネス・キラータイム-」とかキレッキレで鳥肌が立つ。