夜11時。閑静な住宅街の一角で、ある戦いが始まろうとしていた。
静かに光る携帯電話のディスプレイと真剣に見つめ合う少年の名は御門隆芳。彼は子供の頃からこの戦いに勝利することができず、依然として負け越しが続いていた。
「“何だか眠れなくて”…そのあとの内容に繋がらないな……ダメだ」
「“明日の持ち物、確認したいんだけどさ”……別に確認するほど変な授業は無いしな……やめとこ」
「“宿題でわからないところがあって”……いや、“それなら響に聞けばいいでしょう”で終わるな……うーむ」
クッションを抱えながら、普段めったに使わない脳みそをフル回転させる。提案と却下を繰り返すのは隆芳一人。自室のベッドに寝転びながらブツブツとひとりごとを呟くその姿は、正直カッコイイとは言いがたい。
ディスプレイに映る電話帳の名前は“近衛咲樹”。隣に住む幼馴染であり、同じ学校に通うクラスメイトであり、隆芳が密かに想い続けている女の子だ。
会話の切り口を吟味し、通話ボタンを押す。たったそれだけ(と言いつつ最重要であり最難関)の行為のために、隆芳は毎夜自分の中の勇気と理性を戦わせていた。
とある、ささやかな夢を叶える為に。
「“さっきやってたドラマで”……あいつテレビ見ないもんな……いかんいかん」
「“今日学校でこんな事があって”……クラスメイトなんだから知ってるに決まってるわな……無理がある」
「“学校楽しくやってるか”……お父さんかよ俺は……ダメ、却下」
脳内会議が白熱するにつれて、時計の針はどんどん進む。隆芳が頭を抱えてゴロンと横になる頃には、1時間が経過していた。
「……もう寝ちゃったよな」
壁掛けのアナログ時計を仰いで、隆芳はため息をつく。蛍光灯の眩しさをごまかすために、携帯電話を握り締めていた右手で軽く目を覆った。
大概の戦いはタイムオーバーでケリがつく。よく言えば理性の粘り勝ち、悪く言えば勇気の押し負け。つまり、隆芳が電話をかけるのを諦めて戦いが終わるのだ。
毎晩のようにこんなくだらない戦いを繰り広げている、などと周りに知れたら、もう大爆笑は免れない。甲斐性なし、意気地なし、臆病者のレッテルをバシバシ貼られた挙句一生ネタにされるに違いない。とはいえ隆芳は、貼られるであろうレッテルに不服を申し立てるつもりは微塵もなかった。実際、甲斐性がない所為で話題選びに困っているのだし、臆病で意気地がない所為で電話がかけられないのだから。
「はあ、もう……寝よ」
手元のリモコンで電気を消し、やけくそ気味に布団をかぶる。
ああ嫌気がさす。朝になったら情けない自分なんか消えてしまえばいいのに。
なんて、思っていたその時。
ピピピ、ピピピ、ピピピ……
「うわぁ!?」
手元から響く電子音に思わず飛び起きる。
「なんだなんだこんな時間に……え、」
慌ててディスプレイを確認し、隆芳は硬直した。
“近衛咲樹”
「……っ!」
声も出ないほどの衝撃。
思わずベッドの上で正座する。瞬きをして、もう一度確認しても、電話の主は変わらない。
隆芳の動揺など無視して、咲樹からの呼び出し音は無慈悲に鳴り続けている。
「……あ、しまった、このままじゃ留守電に……!」
我に返った隆芳は、咄嗟に通話ボタンに触れる。
「……も、もしもし」
『もしもし』
電話口から聞き慣れた澄んだ声。
『ひょっとして寝てたかしら?起こしてしまったならごめんなさい』
「いや、起きてたよ」
ちょうど不貞寝しようとしてたところ、というのは黙っておく。その代わりに出てきたのは、脳内会議の産物だった。
「……何だか、眠れなくて」
『隆芳でもそんな事あるのね。意外』
「どういう意味だよ」
『悩み無くすんなり寝ているとばかり』
「失礼だな! 俺だってあるよ悩みくらい!」
『ふふ。それは失礼』
お前の事で何年悩んでると思ってんだ。
……と、口に出来ればどんなにいいか。
まあ、言えたらそもそも電話を掛ける掛けないでこんなに悩む必要ないんだけどさ。隆芳はポリポリと頭を掻く。
「で、こんな夜更けにどうしたんだ?」
『明日の数Iの宿題、当たりそうな問題があるの。解けていたら教えてもらおうと思って』
「響ちゃんに聞けばいいじゃん、俺よか確実だろ?」
『……だって、昨日聞いたばっかりなんだもの。同じの聞いたら響に呆れられちゃう』
「ああ、そういうことか……なるほどな」
その手があったかー、と密かに舌を巻く。次に電話かける時に参考にしようなんて決意をおくびにも出さずに、隆芳はカバンの中から教科書を探る。話し始めてしまえばなんてことはない、普段通りの会話をする事ができる。
要は会話の糸口、きっかけ、取っ掛かり。それさえ手に入ればこちらのものだ。
隆芳のささやかな夢が叶うまで、あと一歩。
「んー……すまん咲樹。あんまり貢献できなかったな」
『いいの、私なりに整理出来たから。明日になったら響か真那に聞いてみるわ』
「そうだな、俺よりはマシな答が返ってくるんじゃないか? ……じゃあ」
『……わ、すごい』
電話を切ろうとすると、不意に電話口の声が遠くなる。聞き取りにくくて少し耳を澄ませると、楽しげに弾んだ咲樹の声。
『ねぇ見て、外! 満月!』
声につられてカーテンを開けると、確かにまん丸の月がぽっかりと夜空に浮かんでいる。月を見てどうこう評価する感性は無いが、これがいわゆる“風流”とかいうものなのだろう、程度の事は、隆芳にもわかった。
「綺麗だなぁ」
『…………』
「そういや、昔から夜空見るの好きだったよな。一昨年のキャンプの時なんか星座の早見表まで持参して……咲樹?」
『……ふふ。そうね、とっても綺麗だわ』
電話の向こうの咲樹は、なにやら上機嫌だ。満月に出くわしたのが相当嬉しかったのだろう。
月から視線を外して夜更けの街を眺めると、庭を挟んだ近衛邸の一階から空を見上げる咲樹の姿が見えた。咲樹もこちらに気づいたようだ。
『遅くまでありがとう。さっきの宿題はおかげで何とかなりそうよ』
「そっか。お前に付き合って夜更かしした甲斐があったかな」
『あら、あなただって眠れなかったんじゃなかった?』
「そうだったっけ」
『もう、いい加減なんだから……それじゃあ、また明日』
「咲樹」
こちらを見ながら首をかしげる彼女に向かって、隆芳は軽く手を振る。
「おやすみ」
『ええ、おやすみなさい』
プツン。
会話の余韻に浸りながら、隆芳はベッドの上に寝転がる。
「…………」
脳内会議の最中に握りしめてクシャクシャになったクッションの皺を伸ばし、あらためて優しく抱きしめる。
叶った。
すげー久々。
高校入ってから初めてじゃないか。
「……ふへへ」
だらしなく緩む頬を隠すように、隆芳は再び布団にくるまる。
夢心地で反芻するのは、電話越しに耳元で聞こえた『おやすみなさい』の七文字。
“おやすみ”
“ええ、おやすみなさい”
叶えたいのは、たったそれだけ。
1日の終わり、最後に言葉をかわすのが自分でありますように。
そんな、ささやかな独占欲。
END
ワンライのお題を使って書こうとしたら1時間どころか3日くらいかかってしまったのでタグ付けをやめたという逸話付きの糖分過多な短編でした。当初は「おやすみ」というタイトルでしたが、他の作品と併せて「Break The ○○」とするためにタイトル変更しております。「the shades of night」で「夜のとばり」だそうです。なんかカッコいい。