インターホンも押さずに、華奢な装飾の施されたブロンズの門をガチャンと乱暴に押し開ける。
(明かりが点いている……やはり、いるのか)
苛立ちを舌打ちに乗せてずかずかとイングリッシュガーデンを進む玉津浦(たまつうら)は、蹴飛ばしたペパーミントの植木鉢など気にも留めない。
“骨になって見つかるだなんて、奇妙だとは思わんか? 奴さん、行方不明になってからせいぜい2週間だというじゃないか”
八剣(やつるぎ)刑事の報告にあった、被害者女性とDNAが一致した白骨化死体の写真を思い出す。警察は遺体の腐食状況の速さに疑問を抱いており、玉津浦も同様に遺体を早く腐食させる方法を模索していた。しかし今にして思えば、あれは“白骨化”などではなかったのだ。
連続失踪事件の8人の被害者に共通するのは“10代後半から20代前半であること”、“美容師やエステティシャンなど美容に関連した職に就いていること”、そして“アーバンホテルのグルメセミナーに熱心に参加していたこと”の3点。被害者の大半が女性であることから、警察はセミナー主催者側の男性従業員を軒並み捜査線上に挙げていた。アリバイのない支店長と運転手がどうやら容疑者候補になっているようだが、支店長はホテルの一室に泊まりこみコンビニ弁当か外食ばかり、運転手は寮暮らしのため食事は食堂で済ませている。自炊をしない人間に、今回の犯行は不可能だ。
(グルメセミナー講師、美食家・雨宮七海……)
小ぢんまりしたネームプレートに丸っこく刻まれた“雨宮”の文字を忌々しげに睨み付けながら、玉津浦は先週の凩(こがらし)とのやり取りを思い出していた。
“だって、不老不死ですよ! 不気味でしょう、怪しいでしょう!? そんな人魚の肉みたいな……”
“人魚じゃない。『八百比丘尼』だ”
“え、や、やお……何ですか?”
“『八百比丘尼(やおびくに)』。かの肉を食らうと永遠の若さと美貌が手に入ると噂の、コラーゲンもビックリの伝説のアンチエイジングモンスターだよ”
“……そうやって聞くと、怪しさが胡散臭い通販のえせ化粧水にスケールダウンしますね”
鍵のかかっていない玄関の扉を開けると、キラキラした愛らしいハイヒールに紛れて見慣れたくたびれた地味なパンプスが転がっている。ああ、案の定だ。
女生徒の間で流行りの『永遠の美を売る行商人』の話。あれを聞かされた時点で、関連性に気付くべきだった。単に被害者に女性が多いという理由だけで、性的暴行目的の犯行だと断定すべきではなかった。女性が多いからこそ、2人紛れた男性の存在をもっと重要視すべきだったのだ。
玉津浦は泥のついた靴も脱がずに、きしむ狭い廊下をドカドカ走る。明かりのついていたリビングから、和やかに談笑する女の声が聞こえてくる。たのむ、どうか間に合ってくれ。
「―――凩ッ!!」
勢いよく開いたドアの先にいたのは、フォークを手にしてキョトンとした凩、そしてハンバーグの載った鉄板を手にしたエプロン姿の雨宮だった。
「……ええっ、教授!?」
「あらあら」
突如自宅に土足で不法侵入されているというのに、雨宮は熱々の鉄板を取り落とすこともなく落ち着いた様子である。慌てる凩は、大方“美しすぎるグルメ評論家”の手作りご飯という美味しい条件に鼻の下を伸ばして釣られたに違いない。
「わあ、あの、ち、違いますっ!! これは捜査の一環であって、決して、その、やましい気持ちでお食事に呼ばれたわけはなくてですね!!」
「いいから黙ってろ。そのハンバーグ、絶対食うなよ」
動揺しすぎて勝手に自供を始める凩はさておき。
「うふふ、こんばんは。前もってご連絡いただければ、玉津浦様の分のお食事もご用意いたしましたのに」
「結構だ。あいにく私は、」
玉津浦は息を整えながら、微笑む雨宮に相対する。
「……殺人鬼と食卓をともにする趣味はないのでね」
直球をぶつけても、雨宮の微笑みは崩れない。
驚いてフォークを取り落としたのは、凩の方だった。
「なっ、何言いだすんですか教授!? 雨宮先生には犯行は不可能だって、八剣刑事も」
「雨宮が捜査線から外れたのは被害者に女性が多いからだ、アリバイに関しては何ら問題はない」
「でも、でも! 被害者たちとの関連性が……」
「お前が雨宮にどんな誘い文句で家に招かれたか、当ててやろう」
「え」
なかなか黙らない凩の鼻先に、人差し指を突きつける。
「“『永遠の美を売る行商人』に心当たりがあるのです。よければうちで食事でもしながらゆっくりお話ししませんか”……違うか?」
「……何で知ってるんですか! プライバシーの侵害ですよっ!」
その泣きそうな顔を見るに、誘い文句は一字一句違わぬようだ。照れと動揺で顔を真っ赤にした凩はおいておくとして。
「どうして私が殺人鬼になってしまうのかしら」
「あんた自身が『永遠の美を売る行商人』だから……正確には、あんたが不老不死の噂を流す張本人だから、だ」
「………」
「“不老不死をもたらす八百比丘尼の肉に興味はないか”と、引っかかりやすい美容関係者に持ち掛ける。詳しく話したいと言って家に招き食事に睡眠薬を混ぜ、寝ている間に殺害。凶器はそう、その……編み上げた、長い髪」
玉津浦は、八剣刑事から借りた写真を取り出す。写っているのは、遺体発見現場に落ちていた、誰のDNAとも一致しなかった一本の髪の毛。二度目の直球勝負に、さすがの雨宮も緊張からか軽く唇を湿す。
「……その場所はよく知っていますわ。たまに通る場所なので、偶然私の髪の毛が落ちていたって不自然ではないと思いますが」
「ああそうだな、確かに証拠としては決定力に欠ける」
「そ、そうですよ! 大体、雨宮先生には動機がないじゃないですか!」
「ええ。それに、こんなに狭い一軒家。被害者の方は合計8名……物理的に、隠しておくことなんて不可能ですわ。そのような絵空事よりも、県外に別荘をいくつもお持ちの支店長様や、遺体の運搬がしやすい運転手様をお調べになった方がよろしいかと」
「……白々しい女だ。隠し場所なんて、もとから用意するつもりなんてなかったんだろうが」
動機、遺体の隠し場所、決定的な証拠。すべてをつなぐカギは、解決していない唯一の謎。
「用意するつもりがなかった……って、どういうことですか?」
「あの白骨化死体は、この女が捨て損なった“残りカス”……もとい“食べカス”だ」
玉津浦は、ダン、とダイニングテーブルを叩きつけた。
「答えろ、美食家・雨宮七海……この食卓に並んでいるのは“誰”の肉だ」
凍り付いた雨宮が目を見開く。庇いつづけた凩も、さすがに顔を青くして、おそるおそるまだ暖かい料理に目をやった。
噂を拡散するため“八百比丘尼の肉”と称してふるまっていた料理は、ほかでもない被害者の人肉。牛でも豚でも鳥でもない、妖怪の肉として振る舞うのに、これほど最適なものはない。信じたくはないが、このハンバーグのDNAは被害者の誰かと一致するはずだ。
「きっ、教授……!!」
「真実はあまりに残酷だ。伝説の妖怪なんかより、人間の方がずっと恐ろしい」
ひきつって言葉が出ない凩を横目に、玉津浦は雨宮に向かって護身用のナイフを突きつける。
黙っていた雨宮が、ふいにニコリと微笑んだ。
「残念ですわ」
冷たくつぶやく雨宮。そのエプロンのポケットから、鈍く光る黒。
「男の肉は、筋張っていて好きじゃないの」
笑顔のままこちらに向けられた銃口。今度は、玉津浦が凍り付く番だった。
「ふおぉ……そうきたかぁ……!!」
文庫本を開いて仰向けに寝転びながら、梶小都子は感嘆のため息を漏らす。まさか、最後の被害者になると思っていた雨宮さんが犯人とは。
先日シリーズ累計100万部を突破した、中高生層を中心に人気を博しているホラー系ミステリー『玉津浦教授の心霊事件簿』。小都子が今読んでいるのは1巻の終わりの章、物語はすでに佳境に差し掛かっている。
『心霊』ってタイトルについてるくらいだからもっとおどろおどろしいのを想像してたんだけど、思った以上にミステリー寄りだよね。今までの流れを思い返しながら、小都子はラストの展開に続くページをめくる。
「あーよかったぁ。ホラーすぎて着いていけなかったら、貸してくれた真那にも悪いし」
あまり本を読まない小都子に“絶対面白いから読め、いいから読め”と寮の隣人である高千穂真那がゴリ押ししてきたこの小説。せっかくおススメされたというのに“面白くなかったよ”と返すわけにはいくまい。
小都子はホラー系のマンガや映画はあまり見ない性質である。別に、怖い話が苦手なわけではない。むしろ小都子は、怖い話を聞いておびえる兄弟達を宥める役に回ることの方が多い子供だった。
日本は火葬ばっかりだから土からゾンビなんか出てくるわけないでしょ、妖怪は昔の人が解明できなかった科学現象に名前を付けたものだから実在しないんだよ、日本人形の髪が伸びるのは付け根の糊が劣化するからなんだって、大体死んだ人がみんな幽霊になってたらそこら中が幽霊だらけでぎゅうぎゅうになっちゃうじゃない、エトセトラ、エトセトラ。我ながら本当に可愛げがなかったと思う。それでも、小都子の説明を聞いて兄弟たちが安心して眠るのを見ると、充足感が得られてうれしかった。
そもそも小都子は、元からお化けや幽霊を怖がったりしない子供だった。そこに兄弟たちを宥める屁理屈を考えるためにいろいろと調べて知識が身についた結果、怖い話そのものに飽きてしまったのだ。
ふと時計に目をやると、いつの間にか1時を回ってしまっていた。大変だ、いくら明日が終業式とはいえ夜更かししすぎた!
「さっさと寝ないと……あ、そうだ。しおりしおり」
そばに置いてあったメモパッドから適当に一枚剥ぎ取り、読みかけのページに挟む。続きは明日……いや、今日の夜に。
朝起きて、真那が迎えに来たら、続きが楽しみだと伝えよう。どんな反応を返されるだろうか。やっぱ面白かったっしょ、と共感してくれるかもしれないし、つまらんなぁもっと怖がれよ、と落胆されるかもしれない。他人をおちょくることに全力をささげる真那のことだ、後者の反応の確率は高い。落胆されても困るなぁ、だってホラー怖がれないんだもん。
それに、と先程の小説に目線を戻す。
『伝説の妖怪なんかより、人間の方がずっと恐ろしい』
玉津浦教授の言葉には、なんとなく共感できるものがあった。触れられない空想の妖怪や死者の魂より、危害を加えてくる魔獣や生きた人間の方がよっぽど怖い。
要するに、小都子は生粋のリアリストなのだ。