全力疾走なんて、子供の頃パパの説教から逃れようとした時以来だったかしらねぇ。
そんな悠長なことを考えるデボラ。十数メートル後ろにはこちらに標的を定めたパペットマン達が猛然と迫ってきている。
「あーもうっ、ちょっと薪拾いしてただけじゃないっ!!なんであんなに怒ってんのよ!?」
文句を垂れつつ実は理由は単純明快。森の中で野宿で使えそうな薪を探している最中、太すぎて上手く燃えなさそうなものを何の気なしに放り投げたら見事にパペットマンの群れにクリーンヒットしてしまったのである。
完璧な美脚をさらに美しく見せる真っ赤なハイヒールは、走りにくいのでその場で脱ぎ捨てた。ひとまずリュカのいるところまで辿りつきたいところだが、慌てて逃げ出したためデボラには野宿の場所がどこだったか既に分からなくなっていた。
こんなことになるんだったらメッキーでもピエールでも一緒に来させるんだったわ。舌打ち混じりにデボラはパペットマンの群れに向きなおる。
(逃げすぎて森で迷ったら元も子もないわ……一か八か、戦ってみるしか)
真っ赤な爪の武器を構え、先陣切って飛びかかってきた一匹目に素早く拳を繰りだす。
ザク、という鈍い音とともに傷をつけることは出来たが、倒せそうなダメージは与えられていない。続く二匹目、三匹目の攻撃をかわしてデボラは後ろに飛び退る。小枝を踏ん付けて素足に傷みが走る。堪え切れずにバランスを崩して尻餅をつくと、殴りかかってきたパペットマンの腕が背後の樹の幹に当たって砕けた。
「……っ、これは」
ヤバい!
隻腕になったパペットマンの空虚な瞳が、捕えたぞ、と言わんばかりに静かにデボラを見下ろす。
やられるかも……!!
デボラが覚悟を決めて両腕を交差し振ってくる攻撃に備えた、その時。
―――バキッ!!
「……は?」
恐る恐る目を開けると、パペットマンの腕は鋭い剣で動きを止められていた。紫のマントを纏った大きな背中に、デボラはつい安堵のため息を漏らす。
「いつまで薪拾ってるのかと思ったら……何してんだあんた」
「……う、うっ、うるさいわね! 来るのが遅いじゃない!」
「はいはいすいませんね……よっ、と」
軽い調子でリュカが横薙ぎに剣を振るうと、残っていたパペットマンの片腕がもげた。
「靴が落ちてて助かったよ。おかげですぐ何かあったんだろうと分かったからな」
「呑気なこと言ってないでっ……あぁ、危ない!」
迫る二匹のパペットマンに悲鳴をあげかけると、リュカは手慣れたように片方を殴りつける。敵の吹っ飛んだ勢いで追撃を仕掛けるもう一匹も押し倒された。しかし迫っているのは3匹だけではない。
「……ちょっと分が悪いな、逃げよう」
「きゃあ!?」
そう言うとリュカは片腕で軽々とデボラを抱え上げ、距離稼ぎになるかなー、と呟きながら風の魔力を剣の切っ先に集中させる。
「え、何よ、ちょっ、」
「―――バギ!!」
呪文が響くや否や剣から突風が巻き起こり、パペットマンの群れがばらばらと音を立てて一気に森の奥に吹き飛ばされる。あっというまの出来事に唖然としていると、リュカが走り出した振動で体がぐらついたので、ハッとして肩にしっかり掴まった。
「全く……危なくなったら叫ぶなりなんなりしてくれよ。居場所が掴めなくてかなり時間食ったんだぞ?」
「…………」
「返事は」
「……ごめん、なさい」
命の危険を救われたのでさすがに素直に謝ると、ご立腹だったリュカが急に黙り込む。
「……あんたが素直だと調子狂うな」
「なによ、せっかく謝ったのに。何か文句でもあるの?」
「いーえ別に」
呆れなのか照れ隠しなのか知らないが咳払いをひとつして、とにかく、とリュカは強引に区切る。
「あんま心配させるなよな。あと少しの付き合いとは言え、一応夫婦なんだから」
「……わかってるわよ」
そうこうしているうちに野営をしていた場所に戻ってきた。薪はピエールやブラウンが新たに拾ってきたらしく、すでに焚火がぱちぱちと音を立てていた。仲間達はさっきの騒動には気付いていなかったらしく皆くつろいでおり、馬車馬のパトリシアも馬具を外して楽そうにしている。
「おかえりなさい。デボラ遅いから、僕らで先に準備しちゃいましたよ」
「おう、御苦労」
「今日の夜飯は何にすんだ? オイラもうリュカの作ったの食いたくないぞー」
「なっ……そんなこというなよ! 美味かったろ、こないだのスープ!?」
「あれはスープじゃなくて“野菜とそのゆで汁”って言うのよ。味付け全然してなかったじゃない」
「ちゃんとしたって! 塩ひとつまみ!」
「鍋いっぱいのスープ作るのにひとつまみで足りるわけないでしょうが!!」
「ま、まぁまぁ……あの、僕またデボラのご飯食べたいです。おいしかったし」
「何だよピエールまで……そんなに肥えた舌の奴が作る飯がいいのかよ」
「あたしのご飯がいいんじゃなくて、あんたのご飯が壊滅的なのよ。ほらブラウン、さっさと包丁とまな板持ってきなさい。……って、なんて顔してんのよ」
隣からあふれ出る黒い気配にビクッとして振り返ると、散々料理の腕を貶されたリュカがぶすくれていた。本当にあたしの前では表情を隠さないわね、としみじみ思う。
「くっそぉ……ただでさえあいつらに懐かれてんのに胃袋まで虜にしやがって」
「ふふ、悔しかったらあの子達のために料理の勉強でもすることね」
「そんな面倒な事してられるか。ただでさえやることだらけなのに」
そういうとリュカはごろ寝していたゲレゲレとメッキーを叩き起し寝床の準備を始める。
サラボナの御屋敷にいた頃とは違う、ぬるま湯のような緩い雰囲気に、デボラは徐々に慣れてきていた。離れたくないだなんて、何をいまさら。あと一週間もすればポートセルミに着くというのに、どうせならこんな気持ちに気付かないまま別れたかったわ。
“……やることだらけなら、これから先もご飯くらい作ってあげてもいいけど。”
なんてことは、言えそうもなかった。
そんなこんなで、あれから一週間。
連日降り続いていた雨が止んだとはいえ空はまだ快晴とは程遠い曇り空である。“空が泣きだしそう”だなんてよく言ったものね、とデボラは寒さに肩を抱きながら分厚い雲を眺めている。
サラボナを出る時に契約に追加したのは、ポートセルミまで一緒に歩いて旅をする、という条件だった。そしてここはポートセルミの入り口である。
「一か月なんて早いものねぇ……ねぇ、メッキー」
「めきゃ」
旅の合間にすっかりなついたメッキーの頭を撫でる。澄んだ瞳はデボラに似た青空のような色をしている。馬車を降りてパトリシアを引く準備をしながらリュカが問いかけた。
「さぁ着いたな。どうする? すぐに船に乗り込むのもいいが、ポートセルミ観光も悪かないぞ?」
「好きになさいよ。……別にあたしの旅じゃないんだから」
デボラは御者台からぼんやりと返事をする。
強力な護衛がいたとはいえ、突然豪邸を出て旅人気分を味わうのはなかなか過酷なものがある。しかしリュカ達の旅の目的を知ってしまった以上、こちらの都合で引き留めるわけにもいかない。足手纏いにはならないと言ってしまったのだから尚更だ。
心ここにあらずといったデボラを眺め、リュカはしばらく考え込んだのち、にやりと笑って口を開いた。
「“あぁ、随分な長旅で疲れがたまってしまったなぁー”」
「……は?」
急な棒読み芝居口調に驚くデボラの左手を強引に引っ張る。
「きゃあ!?」
「“歩きすぎて筋肉痛が酷い、これではまともに歩けやしないぞ”」
デボラの足は疲労にハイヒールの不安定さも相まってふらふらだ。
「“おまけに頭が熱っぽい。少し横になりたくなってきたなぁ”」
リュカがわざとらしく額に手を当てる。デボラはせめてその胸に掴まって立とうと試みたが、結局足に力が入らず、カクン、とへたり込んでしまった。
「……というわけで」
リュカは呆れたように、しゃがみこんだデボラの顔を覗き込む。
「宿に泊まらせちゃあくれませんかね、デボラ様」
悔しいが、すべてお見通しらしい。
「わかってるならさっさと宿まで連れて行きなさいよ」
「へいへい」
慣れた手つきでデボラをひょいと抱えるリュカに、聞こえないように小さく、ばぁか、と毒づいてやる。
ずるいのよ、そういう見計らったようなタイミングで優しいとこが。
END
10000hit記念企画で書かせていただきました!リクエストいただきありがとうございます。
リクエスト内容は「デボラのピンチに駆け付けるリュカさん」でした。甘め要素も含めて頑張ってみたつもりです。
我が家のデボラは、我儘言ってるというよりも意地張って平気な振りしてるイメージだったりします。リュカはなんとなくそれを察してて、それとなくフォローしてればいいと思います。デボラもデボラでフォローされてるのをわかってて、意地を張りつつリュカに感謝してればいいと思います。
タイトルには基本的に色を入れるようにしているのですが、今回どうしようか迷った挙句、
ピンチに駆け付けるカッコいい人 ⇒ 白馬の王子様 ⇒ “白” + ヒーロー ⇒ 助けてくれる人 ⇒ “救世主”
という感じで連想した結果、白い救世主という謎の副題が出来上がっていました (笑
ヒーローっぽいかどうかはともかく、リュカがやたらとかっこよくなった気がします。
恋愛絡むと根性無しのヘタレのくせに、なんだこのギャップは!