サラボナの空は綺麗に晴れ渡っている。久々の再会が嬉しいのか、リリアンはゲレゲレに楽しそうにじゃれついている。その様子がよく見える庭先の白いベンチに、グランバニアの双子は並んで腰かけていた。
「がう、がうっ!」(ああもう! ついてくるんじゃねぇ、鬱陶しい!)
「もう、そんなこといわないの。遊んであげなさいよ、可哀想に」
「がるる……がう、がうー」(でもよぉ、お嬢……こいつさっきから“兄貴と呼ばせて下さい!”っつってやかましいんだ)
「あはは。いいじゃない、ゲレゲレらしいわ」
「がうるるるー……」(らしいわけあるか、調子狂うぜ……)
隣でアンナが二匹の様子を眺めながら笑っている。アンナと違ってゲレゲレの言葉が直接わかるわけではないので、イースは少し仲間外れの気分である。
母を光の教団から取り戻してから、父が真っ先に向かったのが母の実家だった。父が石像から元に戻ってからしばらく来る機会がなかったから、来るのは大体2年ぶりだろうか。両親が祖父母と叔母夫婦に挨拶をするまでの間、少し待ちぼうけだ。
父はなんだか、この街に来るのを意図的に避けていたように見えた。母を連れて帰るまでは戻ることは出来ない、というつもりだったのだろうか。子供心に父のそんな決意が透けて見えて、“たまにはおじいちゃん達に会いに行きたいなぁ”という些細なわがままはとうとう口に出せないまま今日に至る。これからはきっと、気兼ねなく遊びに来ることができるだろう。
「リリアンは長生きだね。今いくつぐらいなんだろ」
「十二、三歳ってところじゃないかしら? 前にお父さんが、お母さんと結婚する前から飼ってるって言ってたわ」
「そうなんだ、元気だなー。長生きしてほしいね」
「してほしいね、っていうか。すると思うわよ?」
「え、なんで?」
「そこらの犬よりよっぽどいいもの食べてるもの、長生きしない方がおかしいわ。ま、肥満と運動不足に気を付ければ、って感じかしら」
「……やなこと言うなぁ、アンナ」
「事実だもの。ねぇ、リリアン」
「わんわんっ! わふっ!」(誰がデブですかっ! 誰がっ!)
はいはいごめんなさいね、とアンナは擦り寄ってきたリリアンを撫でる。白く長い毛並は確かに綺麗に手入れされていて、そこらの犬よりよっぽど良い環境で育っているようだった。
そういえば、あんまりわがままって言ったことないかも。
祖父母達への挨拶を終えた両親について、客室への廊下を歩く。だいぶ見慣れてきた大きくてがっしりした父の背中と、まだ見慣れていない華奢なのに何故か威厳のある母の背中。二つを見比べながら、イースは今までの両親との思い出をぼんやりと思い返す。
何せ父と初めて会ってまだ2年しかたっていない。探している時は、会えたらどんな事を話そう、何をして遊んでもらおう、なんていくらでもわがままを思い浮かべていたものだったが、実際に会ってみると照れや遠慮が邪魔をしてうまく言葉にならない。
母が帰ってきてから、イースの甘え下手はより顕著になってきていた。10年も石になっていた母はどうみたって“お姉さん”だ。ピピンのように女性に可愛がられ慣れているのなら問題はないだろうが、イースは正直そこまで女性が得意じゃない。わがままを言うような子供らしい振る舞いにはどうも抵抗がある。自分が天空の勇者なんて仰々しい称号を持っているのも原因の一つかもしれない。
“家族”というのは思っていたより難しい。サンチョやピピンよりも近しいはずなのに、彼らよりもよっぽど距離をつかみにくい。
双子のアンナは、あまり両親との関係を重くとらえているわけではないらしかった。いつも通りの世渡り上手で両親に違和感なく溶け込んでいる。
僕ももうちょっと、上手に甘えられたらいいんだけど。
母の毛皮のショールにもふもふといたずらをしているアンナを後ろから眺めながら、イースは複雑な心境だった。
グラスにそそがれたオレンジジュースを見つめて、イースは悩ましげに眉間にしわを寄せていた。
「うーん……」
「あら、イース君。オレンジジュースじゃ嫌ですか?」
声のする方を見上げると、叔母のフローラがお盆に3種類ほど新たなジュースのボトルを乗せて持ってきていた。叔母がリンゴジュースのキャップを開けようとするのを慌てて止める。
「ううん、オレンジジュースは大好きだよ」
「そう? よかったわ」
うふふ、と優雅に笑う叔母は、正直母と血がつながっているように見えない。
今夜は祖父の好意でこの屋敷に泊まることになったようで、両親は叔父のアンディと一緒に観光がてら夕飯の買い出しに出ている。昔からよく遊んでくれていた叔母は、留守番ついでに双子の話し相手をするつもりらしい。
サラボナには両親の手掛かりを求めてしょっちゅう訪れていたため、叔母夫妻とは気心の知れた仲だ。イースは穏やかで優しい叔母と少し頼りないがよく遊んでくれる叔父には気を許していた。
「……フローラさんのとこってさぁ」
「うん?」
「なんで子供作んないの?」
ぶふぉ、と隣のアンナがオレンジジュースを噴き出した。
「ちょっとイース!? 突然何言い出すのよっ!!」
「え、別に、なんとなく……何、アンナ顔真っ赤だよ? どしたの?」
「うるさい! 脈絡なさ過ぎてびっくりしただけよ!!」
聞いちゃダメなのそういうことはっ! とすごい剣幕で怒られた。アンナが感情を露にしているのなんて久しぶりだ。
突然の兄妹喧嘩にきょとんとしていた叔母は、くすくすと笑いながら自分のグラスにジュースを注いでいる。
「ご、ごめんなさい、フローラさん! あの、イースが、その」
「ふふ、別にいいのですよ。不思議に思うのも無理ないわ」
珍しくアンナがあたふたしている。なぜ怒られたのかよくわからないまま、イースは叔母の言葉の続きを待った。
「アンディが父の仕事を手伝うようになって、ようやく大きな仕事を任されるようになって。軌道に乗ってきたところだから、あまり邪魔をしてはいけないでしょう?」
確かにアンディさんはそそっかしいし、子供の事で頭がいっぱいになってポカをやらかしそうな気がする。焦るアンナをよそにイースは一人納得していた。
「でもどうして急に? 年下の子のお世話がしたくなったなら、いっぱいお手伝いしてもらいたいですけれど」
「いや、そうじゃなくて」
思えば叔母には、父と母の石像を探していた時から色々な悩みを相談していた。身近な大人の中で一番“母親”が似合う叔母相手だからか、イースは今抱えている悩みをするりと口に出すことが出来た。
「フローラさんだったら、自分の子供にどんなふうにわがまま言われたいのかなぁ、って思ってさ」
「……え」
ジュースを飲もうとした叔母の手が止まる。一瞬で笑顔が消えた。
また変な事言っちゃったかな、と思い、叔母の言葉を待つ。
「……リュカ、さんは……あなた達の、お父様は、」
ダァン!! と割れそうな勢いでグラスを叩きつける叔母。ひゃー、怒ってるの初めて見たかも。
「自分の子供にわがままも言わせない人なのですか! なんてひどい人! 信じられませんわっ!!」
「わあぁ、違う違うっ!! 落ち着いてよフローラさんっ!!」
思わぬとらえ方に慌てて叔母をなだめる。別に父を悪者にしたくて相談したわけじゃない。ぷんぷん怒っている叔母はヒートアップしたままイースを問いただす。
「じゃあ、どんなふうに、ってどういう意味なんですの!?」
「いいわがままと、だめなわがままってあるでしょ? どういうわがままなら嬉しいのかな、って思ったんだ。なんか、お父さんにわがままってなかなか言えなくってさ」
「イースくん……そんな、」
「わ、私も!」
叔母の言葉を遮ったのは、再び顔を赤くしているアンナだ。
「……私も、聞きたい……」
なんだか今日はアンナの珍しい表情がたくさん見られる。こんなにしおらしいアンナは何年振りだろうか。
「アンナもそんな風に思ってたの?」
「……当たり前じゃない」
「でも、いつもお父さんともお母さんとも仲良さそうにしてるのに」
「そりゃ、ある程度は……お城にいた時に、大人との付き合い方は大体わかっていたし」
だってそんな、今更家族なんて、とモゴモゴとアンナは言葉を濁す。上手に両親との間に溶け込んでいるように見えていたから、尚更その様子が子供っぽく見える。
「ねぇ、フローラさん……どんな風にわがまま言えば子供らしい? 私、わかんなくて」
コツン。
イースとアンナの額に、軽く拳骨が当てられた。
「全くもう。お顔だけじゃなく中身まで姉さんにそっくりなのですね、あなた達は」
拳骨の主である叔母は、溜息をつきながら呆れているようだった。
「考えすぎはいけません。自分がしてほしいことを素直に伝えてくれるのが一番うれしいに決まっているでしょう?」
「してほしいことを、素直に……」
「気を使われたほうが寂しいわ。まるで自分を親だと認めてくれていないみたい」
認めてないわけじゃないのでしょう、と問われて思い切り首を横に振る。父の事も母の事も尊敬しているし大好きだ。
歩み寄らなければならない、という考え方そのものが壁になっていたらしい。隣のアンナに目をやると、同じタイミングで同じようにもどかしそうな顔でこちらを向いた。こんなときばかりシンクロする。
素直に、が一番難しいような気がしないでもないけど。
「思いのたけを、そのまま真っ直ぐに伝えて御覧なさい。きっと優しく応えてくれますわ」
叔母はそう言って、先程の怒りなど微塵も感じさせず、やさしく微笑むのだった。
玄関の方から話声が聞こえてくる。両親と叔父が帰って来たらしい。
「さ。心の準備は出来ましたか?」
「……ま、まだ……」
「うふ。待ってなんてあげませんよ」
楽しそうに玄関に向かう叔母を追いかける。イースもアンナも足取りが重い。
玄関には手ぶらの母と、両手に食料品の入った袋を提げた父と、両脇・両肩・背中にまでブランドのロゴが入った紙袋や箱を背負わされた叔父がいた。
「あーすっきりしたわ。久々の衝動買いは気分がいいわね」
「楽しそうで何よりだよ、デボラ様。あぁ寒い、懐が寒い」
「幸せそうな妻の笑顔をみなさいな、心が温まるわよ」
「自分で言うか」
「ちょっ、ちょっと!! リュカさん!! 自分の奥さんの荷物くらい持って下さいよっ!!」
「悪いなぁアンディ。妻のご指名に口出し出来るほど、俺の家庭内の地位は高くないんだよ」
「国王陛下が何をおっしゃる!!」
「悪いわねぇアンディ。サラボナに帰ってきたら、アンタをこき使わないと気が済まないのよ」
「うわああん二人していじめるんですか!!」
緊張しっぱなしの双子とは逆に、3人は仲よさそうに見える。
そんな中、叔母はパタパタと父に駆け寄った。
「おかえりなさい。ねぇ、リュカさん」
「はい」
「少し歯を食いしばって下さらない?」
「……は」
―――ばっちぃーん!!
キレのいい張り手が父の頬に決まった。
「いって……は、え、何!?」
「別に。ちょっとしたお仕置きですわ」
「フローラ、突然どうしたのよ?」
「姉さん、あなたもです」
そう言って叔母は、母の頬にペチと両手を添える。
「子供達にきちんと甘えさせてあげなければダメです。ただでさえ離れていた距離が長いのですから」
「……フローラ」
「…………その扱いの差は差別なんじゃないんですかね」
「まあ人聞きの悪い、罪の重さを斟酌した結果ですわ」
ぷい、とそっぽを向いて、叔母は荷物に押しつぶされそうな叔父を押して居間へと行ってしまった。
「……苦手だなぁ、改めて」
「あたしの前でフローラの悪口なんて、いい度胸ね」
「悪口じゃない、感想だ」
ぽつりとそんな会話を交わす両親に、イースは意を決してはじめてのおねだりする。
「……お父さん、お母さん」
「ん? どうした、イース」
「今日、一緒に寝てもいい? 僕達、二人のお話聞いてみたいんだ」
ひとまず、両親を知るところから。ハードルの低い所からちょっとずつ始めてみようと思う。
珍しく後ろに隠れていたアンナとパチリと目が合う。自分達の不器用さにお互い苦笑いした。
END
10000hit記念企画で書かせていただきました!リクエストいただきありがとうございます。
リクエスト内容は「黒髪双子がフローラに両親について愚痴」でした。愚痴というか、お悩み相談というか、なんだかリクエストから結構外れているような……大丈夫でしょうかこれ……
愚痴というか、お悩み相談というか。
フローラと黒髪双子の関係は、親戚よりも兄弟姉妹に近いような気がします。付き合いが長い分、正直両親よりも話しやすかったりするんじゃないでしょうか
それにしても、あまりもののリュカ・デボラ・アンディの掛け合いが一番書きやすかったってどういうことでしょうね……