「あーあ、こすりすぎだよ。ほっぺた赤くなっちゃってんじゃん」
“死の狙撃手”なんて物騒な二つ名を冠した少女が、心配そうにこちらの様子を伺っている。戦闘中には気が付かなかったが、標的を見据える鋭い視線に似合わず、ビー玉のようなころんとした愛らしい瞳をしている。
ファーストキス(※頬)を奪われたショックで足元がおぼつかず、ふらついていたところを彼女が支えて体育館外のベンチまで運んでくれたのだ。初対面で一度手合わせしただけの仲なのに、随分と親切な少女である。
「まだこすり足りないくらいだわ、ああ腹が立つ!」
「はは、マジ災難だったねぇ。ちょっとチャンピオンのキャラが強烈すぎっつーか」
「あんなのが野放しどころか人気者だなんて信じられない、どうかしてるわこの学校……」
頬にハンカチをあてがったまま嫌悪に顔を歪めて溜息をつく。ポケットに忍ばせていたシルクのハンカチは、不遜な男の唇の痕跡を拭いすぎて既にしわくちゃだ。
近衛咲樹、史上最大の屈辱だわ。天気がいいだけでイライラするだなんて生まれて初めてよ。先刻の出来事を思い出しかけて、咲樹は苛立ちをごまかそうと頭を掻きながら空を見上げる。どん底にまで落ち込んだテンションを知ってか知らずか、秋の空は雲ひとつなく澄み渡っている。
「全く先が思いやられるわ……入学前からとんだハプニングよ」
「……すごいね」
何気なく咲樹が呟いた言葉に、隣で小都子がキョトンとしている。
「何が?」
「だってそんだけ怒ってんのに入学する気満々じゃん。“あんなのがいるなら入るのやめる”とか考えてるのかと思ってた」
「……さすがにそこまで子供じゃないわ」
「でも、藤之江学園を卒業しないと退魔師になれないってわけじゃないじゃん? ショックで学校変えちゃってもおかしくなさそうって、あたしは思っちゃったかな」
小都子の言葉でフラッシュバックした頬のやわらかい感触に寒気がする。ギリリと歯を食いしばりながら、咲樹は再びハンカチで同じ場所を拭う。
「退魔師の名門ってだけなら私立でもあるっしょ、恵西田高校とか明石谷学院とか。この学校にこだわんのって、やっぱり歴史とか実績? それとも名門だから親の言う事に逆らえないとか?」
確かに藤之江学園は、魔獣研究機関の発足と同時期に退魔師の育成のために創立された最も古い国立高校だ。日ごろ厳しく指導してくれる両親の強い勧めがあったことも、その期待に応えたいと思えるくらいには両親を尊敬していることも、志望校をここに決めた理由ではある。しかし今、この学校への入学にこだわる理由は別にある。
「……あ、それとも私立とか考えらんないくらい家計が厳しいとか?」
「失礼ね、そこまでお金には困っていないわよ」
「へへ、ごめんごめん。確かに咲樹ちゃん育ち良さそーだもんね」
死の狙撃手は、会って時間の浅い相手が言い淀んでいる所を茶化しにかかってくる程度には人懐っこいらしい。なかなかのツワモノである。……まあ、彼女に隠しだてをしたって意味は無いわね。
「……大した理由じゃないの、本当に」
正直くだらないので、あまり胸を張って伝えられることではない。少し恥ずかしくて、咲樹が一呼吸置こうとすると。
―――ヒュンッ!!
不意に横の茂みから空を切る音。
とっさに飛んできた何かを掴む。ロクに正体も確認しないまま、咲樹は反射的に胸ポケットのボールペンを茂みに向けてダーツのように放った。
「―――曲者ッ!!」
―――ザシュッ!!
「きゃあああっ!!?」
茂みの方から聞こえてきたのは、存外可愛らしい女子の悲鳴。近付いて確認すると、尻餅をついたツインテールの少女が涙目でこちらを睨んでいた。
「いっ、いきなり何をなさいますの!!」
「その言葉そっくり返すわ。いきなり何するの、あなた」
少女の足元の地面に見事突き刺さったボールペンを抜きながら問いかける。その悔しそうに歪めた高飛車な表情、どことなく見覚えがあるような、ないような。
「突然人を曲者扱いだなんて無礼ですわ!!」
「声もかけずに物を投げつける不作法者に言われたくはないわ」
「大体そんな鋭利なものっ、過剰防衛よ!! 当たったら危うく死ぬとこですわ!!」
「当てないように投げたし、そもそもボールペンじゃ人は死なないわ。……それより、何よコレ」
投げつけられた物をあらためてじっくり見てみると、ビニール袋に“うみゃー棒”と丸っこい文字で書かれたパッケージの棒菓子が詰まっていた。“トーナメントトップ賞”と書かれた簡素なシールが貼ってある。
「運営委員の先輩から渡すように頼まれたのですわ、貴女達二人とも忘れて行かれたものだから」
「……普通に渡してもらえないものかしら」
「フン、“普通に”ですって!? 笑わせてくれますわ、さっきの今でよくそんな口が聞けたものね!!」
スカートに付いた土を払いながら、少女は鼻息荒く言葉を続ける。
「わたくしの顔を忘れた、などと寝ぼけたことは言わせませんわよ、紅姫……!!」
それが全く思い出せないのよ、どうしたものかしらね。
などと言える空気は一切無く、意図せずして硬直した睨みあい状態になる。ああ、でも、確かに彼女、どこかで見た気がする。あと少し、取っ掛かりがあれば思い出せそうなのだけれど。
「……あれ、お嬢?」
「ひゃあっ!?」
一生懸命記憶の海を探る咲樹の後ろから、小都子がひょこっと覗き込む。
「か、か、梶さん……!!」
「こんなとこで何してんの?お嬢って藤之江に知り合いいたっけ?」
「た、た、たわむれに庶民の学校の学園祭を見に来ただけですわ!」
「そうなんだぁ。会うと思わなかったなー、すごい偶然だね!」
「そ、そ、その通り、ただの偶然に決まってますでしょ!」
先程までの威勢は何処へやら、少女は目に見えて動揺している。明らかに自分のせいで動揺している相手にまで人懐っこく絡むあたり、やはり死の狙撃手はツワモノのようだ。
それにしても、まさかこんなに近くに情報源がいようとは。咲樹は肩越しに覗く小都子に問いかける。
「あなたの知り合い?」
「うん、同じ中学のクラスメイトの西園寺さん。お城みたいな豪邸に住んでるから“お嬢”って呼んでるの」
西園寺、お嬢、そして悔しげに揺れるツインテール。咲樹の中で、ようやく記憶のピースが繋がった。
「“高貴なる姫騎士-エレガントロイヤルフェンサー-”、西園寺薫子……」
「改めて言われなくたって自分の名前くらいわかっていますわ! 馬鹿にしてますの!?」
名前を呼ばれただけでさらに逆上している目の前の少女は、先程のバトルトーナメントで小都子の前、つまり準決勝戦で戦った相手だ。チャンピオン戦のインパクトのせいで記憶からすっぽ抜けていた。
……いや待て、記憶を取り戻したって納得がいかない。彼女とは正々堂々戦った上で勝利したのだ、後ろから突然菓子袋を投げつけられる謂われはない。
「あはは、その二つ名すごいお嬢っぽい!」
「とっ、当然ですわ! わたくしにふさわしい名前を考えるために三日も使ったのですから!!」
「へーそうなんだ、すごい気合だねぇ」
「きっ、気合を入れてなどいませんわ! たかだか庶民の学園祭ごときでっ!!」
咲樹の背中にもたれかかったまま、まったりと会話を続ける小都子。そして小都子と言葉を交わす度に慌てふためく西園寺。そして西園寺の怒りの視線は、咲樹を捉えて離さない。
刹那、幼い頃の記憶が頭をよぎる。
「……ああ」
腹立たしいことに、彼女の怒りに一つだけ思い当たる節があった。気付いてしまえば簡単な事。納得なんて元より出来るはずもないのだ、原因は私には無いのだから。
「くだらないわね」
「なっ!? 言うに事欠いてなんですのその態度っ!!」
「行きましょ小都子さん。私の幼馴染もここに来ているの、せっかくだから紹介させて頂戴」
「こ、“小都子さん”!?」
「そりゃあ、紹介は嬉しいけど……休んでなくていいの?」
「もう平気。過去をいつまでも引きずっていたって仕方がないわ……大体、ここにいたって休まらないもの」
「それはわたくしが邪魔だという意味ですかしら!?」
「別の意味に聞こえたというならそのポジティブさに感心するわ」
「ぬぁっ……!!?」
「あっはっは、咲樹ちゃんストレートー」
まともに取り合うのも馬鹿馬鹿しい。咲樹は苛立ちを取り繕うこともせず、げんなりしながら歩きだす。
“お友達とは仲良くしないとダメでしょ?”と自分を諭す幼馴染が目に浮かんで気が重い。遠ざかる西園寺の怨嗟に背を向けながら、咲樹は体育館の2階席を見上げるのだった。
「待て待て待て待て!!」
「ダメだよ隆芳くんっ、落ち着いてってばぁ!!」
「止めてくれるな!! あんのケーハク野郎一発ぶん殴ってやるっ!!」
「アホじゃないのアンタ!? 入学先の先輩相手に場外乱闘とか何考えてんのよ!!」
「そうだよ、合格取消なんてことになったら私もうご両親に顔向けできな……あっ、サッコちゃんっ!!」
「ちょっ、おいっ、テメこらネイバーガール!! あたし一人で止められるわけないでしょ!?」
「だからさっきから止めるなっつってんだろーがぁぁぁ!!」
小都子と一緒に2階に到着して早々、やけに聞き慣れた声が聞こえてくると思ったら、騒ぎの中心にいたのは幼馴染達だった。
血相変えて今にも走り出しそうな隆芳が、見知らぬ黒髪の少女に羽交い絞めにされている。一方パタパタとこちらに駆け寄ってくる響は何やら必死な表情だ。
「……何よ、この騒ぎは?」
「何よじゃないよ!! 大丈夫なの、サッコちゃん!?」
響に心配そうに頬を撫でられて、ようやく騒ぎの原因が先程のチャンピオン戦だということに気付く。とすると隆芳がいきり立って向かおうとしているのは、例の軽佻浮薄なチャンピオンの所だろうか。それならば引き留められているのにも納得がいく、私でさえ歯が立たなかった相手に隆芳が敵うはずもない。
「その落ち着き様、まさかショックで記憶が飛んでるとか……大丈夫?私の事わかる?あっちの男の子は覚えてる? 1足す1は?」
「響で、隆芳で、2だわ。あの程度で記憶をなくすほど軟弱じゃないわよ、私」
「え、じゃあ何でそんな冷静なの……?」
「そりゃーさっき一通り動揺しきったからだよねー」
咲樹の後ろから、ひょっこり小都子が顔をのぞかせる。
「あんだけ散々ほっぺた拭きまくって愚痴こぼしたら、スッキリするよねぇ。普通」
「かっ、勝手に言わないで!」
「あ、コレ内緒だった?」
「そっかーどおりで……大丈夫だった? サッコちゃん宥めるの大変だったでしょ」
「ううん、そーでもないよー。テンパってんの見てて面白かったし」
「あはは、そりゃよかった。……そうだっ」
響は思い出したように、ごそごそと手元のビニール袋からオレンジジュースを取りだした。
「さっきは、サッコちゃんのこと庇ってくれてありがとう。よかったらどうぞ」
「どーいたしまして! ……っつっても、あたしも無我夢中だったんだけどさぁ」
「でもすごかったじゃない! “爆”の式、生で初めて見たけど結構迫力あったよ? チャンピオンに炸裂した時なんか超スカッとしたよ!」
話題の中心である咲樹を脇に置いて、勝手に意気投合しだす響と小都子。相手の人懐っこさも相乗効果になっているようだが、相変わらず響は人と打ち解けるスピードが速い。
「ところで、あっちの騒ぎは放っておいていいの?」
「あ、やばっ、忘れてたっ!!」
小都子が指差したのは響の背後。隆芳と少女の攻防戦は未だに続いているらしい。
「は・な・せ、っつってんだろ!!」
「だ・か・ら、行ったって無駄だっつってんでしょ!!」
「無駄かどうかなんて戦ってみなきゃわかんないだろ!?」
「どの口が言ってんのよ、小回り利いて手数も明らかに有利な二刀流があんだけ大振りの鎌相手に試合中一発も決まんなかったじゃない!!」
「うぐっ……!!」
「その結果があのうみゃー棒詰め合わせでしょ!? 大体あんたがフィールドでそこそこ粘れたのだって、あのスーパーアイドル鎌使いが演出ぶって散々加減したからだからね!!?」
「なっ……!!?」
「相手と自分の力量くらいわきまえなさいよ、このポンコツ侍ッ!!」
ガアァァンッ!!と音が聞こえてきそうな程ショックを受けた隆芳が、膝をついてその場にくずおれる。
「ぽ、ポンコツ……」
「あー、やっと止まった……」
隆芳のメンタルに会心の一撃を決めた黒髪の少女は、ぜいぜいと肩で息をしている。その様子を眺めていた響が、ぼそりと呟いた。
「すごいなぁ真那ちゃん、よく見てる……」
「でしょでしょー? アイツ、戦況見極めんのすっごい上手いんだよー!」
額の汗を拭った真那と呼ばれた少女が、こちらに気付いて顔を歪める。隣の小都子は何故か誇らしげだ。
「あの子もあなたの知り合いなの?」
「うん、あたしの喧嘩仲間なんだ! 今日も仲良く二人でここまで来たんだよ!」
喧嘩仲間とはまた物騒な。
息を荒げたまま小都子の方にカツカツと歩み寄ってきた真那は、咲樹達など眼中にない様子で小都子の胸倉を掴み強引に引き寄せた。
「梶サン遅いっ!! どこほっつき歩いてたの!!」
「ひゃああゴメンなさーいっ!!」
「つーかあんたあの初っ端から考えなしに突っ込む癖直せっつってんでしょーがっ!! 隙ありすぎ!! ガラ空きなのは頭ん中だけで十分だっつーのっ!!」
「わああん酷い!! ちょっとくらい詰まってるもん!!」
……怒るポイントはそこでいいのかしら。
“仲良く”と言った割に、二人のやり取りは随分と荒っぽい。確かに喧嘩仲間とは言っていたけれど。
「ったく……それで?」
「え、何が?」
「何がって……あんた、あの死神アイドルに何もされてないでしょうね」
「……してくれるんだ? 心配」
「いや、別に、そーゆーんじゃないけど……」
饒舌に罵倒していた真那は、小都子に迫られた途端にもごもごと口籠る。
「ふうん、へえー。そっかそっか。ふふ」
「……ああもうニヤニヤすんな、気持ち悪いっ!」
嬉しそうにすり寄る小都子をぞんざいに押しのけている所をみると、どうやらあまり素直な性格ではないらしい。これも一つの友情の在り方なのだろうか。
「それにしても珍しーよね。真那、こういうとこで慣れ合うイメージなかったよ」
「何を言う。このワタシが何の意図も無く見知らぬ人間に取り入るとでも思ったかね、ワトソンくん」
「へー。どんな意図があったの、高千穂ームズ?」
「ふふん、聞いて驚け!」
真那が軽く押し上げた青いメガネのフレームが不敵に光る。
「どーやらコイツら、来年から同級生らしいわ。あいつに至ってはあたしらと同じ特別枠入学、ツテ作っといて損はなさそーよ」
真那は得意げに、後ろ手に指差した。親指の先を目で追うと、未だ精神的ダメージから立ち直れていない隆芳の姿が見えた。
藤之江学園への入学方法には、一般枠と特別枠の2種類がある。
一般枠はその名の通り、内申点と筆記試験の点数に面接試験の評価を加味して合否を決める、一般的な高校入試と変わりのない形式である。一方で特別枠は、全国各地から様々な実績を評価されてスカウトされてきた退魔師の素質を持つ学生達だけが参加できる入試であり、合格には“超魔術的構築式”に対する高い適正、あるいは高度な戦闘能力が求められるものだ。
「あんたも特別枠っしょ、紅姫サン」
不意に話を振られ、戸惑いながらも咲樹は頷いた。
忘れもしない。あれは、夏休みも間近という7月の頭。藤之江学園の一般入試に向けて図書館で勉強した日、夕暮れ時の帰り道。
『貴女の溢れる才能、我が学園にて開花させてみては如何ですか』
ダンディな声に振り返る。夕日を背にして立っていたのは、咲樹の腰ほどの身長もない、小人のような男だった。
不気味なヴェネチアンマスクに阻まれて、表情も意図も見えない。真夏だというのにダブルのスーツとシルクハットを華麗に着こなすその男は、胸ポケットから小さなカードを取りだした。
『ご参加、お待ちしております。近衛家次代当主、近衛咲樹殿』
恭しくお辞儀をした男は、その刹那、咲樹の前から煙のように消え失せた。
キョロキョロと辺りを見回しても、男の痕跡は何処にも残っていなかった。いつの間にか鞄のポケットに差し込まれていた先程の小さなカード、そこには藤之江学園の校章と、受験番号が書かれていたのだ。
咲樹は代々続く退魔師の血筋と過去の大会での実績がスカウトの理由になったようだった。同じ理由で受験票を受け取っていた隆芳と向かった特別枠の入試当日、ずらりと並ぶ面接官の中央。あの日と同じダブルスーツを着こなした小人が、古びた般若のお面の下から涼しげに自己紹介した時の衝撃たるや。
「面接用に考えていた回答が全部吹っ飛んだわ。まさか理事長直々にスカウトに来てただなんて思いもしなかったもの」
「ほーう、理事長が……そりゃかなりの上玉ね。ますますコネ作っとかなきゃだわ」
品定めのつもりなのか、舐めまわすようにじろじろとこちらを見る真那。コネも何も、“あたしらと同じ特別枠入学”ということは、彼女達も相応の理由があってスカウトされた身なのだろうに。
「あなた達はどうしてスカウトされたの?退魔師連合で名前を聞いたことがないけれど……」
「わああ、やめてサッコちゃん!」
「あら、何故?」
「ふっふっふ……」
慌てふためく響をよそに、真那の口から怪しげな笑い声が漏れる。
「よくぞ聞いてくれた紅姫!!」
「ああ、嫌な予感したから聞かなかったのに!」
「荒廃した街に蔓延る悪を裁く、宵闇より出づる正義のヒーロー・ショウ!!」
「ほらもう設定が早速恥ずかしいもの!!」
「その名も“闇の虐殺-ダークネス・キラータイム-”!!」
「うわあ、やっぱりずば抜けたルビ振ってあった!」
「我こそはダークネスキラータイムの卑怯な方!! “血塗られた暗殺者-ブラッディ・アサシン-”、高千穂真那!!」
「そのポージングは何なの!?」
「我こそはダークネスキラータイムの能天気な方!! “死の狙撃手-デス・スナイパー-”、梶小都子!!」
「あなたもなの!? あなたもなの小都子ちゃん!?」
「「二人合わせて……」」
「―――おや。さっそくお友達が出来ましたか、よきかなよきかな」
「「わひゃああっ!!?」」
ビシっとそろった二人の決め台詞が、まったりとしたダンディな声に遮られる。
「ど、どっ、どっから出てきたアンタ!!?」
「てゆーかいつからいたの!!?」
「ふふ。いつからでしょうかねぇ」
皮靴の硬いかかとをコツコツ鳴らして割り込んできたのは、見覚えのあるダブルスーツとシルクハットを着こなす小人。面接の時と姿は変わらず、お面だけがひょっとこに変わっていた。
「奇怪丸さん……どうして、こんな所に?」
「新入生のみなさんがお集まりなので、嬉しくなって遊びに来てしまいました。勤務中ですから、他の先生方には内緒にしてくださいね?」
そう言って、茶目っ気たっぷりに人差し指を口にあてる。彼こそはこの国立藤之江学園の理事長、奇怪丸七宝である。
動じない咲樹達の隣で、初めて見る実物の理事長に驚いた響がポカンと空いた口を手で覆っている。到底常識では考えられないサイズの人間が目の前にいるのだもの、無理もないわ。
「近衛さん、梶さん、御門くんも、バトルトーナメント優勝おめでとう。みなさん素晴らしい戦いぶりでした。さすがに稀代の逸材陣内くんには敵わなかったようですが……これからの君達の成長に期待していますよ」
「ええ。ご期待に沿えるよう、精進いたします」
「えへへー。ごてーねーにどうも!」
「高千穂さん、あなたはトーナメントには出なかったのですね。君の実力もきちんと見ておきたかったので残念です」
「別にいいっしょ? 出なきゃいけないわけじゃなし……大体あたし、そんなに景品に興味無かったし」
「よく言うよ、豪華景品目当てでUNO大会参加してたじゃない……」
「うるせーぞ黙ってろネイバーガール」
響のぼやきに真那が刺々しく返す。理事長の様子を見るに、どうやらこの面々は期待の星が揃っているようだった。特別枠は伊達じゃないってことなのかしら。
ひょっとこのお面の奥から、空虚な瞳が咲樹をじいっと見つめている。
「この学園でなら、貴女の才は開花しそうですか?」
「……開花しそうも何も」
質問の意図が分からず、咲樹は少しだけ首を傾げた。
「私はどの学校であろうと、自らの力を磨き高めるだけです。環境に左右されるようでは真の実力とは言えないもの」
「おや。相変わらずストイックですねぇ、貴女は」
「……相変わらずと言われるほど面識はないはずですが?」
「はてさて。そうでしたかね?」
ふわふわと咲樹の言葉をかわす理事長は、スカウトしに来た夕暮れのあの日のように掴みどころがない。結局何が言いたいのだ、と問おうとしたその時。
≪―――奇怪丸理事長、奇怪丸理事長。教頭先生がお呼びです。至急、職員室までお戻りください。繰り返します、奇怪丸理事長……≫
体育館に響き渡る校内放送。スピーカーにちらりと目をやってから、理事長は大げさに手を合わせた。
「おっと! そろそろ役員会議の時間ですねぇ」
胸元の懐中時計をパチンと開く。至急戻れと言われているわりに、理事長の動作は緩慢だ。
「それでは私はこれにて失礼いたしますよ。みなさん、よい学園祭を!」
「あ、ちょっと、奇怪丸さんっ……」
咲樹の止める声も聞かず、理事長は芝居がかった仕草で恭しく頭を垂れる。
「また来年、入学式でお会いしましょう。アディオス!」
ばさり、と理事長がマントを翻す。すると空いていた窓から突然ごうと風が吹き込んできて、咲樹はたまらず乱れる髪を抑えつけて目を瞑った。
「………」
「………?」
おそるおそる、目を開く。
「……今の何よ、イリュージョン?」
「……種も仕掛けも見えなかったけどね」
真那と響が不思議そうに呟いたあとに残ったのは、嵐が去った後のような静けさ。理事長がいた場所には、舞い込んできた銀杏の黄色い葉っぱが一枚、ぽつりと落ちていた。
「……何だったのかしら、結局」
「何って、そりゃ言ったまんまでしょ。新入生が集まってたからおちょくりに来たんじゃない?」
校風が自由なら理事長も自由なんだねぇ、と小都子がぼやく。そういえば例のチャンピオンがそんなことを言っていたような気もする……思い出したくもないが。
そうこうしているうちに、体育館のトーナメント会場の試合は全て終了していたようだった。向かいの客席からぞろぞろと外に出て行く観客達の姿が見える。アリーナに設置されたフィールドが徐々に片付けられていく。気付けば2階席には、咲樹達以外の客はいなくなっていた。
「ねえサッコちゃん、このあとどうしよっか?」
「そうね……考えていなかったわ、どうしましょうか。色々店があるから迷うわね」
「ふうん、私を置いてバトルトーナメントに行った時は迷わなかったのに?」
響は不満そうに口をとがらせている。そういえばここに着いて早々トーナメントのチラシの魅力に目が眩んで、響を置いて体育館に来てしまったのだった。立て続けに物理的にも精神的にもショックを受けたせいでどうにも忘れがちだが、到底このまま流してしまっていい事ではない。
「……ごめんなさい」
「ふふ、よろしい。もう勝手にどっか行っちゃヤだよ?」
昔から響は、きちんと謝りさえすれば、咲樹のどんな事情もその困った微笑みと一緒に許してくれる。持つべきものは優しい幼馴染である。
さて、もう一方の幼馴染もどうにかしなければ。咲樹は未だ凹みっぱなしの隆芳の側に歩み寄る。
「演出……演出って………俺がどんだけ本気出してたと思って……あれで遊ばれてたってのかよ……ええ……」
しゃがみこんだ隆芳は、何やらぶつぶつと悔しそうに呟いている。まったく、いつまでも負けを引きずるだなんて男らしくないわ。
「手加減された位でいつまで不貞腐れているの、隆芳」
「……別に、それで不貞腐れてたわけじゃ……」
隆芳は響と同じく口をとがらせながら、何やらぼそりと呟いた。聞き取りづらくて耳を寄せると、何でもない、と慌てたように言葉を濁してそっぽを向かれた。
とはいえ、わざわざ濁さなくたって、付き合いが長くなればどうして怒っているかくらいわかる。
「……過ぎたことよ。もういいわ」
確かに人前であれだけ馬鹿にされたのは癪に障るが、元はと言えば自分の力不足が原因なのだ。
だから、そんなに怒ってくれなくたっていいのに。やはり持つべきものは、優しい幼馴染だ。
拗ねている隆芳を尻目に、咲樹はふう、と溜息をついて立ちあがる。ドライな咲樹とは対照的に、まだ隆芳は納得できていないらしかった。
「……何でそんなスパッと割り切れんだよ! 悔しくないのかよ、あんなこと言われた上あんなことされて!」
「あら。別に私、割り切ったつもりはないわよ?」
「……は?」
ぎゅうと握った拳に、怒りと悔しさをしっかりと込める。時間が経って冷めてきた咲樹の怒りは、いつしか闘志に変わっていた。
「たとえ相手が格上だからって、自分の戦い方を“時代遅れ”なんて言われて黙っていられるものですか。近衛家に代々伝わる鎌刃術、いつか認めさせてみせる。絶対に」
泣き寝入りなんてしてやる気はない。受けた屈辱は、戦いで報いる。
私はいつだってそうして来たのだ。
「……はー、勇ましい姫様だこと」
ガッツポーズの咲の横から、呆れとも感嘆とも取れない声。座席の背もたれで頬杖をつきながら咲樹に問いかけたのは真那だった。
「あの死神アイドルだって、あれがフルの実力じゃーないでしょうに。勝算あんの?」
「無いに決まっているでしょう」
「そりゃそう……いや、無いんかい!?」
ずるっと肘を滑らせた真那に答えるように、咲樹はフン、と息巻いて自信たっぷりに腰に手を当てた。
「今の私では実力が足りない。でも、足りないなら身につければいいだけのこと。これまで以上に鍛練を重ねて、自分の技の精度も熟練度ももっと高める。そしたらあの軽薄なチャンピオン、コテンパンのギッタギタに伸してやるわ」
「………あっそ」
あたしにゃ止める義理も無いか、と呟き、真那は肩を竦めて続ける。
「ま、面白そうだし来年見かけたら応援したげる。せーぜー頑張んなさいな」
「ええ。ありがとう」
「………」
「言っとくけど、サッコちゃんに皮肉は通じないよ?」
「……そのよーね」
こちらを見る響と真那の視線に、なんとなく馬鹿にされているような気がする。応援されたら“ありがとう”でしょう、間違っているつもりは微塵も無いのだけれど。
前の座席でフィールドの片づけを眺めていた小都子が、ふいにこちらを振り返った。
「ねーねー、三人とも行くとこ決まってないんでしょ? よかったらこれから学園祭一緒に回ろーよ! 真那と二人じゃつまんないもん!」
「あんた本人目の前にして“つまんない”っつった!?」
「わあ、それいいね! 私一人じゃこのおっきい子供達二人の面倒見切れないし」
「もうちょっとオブラートに包んでくれよ、響ちゃん」
「賑やかでいいわね。さっそく行きましょうか」
「あ、待ってサッコちゃん」
思い出したように響が手元のビニール袋から取り出したのは、先程小都子にも渡していたアルミ缶のオレンジジュース。
「試合お疲れさま。あと、トーナメント優勝おめでとう」
「ありがとう、いただくわ。……あら」
プルタブに手をかけた直後に気付く。全員が同じジュースを持っているにもかかわらず、誰も栓を開けていない。
誰からともなく目配せをし、ぷしゅ、という気の抜けた音がいくつか続く。口をつける直前、響がこくんと首を傾げた。
「こういう時の音頭って、何がいいんだろうね?」
「んー……“トーナメント優勝を祝して”?」
「そんなにめでたくないだろ? 結局俺達チャンピオンにはやられてんだから」
「なら“打倒チャンピオンを目指して”?」
「あたしは別にチャンピオンに興味ないわよ」
「じゃあもう“皆さまの益々の発展と繁栄を祈って”とか」
「小都子ちゃん、会社の飲み会みたいになってるよ」
「えー文句ばっか言わないで考えてよぉー!」
「……じゃあ、」
悩む4人をよそに、咲樹も自分の缶のプルタブを引いた。
「“今日の出会いに”」
咲樹の音頭に、全員すんなりと納得したらしい。各々が缶を掲げると、ほのかに柑橘が香る。
「乾杯っ!」
体育館の端っこに、カツンとアルミがぶつかる音が響いた。