Scarlet Honey【1】

『若い娘にキャーキャー騒がれるのも今のうちよ。そろそろ結婚も考えないとね』

旅の途中で立ち寄った宿で、サラボナ帰りの年老いたシスターがそんなことを言っていた。確かにもう20代半ばだ。世間一般の男なら、嫁を貰って幸せな家庭を築くことを夢見てもおかしくない年頃だろう。この年で子供がいる人を見ることだってままある。そういえばヘンリーとマリアさんも結婚したんだったな。あんな幸せな笑顔になれるような結婚なら悪くはない。

だが。

「……よけーなお世話だっての」

そんな言葉がリュカの口から溜息とともに洩れる。隣を歩くスライムナイトのピエールが、相棒に跨りながら問いかける。

「リュカは、その『けっこん』とかいうものをしないのですか?」

「絶対しない、そんなめんどくさいこと」

「『けっこん』は面倒なことなのですか?」

「お前たちより3倍やっかいな食い扶ちが増えると思えば大体あってるよ」
「それは大変ですねぇ。どうしてシスターはそんなものを勧めるんでしょうか?」
リュカのいい加減な説明で首を傾げて悩むピエールをよそに、リュカはじゃれてきたキラーパンサーのゲレゲレの喉をさする。顎の毛がもふもふしていて気持ちいい。

なぜ結婚をしないのか。理由は簡単、父の意志を継げないからだ。
光の神殿から逃げ出したリュカが、滅ぼされたサンタローズで見つけた父パパスの残した手紙と剣。天空の装備を身につけられる勇者を探し出し、魔界にいる母マーサを連れ戻すこと。それは父の意志であり、彼を尊敬していたリュカの意志でもある。
勇者と天空の装備を早急に探すためには世界中を旅する必要がある。そのためには余計な手間をかけている余裕はない。精神的にも体力的にも金銭的にも足手まといにしかならない女連れでの旅だなんてもってのほかだ。

「父さんの願いを叶えるためにも、俺は面倒なことは出来ないんだよ」
「仲間が増えるのもいいことばかりではないんですね」
「そうそう、お前たちと違ってな」
どうせ関係ないんだからあんまり深く考え込むなよ、と真面目なピエールの頭を撫でてやってから、リュカ一行はサラボナに続く洞窟へと向かった。

ルドマンさんが娘の結婚相手を募集してるらしいぞ!
どうやらその相手に随分無理難題を吹っ掛けるようだよ。
見事その無理難題をクリアした者には家宝の盾も渡すつもりなんだってねぇ。
ねー、兄ちゃんもフローラ姉ちゃんに結婚してくれって頼むのー?

「いやいやいやいや頼まないから」
幼い子供のあどけない問いかけに苦笑いを返したリュカは、ピエールにゲレゲレ、ブラウニーのブラウンを連れてサラボナの街を歩いている。大きな木槌を引きずるブラウンが、きょろきょろと辺りを見回しながらリュカを見上げた。
「リュカー、『けっこん』のこと話してる奴らがいっぱいいるぞ?」
「なー。いちいちやかましいな全く」
「ここまで勧めるということは、やっぱり面倒くさいだけのことではないのでは……」
「ピエール、お前までやかましく言うつもりか?」
「そ、そんなことしませんよ! なぁゲレゲレっ!」
「がうるるるー?」
責任転嫁してんじゃないよ、とピエールを小突いてから、リュカはどこにいても目に入る大きな大きな屋敷を見やる。
「しかし、家宝の盾の方は気になるな」
「ルドマンという人は武具集めで有名なコレクターみたいですね」
「じゃあリュカの探し物、そいつがもってるのか?」
「どうだかね……探し物はなくても、話を聞く価値はありそうだな。情報の端くれくらいは掴めるかもしれん」
リュカはそのまま屋敷の方向へと足を向ける。自分の足で歩いているわけではないピエールは慌てて相棒に方向転換させ、焦った様子でぽよよんぷよよんとついていく。
「しかしまぁ、ここまで村中で話題になる女性となると……相当美人なんだろうな」
「美人だと『けっこん』をしたくなるのですか?」
「……ピエール」
「すいません」
目をそらすピエールの反対側から、ブラウンが鼻歌を歌いながら呑気に小首を傾げた(ようにみえたが頭身が低いので定かではない)。
「なんかわかるといいなー、リュカ」
「そうだなー」
「がうがうー」
明るい時間帯にそろって歩いているとさすがに町の人々はモンスターを避けていく。そりゃあ普段は町から出れば襲いかかってくるような恐ろしい生き物だから、普通の反応と言えばそうだ。
でも俺は、見知らぬ女と一緒になるより、お前たちと一緒にいる方が安心するよ。
そんなことを面と向かって言うのはさすがに恥ずかしいので、口には出さぬままでリュカは足を進めた。

豪華絢爛な重苦しい扉をくぐり、リュカはルドマン邸へと入った。金持ちの屋敷の中にモンスターを連れて入るわけにもいかず、ちゃんといい子にしてろよ、と入口のあたりで待たせている。
初めに通された待合室らしき部屋には、2・3人の男が緊張した面持ちで扉の前で待っていた。よくやるねぇ、俺はルドマンさんから情報絞り取ってから早々に退散してやるから精々頑張れよ。そんな風に思って男たちから目をそらし使用人を探していると、男の中の一人がリュカに話しかけてきた。
「おや、あなたもフローラさんへ結婚の申し込みを?」
「……いや、僕はそういうものでは」
「隠さなくったっていいんですよ。ここにいる人間の目的はみんなフローラお嬢さんですからねぇ」
緑の帽子をかぶった男がリュカの手を引き、無理やり輪の中に引き入れる。
「フローラさんの旦那となれば、我が店の安泰は間違いなし! なんてったって資金力抜群のバックアップが望めるんですからなぁ!」
「なんとしても結婚して、ルドマンさんともお近づきになりたいものです!」
うーわ、金目的なの自分からバラしてるよこの人達。ここまで堂々とされるとさすがにフローラさんとやらに同情するね。
リュカが軽く眉をひそめてもう一人に目をやると、ロングヘアの細身の男が目に入ってきた。
「あなたもこんな感じで?」
「い、いえ、僕は……その、フローラの傍にいられればそれで……」
もごもごと続けるその男はアンディという名前で、フローラの幼馴染らしい。なんだまともな考えの人間もいるじゃないか、ちょっと頼りなさすぎるけども、と大人しくリュカが話を聞いていると。
「……でも、姉のデボラさんと親類ということとなると……少し気が重いです」
「あぁ、それは私も思いましたよ。噂に聞くと凄まじいお方だそうですね」
「家の中でも街の中でもわがまま放題というのは本当なんでしょうか?」
「火のない所に煙は立たない、というじゃありませんか。きっと相当なご令嬢なんでしょうよ」
おいおい、ここはそのデボラさんとやらの家でもあるんじゃないのか。口々に悪口を言い始めた3人を見て、リュカは少し呆れてしまう。ここまで言わせるデボラという女性は、いったいどんな人間なのか。
「その、デボラさんというのは……」

―――カチャリ。

質問を言い終わる前に待合室の扉が開いて、静かな雰囲気のメイドが入ってきた。
「旦那様がお待ちです。どうぞこちらへ」
「お、とうとうですな」
「参りますか」
「リュカさん、行きましょうか」
「え? いや、僕は結構で……」
「―――旦那様はお忙しいのです。移動はお早めにお願いいたします」
断ろうとした矢先に、ぐい、と押されて待合室から追い出され、結局リュカはアンディたちと一緒に応接間に入ってしまった。

そして、一瞬にして目を奪われた。

暖炉の隣に飾られている、その盾に。

「……―――……!!!」
荘厳な美しさを放つそれは、まさしく天空の盾。父に託された剣と似た装飾がなされていて、醸し出す静謐な雰囲気もまたよく似ている。
……やっと、見つけた。
「おい、君。どうかしたのかね?」
ルドマンに呼ばれてリュカはハッと気が付く。入り口で立ち止まって見入っていたらしく、さっきのメイドが迷惑そうにこちらを見ている。
「……あぁ、すみません」
愛想笑いをせずとも笑みがこぼれてくる。こんなに近くに、手に届く距離に、父の意志があるだなんて。

リュカが席に着くと、階段からヒールの音が響いてきた。全員が注目する中応接間に現れたのは、ピンクの色っぽいワンピースを身にまとった黒髪の女性。切れ長の瞳は何やら不機嫌そうだ。
引きつり顔の3人と依然盾に見入るリュカを一瞥してから、その女性はルドマンへと向き直った。
「パパ、何こいつら? あたしへの結婚話は全部断るんじゃなかったの?」
「さがってなさいデボラ。この方々はフローラの結婚相手だぞ」
「へー……冴えない連中ばっかりね。こんなのにフローラを任せる気なの?」
「やめなさい、お客様に何を言うか!」
「事実じゃない。もっとマシなのいないわけ? ……あら、アンディ」
「はひっ!?」
「ヘタレのあんたがフローラに言い寄るなんて百万光年早いわよ。出直してきなさい」
「そ、そんなぁ……!」
「これ、デボラ!」
「……はいはい、戻るわよ」
噂のデボラ嬢は踵を返して階段を上っていく。一度だけリュカと目を合わせたが、すぐにそっぽを向いて上の階へと行ってしまった。
だがリュカにとっては礼儀知らずのご令嬢などどうでもよい。目に映るのはただ、天空の盾、それだけである。
「……娘が失礼をしたな。申し訳ない」
「いえいえ、心中お察しいたしますよ」
緑の帽子の男の苦笑いにルドマンが軽く頭を下げ、あらたまって話を続けていく。
「ではさっそく本題に入ろう。私がフローラとの結婚を認めるのは、南方の火山に眠る『炎のリング』と水の砦に眠ると言われる『水のリング』を探し出した男だ!」
男たちだけでなく使用人からもどよめきが起こる。そんな無茶な、とでも言わんばかりに。
「二つのリングを手に入れたものには、結婚の承諾に加え褒美として家宝の『天空の盾』を授けよう!」
褒美として与えられるほどのもの、ということはやはりあの盾は本物なのか。リュカは盾のこと以外で頭が働いていない。
「リングはそれぞれ危険な所にあるが、皆頑張りたまえ!!」
「―――わかりました」
ルドマンが話し終ると同時にリュカは、誰よりも素早く立ち上がり笑顔でルドマンへ会釈、剣を携え早々に応接間を後にした。

「おわぁっ!!?」
「ぐえぅっ!!!」
屋敷から出るとリュカはピエールとブラウンの首根っこをひっつかみ、そのまま街の出口へと走る。
「行くぞお前ら、南方の火山だ」
「天空の装備の情報がわかったんですか!?」
「情報どころじゃない、ありゃ本物だ」
「じゃあ火山に本物があるのかっ!?」
「違う、フローラ嬢と結婚すると天空の盾が手に入るんだ」
「がうがうーーー!?」
ルドマン家の飼い犬ととじゃれていたゲレゲレが、慌ててリュカの後を追いかける。ナイトと引き離された相棒も一緒になって必死についてくるが、リュカはそんなことはお構いなしだ。
「ていうかリュカ、『けっこん』なんてめんどくさいんじゃなかったんですか!?」
「そんなことない、いやー結婚最高」
「昨日と全然逆のこと言ってるじゃないですか!!」
「おいリュカっ、これ結構苦しいぞっ!!」
「知るか、街から出るまでこれで行くから我慢してろ」
「そんなぁぁぁーーーっ!!!」
ブラウンとピエールの悲痛な叫びが、昼時のサラボナに響きわたる。