Scarlet Honey【2】

 リュカ達が火山へと旅立ってから2日後。サラボナの街は、大火傷で帰ってきた幼馴染のアンディの話題でもちきりだった。
「アンディ、アンディ! お願いよ、目を覚まして!」
 必死に声をかける妹のフローラの隣で、デボラは濡れ布巾をアンディの患部に当てながらその様子を眺めていた。
「こんな……こんな、馬鹿なこと……私のせいで、アンディが……!」
「……」
 アンディの胸に顔を押しあてて嘆くフローラ。心配のあまり涙を流すその健気な姿にデボラは哀れみさえ覚えている。
「どうしましょう、姉さん……私、私、どうしたら……」
「……どうしようもこうしようもないでしょ」
「姉さん、そんなひどいことっ……!」
 妹の純真さと能天気さにため息をついたデボラは、当てていた濡れ布巾の上からアンディの腕を、ぎゅうううっと絞り上げた。
「っぎゃああぁぁぁーーー!?」
「いつまで狸寝入りしてんのよ!! ったくアンタって奴はいつもいつもいつもいつもいつも!!」
「ぎゃーーー!! ごめんなさいすいませんもうしませんーーー!! 放してーーー!!」
「いい加減にしなさいよ!? フローラがちょっと甘やかすとすぐに調子に乗って!!」
「ちょ、ちょっと姉さん! アンディは怪我人なんだから!」
「これだけ叫べるなら十分元気じゃない。あんたもあんたよ、こういう奴は早めにしっかり躾けなきゃすぐにダメになるのよ?」
「躾って、アンディは友達です!」
「放して下さいってばぁぁーーー!!」
 アンディの絶叫は当然階下にいるアンディの両親にも聞こえ、当然ながらデボラは当面アンディの家への出入りを禁じられることになった。

 

 

 その帰り道。明日持っていく薬草を買いに、デボラとフローラは道具屋に向かっていた。
「……もう、姉さんってば」
「いいじゃない、フローラだけに看病される方があいつも幸せでしょうよ」
「そんなこと言って。姉さんだってアンディのこと心配してるって、私にはわかりますよ?」
「うっさいわねー。あたしだって下僕が使い物にならなくなるかもって心配位するわ」
 つん、とそっぽを向くと、フローラはデボラの照れ隠しを見透かしたようにくすくすと笑う。
 父や母がいる時とは少しだけ違う穏やかな時。姉妹だけで過ごすこういうささやかな時間は、デボラのちょっとした宝物だ。上手い具合に見られた大事な妹の笑顔に、デボラは内心ガッツポーズをする。その喜びは決して顔には出さないが。
「……あら?」
「姉さん、どうしたの?」
 そっぽを向いた先の噴水に出来ている人だかり。その中央には半透明の黄緑。
(あれは確か……小魚男の連れだったわね)
 フローラに結婚を申し込みにきた人間をテラスから見物していたデボラは、みすぼらしいターバンの男が連れ歩いていたモンスターも見ていた。その中にあの黄緑があったのを覚えていた。
 どういうわけかナイトはいないが、スライムナイトの相棒スライムだ。スライムナイトの乗るスライムは通常の青色やバブルスライムの毒々しい緑と違い、透き通った黄緑色をしている。スライムナイトはサラボナ辺りにはいないモンスターなので、魔物使いの例の男の仲間だとすぐにわかった。
 自警団の男どもが、情けなくもスライム一匹相手にへっぴり腰で立派な剣を構えて対峙している。当のスライムも瞳に涙をたたえてプルプル震えているので情けなさでは引き分けだが。
「……フローラ、あんた先に帰ってなさい」
「え? どうしてですか?」
「いいから!」
 人に懐いているとはいえ結局はモンスター、あの子をスライムのそばにやるわけにはいかない。キョトンとするフローラを残し、人だかりを作っている男たちに後ろから話しかける。
「あんた達ねぇ……」
「ひっ!? デボラさん!?」
「大の男がスライム一匹対処できなくてどうすんのよ。ほらちょっと、どきなさいったら」
 言いながら、びくびくおどおどしている男どもをかき分けて噴水の縁で怯えるスライムの前に立ちはだかった。
「……これくらい、すぐ外のモンスターに比べたら可愛いもんじゃないの」
 言葉は通じるのかしら、と小さく呟いてから、デボラはスライムに顔をよせて小声で話しかけてみる。
(あの男のところに連れてってあげる。)
 スライムがデボラを見上げ、ほよよんと瑞々しく揺れる。なんとなく首を傾げたように見えた。
(……仲間のところ、っていえばわかるかしら。とにかく連れていくから、暴れるんじゃないわよ?)
 触るとチャポンと通り抜けそうなほどの透明さだったが、つまんでみると意外と弾力があってひんやりしている。抱き上げてデボラの胸の間にうまく収まると、スライムはまたほよよんと揺れた。頷いたように見えたので、了解したのだろうと勝手に解釈する。
「ちょっとあんた達」
「ははははいっ!!」
「街の中にモンスターを入れた不祥事は黙っててあげるわ。そのかわり、こいつが街に入ってきたことはこれ以上広めるんじゃないわよ。いいわね?」
「はいっ!!」
 未来の義弟に借りを作っておくのも悪くない。
「わかったら散りなさい。通行の邪魔よ」
 さっさとどきなさいったら、と顎で指示すると、まるで蜘蛛の子を散らしたかのように男たちは消えていった。情けないわね、とデボラが呟くと、まったくだといわんばかりにスライムがほよんと揺れる。肌に触れる冷たさが心地よい。こんなぽよぽよもちもちの肌になれたら最高なのにね、とデボラはスライムの頬をつついた。

 

 

 町の入り口で馬車の管理をしている男に例の男の馬車について聞くと、一番街から離れた馬房に馬をつないでいたという。そこまで歩くと全く人気が無く、いるのは……。
「相棒ぉーーー!!」
「ぴっきーーー!!」
「きゃあ!?」
 叫んで走ってきたのはスライムナイトの片割れ、ナイトの方だ。デボラが抱きかかえてきたスライムもそのナイトに飛びつき、感動の再会を迎えている。
「さっきはひどいこと言ってごめんなさい!! もう二度とお前と離れたりなんかしませんからね!!」
「ぴききー!! ぴきぴきぴっきー!!」
「そこの人間さんっ、本当にありがとうございます!!」
「え、ええ……」
 涙涙の友情に感動、の場面のはずだが、デボラはそんなもの気にもならないほどに驚いていた。スライムの方はともかく、ナイトの方は完璧に人語を操っている。知能が高いモンスターがしゃべるという事実は聞いたことがあったが、ここまで流暢に話せるとは。このナイトが頭がいいのか、それとも例の小魚男の教育がいいのか。
 おいおい泣くナイトを感心しながら眺めていると、名も知らぬ木槌を引きずるモンスターがデボラのショールをひっぱった。
「おまえがピエールの相棒連れてきてくれたのか? ありがとなー」
「……あんた、誰に向かっておまえ呼ばわりしてんのよ。デボラ様とお呼び、デボラ様と」
「でぼらさまって名前なのか? 変な名前だなぁ」
「違うわよ、名前はデボラだけ」
「じゃあデボラでいいじゃねーか?」
「だからぁ、さん付けとか様付けとか……いいわ、あんたとは話してると長くなりそう」
 人間観での常識はさすがに身についていないらしい。面倒になって別のモンスターに目を向けると、体の大きいキラーパンサーがキメラと一緒に木登りをしようとしているのが見える。どちらも凶暴なはずなのに襲いかかってこないのは、彼らが根っこから優しいモンスターたちなのか、あの小魚男の教育の賜物なのか。
「ふぅん……やるじゃない、小魚の割に」
「小魚? デボラ、おなか減ったのか?」
「違うったら。あんた達の主人のことよ」
「リュカのことですか?」
 涙をぬぐったスライムナイトがデボラに問いかける。ナイトに跨られたスライムが、ぽぷよんと自慢げに揺れる。さっきの彼とは違い、どことなくハリを取り戻したような気がする。
「へぇ、リュカって名前なのね」
 そういえば、とデボラは例の小魚男のことを何も知らないことに気付く。もしかしたらこれは大事なフローラの婿候補の情報をつかむ絶好の機会かもしれない。

 

 

 モンスター達の紹介をそれぞれ聞き終って、さあリュカとやらのことを聞こうじゃないの、と意気込んでいると、ピエールと名乗ったスライムナイトがデボラに問いかける。
「そうだ、聞きたいことがあったんです。デボラ……様?」
 そうよわかってるじゃない、と満足げに頷いてからデボラが続きを促す。
「『けっこん』とはいったい何なのですか?」
「……はぁ?」
「リュカは最初、『けっこんなんて面倒くさいからしない』って言っていたんです。でもこの前急に『けっこん最高』なんて言い出しまして。リュカに聞いても詳しく教えてくれないし、他に人間と関われる機会なんて滅多にないから、教えてほしいんです」
 あまりにも予想外のことを聞かれて、デボラは思わず噴き出した。ピエールの声が大真面目だから却っておかしい。
「……なぜ笑うんですか」
「ふふ、悪かったわね。唐突だったから驚いただけ。……そうねぇ、愛し合う者同士が伴侶と共に歩むことを誓う儀式とでもいえばいいのかしら」
「はんりょとともに……?」
「……要するに、お互いずっと一緒にいたい人に、私はずっとあなたと一緒にいますよってことを誓うのよ」
 デボラは説明しながら苦笑いする。どれだけ豪奢な指輪やらドレスやらで着飾ってみても、どれだけ豪華な式場で大仰に愛を誓い合っても、本質だけとらえればこんなにもあっさりとした口約束なのか。
「じゃあ、どうしてリュカは『めんどくさい』と思ったんだろうなー?」
「そんなのあたしが知るわけないでしょ」
 結婚をめんどくさいで片づけてた男が、急に心変わりする理由って何かしら。もしかしてフローラに一目惚れ? まぁ、あの子の可愛らしさといったら世界中の可愛いもの全部集めたって足りないくらいなんだもの、それなら納得だわね。
 それが全くの見当違いであることにデボラが気付くのは、もう少し先の話だ。

 

 

「めっきっきー!!」
「がるる、がうがう!!」
「おや? メッキー、ゲレゲレ、どうしたんですか?」
 ピエールに呼ばれて、つい最近仲間になったキメラのメッキーとゲレゲレが振り返る。メッキーが翼で指すのは木の上だ。
「何事よ?」
「……あー、あのでっかい木の実が取りたいんだな」
「あの高さでは届きませんねぇ……」
 見上げる先には割と大きめの樹木。折り重なる葉の向こうに生っているのは大きく熟れた桃の実だ。鼻がよく効くゲレゲレにはたまらない匂いだろう。ゲレゲレは高さ的に届かないし、メッキーの翼も葉っぱでつかえてしまって届かない。
「デボラぁ、あれ取れねえか?」
 モンスター全員の視線を浴び、さすがにここで「無理よ」と一蹴するのは可哀想だったので、デボラは纏っていたショールを地面に置いた。
「……もしあの実が手に入ったら、いろいろ話聞かせてもらうわよ。いいわね?」
「もちろんです!」
 ピエールの嬉々とした声を聞いてから、デボラはかなりの高さにある桃を見据えた。