Crimson Darling【3】

 リュカの国王即位に加えて、2か月近くの早産ではあったがデボラが無事に、しかも双子の出産を終えたことで、グランバニアは国全体が祝賀ムードに染まっていた。
 中央広場では大規模な宴会が開かれ、誰もかれもがその幸せに酔いしれた。酒には弱いため普段は一切飲まないリュカも、大臣やらサンチョやらに勧められるままワインを口にしてみたりして、仲間達まで仲良く酒に酔いだしたりして、なかなか愉快な夜だった。
 しかし今朝。その祝賀ムードは一気に吹き飛ばされた。
 俺の予感は大抵当たる。嫌なことなら尚更だ。
「デボラ……何処行っちゃったんだろーなぁ?」
「がるる……」
「メッキー、大丈夫ですよ、落ち着いて下さいってば!」
「ぴきー、ぴっきー!」
「めきゃー!! めきゃーっ!!」
 会議室のリュカの隣でメッキーが取り乱している。俺だって取り乱せるものなら取り乱したい。
「どうなさいます、リュカ王」
 深刻な顔でサンチョが問いかける。指を組んでうつむくリュカは、まだその呼び方に慣れていない。

 昨日の晩、宴で出された酒に入っていた睡眠薬のせいで国中が静まり返った頃。誰よりも早く目覚めたリュカが、嫌な予感を拭いきれずに寝室へと走った頃には、もう遅かった。
 二人の子を残して、デボラが魔物にさらわれた。
 子供たちを託された侍女の話では、魔物達が襲いに来る少し前からデボラは何かに勘付いていたらしい。奴らの影が見える前に子供と一緒に隠れるように言われ、何が何だか分からないうちにベッドの下に隠れたところ、突然魔物の奇声と魔法の爆ぜる音が響き渡ったという。
 あまりの恐ろしさに腰が抜けるやら震えが止まらないやらで、その侍女は子供たちが起きないようにしっかり抱きしめたまま隠れ続けるしかできなかったとか。そりゃあそうだ、戦闘経験など皆無の彼女は生きていただけで奇跡に近い。
「……何でだよ……」
 証言者として会議の場に召喚された侍女がビク、と震えたので、ごまかすように作り笑いを向ける。別に彼女を責めているつもりはない。
 何で、いなくなるんだよ。何処にもいかないって言ったじゃないか。
 子供が捏ねる駄々のような文句がつい口からこぼれただけだ。真意なんて誰にもわからなくていい。リュカはもう本日何度目かわからない溜息をつく。
「それで、魔物達が去る時には何か聞こえましたか?」
 サンチョが侍女に問いかける。しかし魔物の奇声が聞こえた、ということはおそらく人語を繰るタイプではないのだろう。
「大きな羽音が……」
「羽音、ね……」
 恐怖を思い出したのか震える侍女の言葉に、少し冷静になってリュカは考えを巡らせる。こんな事態でも取り乱さずにいられる自分の神経にすこし感謝だ。
 空を飛んで逃げたとなると、先程オジロン氏が付近へ向かわせた捜索隊はほぼ無意味だろう。おそらくアジトは簡単には追いつけないような山向こうか、あるいは……。
「サンチョ、もう少し広域の地図が欲しい」
 リュカの声に答えてサンチョが資料室へ走る。響く足音を聞きながら、リュカは確信に近い予想を立てていた。
 突然のリュカ達の帰還で急な宴だったため酒の在庫がなかったらしく、昨晩振る舞われた酒は国の備蓄としてしっかりと鍵のかかった貯蔵庫から出されたものだ。先程ちらと貯蔵庫の様子を見たが、荒らされた様子も鍵がこじ開けられた様子もなかった。聞くと昨日は偶然鍵が開いていたらしい。酒樽にも特に引っかき傷などは見当たらなかった。奴らが城に侵入してきた時間帯も、まるで睡眠薬が効いてきたのを見計らったような頃合いだった。加えてグランバニア城はかなり入り組んでいる。パッと外観を見ただけで王妃のいる部屋がどこなのかなんてわかるはずがない。
 となると例の魔物達は、偶然鍵の開いていた貯蔵庫に毛の一本も落とさず侵入し、偶然傷一つ付けずに全ての樽に睡眠薬を仕込み、偶然皆が寝静まった頃に、偶然入った部屋にいたデボラを連れ去った、ということになる。
 偶然なわけが、ない。
(内通者がいるのか……この、中に)
 この城の人間が貯蔵庫の鍵を開けて睡眠薬を仕込み、酒に口を付けないまま皆が寝静まったのを確認してから、魔物どもにデボラのいる部屋に行くよう合図を出したのだ。
 その内通者が誰なのかはまだわからない。しかし、リュカが王になることに不満を持っている人間がいるのは昨日の下郎共の言動で明らかだ。
 王妃に手を出そうなんていい度胸じゃないか。全力で叩き潰してやる。
 組んだ指に力を込めながら笑顔を保っていると、ふと二つ右隣の空白に気が付いた。
(あの席は……大臣殿?)
 そういえば、城の要人が全員顔を出しているこの場で大臣の顔をまだ見ていない。辺りを見回していると、ちょうどサンチョが大陸規模の地図を持って会議室に入ってきた。
「リュカ王、こちらでございます」
 だからリュカ王はやめろ、と言おうと思ったが今はそんな場合ではない。差し出された地図を無視してとなりのオジロンに問いかける。
「……オジロン殿。大臣の姿が見えないようですけど」
「はて、大臣ですかな? そういえばまだ来ておらんようだが……」
 会議はとうにはじまっている。知り合って日が短いとは言え、彼が時間にルーズそうな性格をしているようには見えなかった。
 怪しい。そう思った時にはすでにリュカは椅子を倒して立ち上がり、走り出していた。
「あ、リュカ!」
「どこいくんだよっ」
 リュカに比べればよほど冷静な仲間たちが、慌てて後をついてくる。部屋の中の人間がきょとんとしてこちらを見ている様が一瞬視界の端をかすめる。使えねぇ、と聞こえないように舌打ちをしたリュカは、大臣の部屋のドアをぶち開けた。
 上流階級とは言え、一役人には豪勢すぎる部屋の中、リュカは手当たり次第に手がかりを探しだした。リュカの様子を見て仲間達も部屋の捜索を手伝い始め、メッキーが本棚の本を全てぶちまけゲレゲレがシーツを爪で裂き終わった所で、サンチョがドタドタと入ってきた。
「ぼ、坊っちゃん!! 何をなさって」
「うるさい黙ってろ!!」
 サンチョの肩がビクリと跳ねる。態度の急変に驚いたのだろう。
「しかし、このように乱暴な真似は! まだ大臣殿が彼奴らと繋がっていると決まったわけでは……」
「疑わしきは罰するんだよ、俺は」
 サンチョの方に一切顔を向けないまま、リュカはクローゼットをひっかきまわす。何か、何かないのか。魔物どもの根城に繋がる手掛かりは。
「……まさか坊っちゃん、王妃様を探しに行かれるおつもりですか!?」
「当たり前だ、何を言ってる」
「なりません! ここは兵士たちにお任せを!!」
「自分の相棒探すのに他人使えってか。ふざけた地位だな、国王ってのは」
 先程の大声で漸くこちらに駆け付けた兵士たちが、何事かと騒ぎたてている。野次馬にしか成り下がれないとは、ホントに使えねぇな。
「おいリュカ!」
 書棚の引き出しを探っていたブラウンが、珍妙なデザインの靴を手にしていた。触れるとかすかに、術を施されている気配がした。
「……ルーラの魔力だな。メッキー、追えそうか?」
「めきー」
「ゲレゲレ、この部屋の臭いしっかり覚えとけよ。多分辿ることになる」
「がう」
 なるべく急ぎたい。リュカは部屋からすぐにルーラで飛べるよう、空の見える場所を探す。都合よく窓があったのでそこに足を掛けようとする。
「坊っちゃんっ!!」
「うわっ」
 強引に腕を引っ張られてバランスを崩す。転びそうになるのと殴りそうになるのを何とかこらえた。
「なりません!……産まれたばかりの御子達を、置いていくなんて」
 必死にすがるサンチョの言葉に、一瞬リュカの理性は消えうせた。
 ここに来て、子供までダシに使う気なのか。

――キィン!

「ひっ……!?」
 足払いを掛けられ倒れたサンチョの首すれすれに剣をつきたてた。怯えたサンチョの瞳に映った自分の瞳は、随分と冷たく無感情な光を灯している。
「この国の王は誰だ、言ってみろ」
 恐怖からか声も出ないらしい。サンチョはひきつった顔でふるふると首を振る。
 城の連中が扉付近でこちらを眺めている。正確には足がすくんで動けないのだろうが、リュカにはおろおろするだけの無能共の塊にしか見えていない。リュカはその苛立ちを剣に乗せ、連中に向かって吠えた。
「逆らう奴は反逆罪で斬首刑だ!! 今なら国王直々に刎ねてやる、文句があるやつはかかってこいっ!!」
 向けられた刃に余計に震えあがる彼らにリュカが気付くはずもなく、リュカは怖気づいた彼らに、今度はちゃんと聞こえるように、舌打ちをくれてやる。
「反逆者だ、牢にぶち込んでおけ」
 言われれるがまま、その場にいた兵士がおどおどとサンチョの両脇を掴んで引き起こす。放心状態のサンチョもなすがままだ。
「ピエール、ブラウン。お前らはここに残ってろ」
「残ってろって、3人で大丈夫なんですか?」
「ああ、大勢引き連れるよりマシだ」
 兵士やサンチョへの皮肉のつもりもあったが、リュカには別の考えもあった。
 オジロンの性格や態度をみるに、おそらく大臣の目的はグランバニアを傀儡政権にすることだろう。そうすると洞窟で出会った例の不気味な男たちにも合点がいく。デボラをさらったのはリュカをおびき出すための餌か、グランバニアを攻め落とすために内部混乱を引き起こすためか。
 どうせコテンパンにするなら、そのどちらの思惑も叩き潰してやらねば気が済まない。
「俺らは敵の親玉潰してくるから、お前らはグランバニア防衛を頼む。お前ら二人であの糞役立たずな兵士共の3倍は動けるだろ?」
「……極力保たせますから、早く帰ってきてくださいね」
「気をつけていくんだぞー?」
「ああ、そっちは任せた」
 そう言って彼らの頭を撫でてやってから、再び窓枠に足を掛ける。
「パパス、様……」
 震える声でサンチョが呟いた。きっと母が魔物にさらわれた日と今とを重ねているのだろう。
「ごめん、サンチョ」
 振り返って、リュカは泣きそうなのを我慢して微笑んだ。
 父は偉大だった。偉大“だった”のだ。
「俺は先王には……父さんには、なれないんだよ」
 そんな絶望した顔で見ないでくれよ。
 間違ってるのは俺だなんて、そんなのもうわかっているんだ。
「俺やデボラに何かあったら、あの子らを頼む」
 そう言い残して、リュカは部屋の窓から飛び降りた。

 

 

「……気持ち悪ぃ……」
 そうリュカが呟いたのは、3度目の旅の扉をくぐった後だった。こればかりは何度通っても慣れる気がしない。
 山奥の小さな修道院で軽く情報収集してから、リュカ達はデモンズタワーと呼ばれる不気味な塔を上っていた。出てくるモンスターが強力なのはもちろんだが、それよりも厄介なのは塔の作り。やたらと凝った仕掛けが施されていて面倒くさくてたまらない。
「がうぅ?」
「……あぁ、大丈夫だ。昨日の酒が残ってるから余計にキてるだけだよ」
「めきゃー……」
 ゲレゲレとメッキーが心配そうにこちらをうかがう。彼らにはあまり影響はないらしいので少し安心した。
 もとは修道士の鍛練のために作られたというこの人工の塔は、デモンズタワーと呼ばれる通りモンスターの巣窟と化している。薄気味悪いアームライオンを何匹か切り捨ててから、リュカは道具袋を城に置きっぱなしで来てしまったことを思い出した。薬草や聖水を持ってこなかったのは痛いが、あそこで準備をしている時間すら惜しい。
 凶暴な魔物を倒しながらいくつか階段を上り下りしていくと、炎を吐きだす竜の石像の並ぶフロアに辿りついた。立ち並ぶ石像の向こう側に、上の階へ通じるらしい階段が見える。
「上にある岩はここで使うのか? ……メッキー、ちょっと見てきてくれ」
「めきー」
 先程通った階には、丁度この石像の口を塞げるような大きさの岩がいくつも並んでいた。リュカが天井を見上げると、ちょうど岩を落とせそうな穴があいている。メッキーが天井付近まで飛んで、大きさの確認と岩の数を報告してくれた。
 しかしいちいち上へ戻っていては手間だし、あの高さでは岩を落としたら割れてしまう可能性もある。何か別の方法はないものか……。
「……考えるだけ無駄、だな」
「くぁ……?」
 ふいに歩き出したリュカを見てメッキーが首を傾げている。
 そう、考えるだけ無駄なんだよ。リュカがふらふらと石像に近付く。
 防ごうとするからいけないんだ。炎でもなんでもそのまま浴びてしまえばいい。突っ切った方が早いに決まってる。
 早く。早く進まなければ。
 今行くから。
 デボラ。

―――ドカッ!!

「うわっ!?」
「がるる、がぅー!!」
 突然ゲレゲレにのしかかられ、床に押し倒される。
「……なんで、止める……?」
 急いでるんだ。急がなきゃいけないのに。何で、邪魔を。
 のしかかってリュカは動きを止めているゲレゲレは何やら必死な形相だ。その頬を撫でながらリュカは、わけがわからないと言った風に首を傾げる。
「めきー……」
 しょうがないわね、とでもいうようにメッキーがくちばしでコツコツとリュカの額をつついた。石像の方に振り返った彼女は、大きく息を吸い込んで凍りつくような冷たい息を吐き出す。すると途端に竜の石像に霜が張り付き、白く変色していった。
「めきー、めきゃー?」
「がうがう」
 何やら会話を交わした後、メッキーは先へ進む階段へと飛んでいき、ゲレゲレはリュカの前で頭を下げてしゃがみこんだ。
「乗れ、ってことか?」
「がるる」
 よくわからないままリュカが背に跨ると、ゲレゲレは床を強く蹴って駆け出した。
 白い竜の並ぶ通路をゲレゲレが風を切って走っていく。凍りついた石像はまず火炎放射口を塞いだ氷を融かし、時間差でゲレゲレの通り過ぎた後に発火していく。ゲレゲレの背にしがみついて、メッキーの奴なかなか考えたなぁ、と他人事のようにリュカはぼんやり思っていた。
 石像の通路を突破した階段で、リュカ達より先に飛んで行ったメッキーが待っていた。心なしか自慢げに胸を張っている。
「めっきっきー」
「ありがとうなメッキー。危うく全身火傷で死ぬとこだった」
「めきー」
 肩に止まってこちらを見るメッキーは、何処か安心したような表情を浮かべている。足元に寄ってきたゲレゲレも少しホッとしているようだった。それを見て改めて、自分がどれだけ馬鹿げた発想をしていたのかを痛感する。
「がう、がうがう!」
「あぁ、ゲレゲレもありがとう」
 その頭を撫でてやろうとすると、ふいにゲレゲレが顔を背けて階段の方に目を向けた。
「何だ、どうした?」
「ぐるる……」
 床に鼻をつけてゆっくりと進んでいく。何か見つけたのだろうか、とリュカがゲレゲレに合わせて歩いていると、今度は肩に止まっていたメッキーが突然羽ばたいて先へ行ってしまう。
「おいおい、何だってんだ」
 慌ててメッキーについて階段をのぼり切ると、そこには。
「…………!!」

 どくん。

 心臓の音が、やけに大きく聞こえた。
「リュカ、王……何故ここに!?」
 今朝の会議を欠席した大臣だった。塔の魔物にやられたのか、足を引きずっている。
 不安げな顔でメッキーが振り返る。ゲレゲレも何か言いたげだったが、それを制してリュカは歩を進めた。
「くそっ、やはり魔物どもに力を借りたのは失敗だった……!」
 何処へ逃げる気なのかは知らないが、大臣は血を滴らせながら必死にリュカから離れようとしている。その哀れな後ろ姿を眺めて、リュカは無造作に剣に手を掛けた。

 どくん。

 鼓動が聴覚を遮る。怯えた顔で言い訳しようと無意味に震える唇が滑稽に見える。
 初めて、命を奪うことを躊躇しなかった。
「このままでは、グランバニアが」
「いい」
「え……」
「もう、いい」

 どくん。

 裏切り者の言葉が終わるのを待たずに、リュカの剣は忌々しいその喉を骨ごと叩き切る。
 刎ねた首から飛び散る鮮血を浴びても、リュカの瞳には昏い色しか映らない。
 どちゃり、と肉塊が落ちる音がした。