Crimson Darling【4】

 塔に備え付けられた数少ない窓から光が差し込む。あの唐突な襲撃から半日過ぎたのか、と朦朧とした頭でかすかに思考する。
 誰もいない薄暗い牢屋のような部屋のなか、デボラは拘束されたままぐったりと横たわっていた。
(一体何がどうなってんのよ……)
 深夜まで続くと覚悟していた民衆のざわつきが不意に止んだ昨晩。静まり返った城内に不信感を抱いていると、外から明らかに異様な量の羽音が聞こえたためとっさに子供と侍女をベッドに隠したのだが、出産直後の母体に彼奴等に抵抗するほどの力などあるはずも無く、そのままさらわれて現在に至っている。
(リュカが“洞窟で妙な野盗に襲われた”とか言ってたけど……そいつら絡みかしらね)
 何か文句があるなら直接俺に来るだろうから心配するな、とリュカは言っていた。だから余計に心配なのよ気をつけなさいよ、と念を押したはずの自分自身に矛先が向くとは。人の心配をする前に自分の心配をするべきだったと後悔してももう遅い。
 情報が足りなさ過ぎるせいなのか、不思議と不安はあまりなかった。まずはここが何処なのか、これから自分は何をされるのか、そもそもどんな目的で連れ去られたのか、魔物の集団の中に一瞬大臣の姿が見えたがあれは一体何だったのか。知りたいことだらけだ。
 そうだ、リュカ。複雑そうな顔で、それでも少し嬉しそうに赤ん坊を抱いていたアイツは、一体何をしているんだか。頭の回転の速い奴だから無茶はしてないだろうけど、兵士に捜索くらいさせてるのかしら。いや、元々あたしはアイツにしてみれば捨て駒だったわけだし、そのまま切り捨てられてる可能性もなくはないわね。体調の悪さが思考をさらにネガティブにしていく。
 じゃら、と手首に巻きつけられた鎖が音を立てる。まだ眩暈が酷くて立ち上がれそうにない。石の床の冷たさが躯にじわりと染みた。

 

 

 しばらくすると、蝙蝠の羽をはやした鳥人のようなモンスターがデボラの元へやってきた。
「いつまで寝ている、起きろ」
 ドス、と軽く背中を蹴飛ばされる。コイツも人語が操れるのね、と眩暈が加速する頭で考える。
「このあたしに命令なんていい御身分だこと……あんた、自分の立場ってもんを考えた方がいいわよ」
「貴様こそ立場をわきまえろ。言うことを聞かないと斬るぞ」
「うるっさいわね……こちとらアンタたちに乱暴に誘拐されたせいで動けないのよ、運ぶくらいしなさい」
 苛立ったように舌打ちしたモンスターは、デボラを横抱きの形で抱えて部屋から飛び立つ。思ったより丁寧じゃない、と一瞬思ったがおそらく俵担ぎでは羽ばたきにくいというだけだろう。
「一体ここは何処なの?」
「それは言えない」
「これからあたしは何されるのよ?」
「貴様が知る必要はない」
「なら、あたしがさらわれた理由は何なの?」
「……俺は知らん。あの方の考えなどわからん」
「あの方ぁ? 何、アンタ下っ端?」
「うるさいやつだな。少しは黙ってられないのか」
「使えないわね……じゃあアンタ、あたしを何処に連れていくように言われたの?」
「ジャミ様の御元だ。あの方にお近づきになれるだけでも光栄に思え」
 そのジャミだか何だかいう奴が首謀者なのかしら。ぐんぐんと上昇していくモンスターの腕の中で、デボラはすこし記憶を探る。ジャミ……その名前、どこかで聞いたような、聞かなかったような。塔のてっぺんに近付いたところでふと景色をみると、山向こうにグランバニアが見えた。そこまで遠くは無いらしいが、自力で帰るとなると骨が折れそうだ……いいえ、帰れる保障も無いんだったわ。
 デボラが歩けもしない状態だというのは理解しているらしく、塔の頂上に降り立ったモンスターはデボラを抱いたまま螺旋階段を下る。奥からくぐもった邪声が聞こえてきて、眩む視界に加えて吐き気まで催してきた。気持ちが悪い。
「……やはり、人間には毒なのか」
「は……何が?」
 ふいにモンスターが話しかけてきた。独り言のようにも聞こえたが、とりあえず返事だけしておく。
「ジャミ様は先の戦いに備えて結界を張るとおっしゃっていた。悪魔術を使ったものだから、聖なるものを好む人間には効果的だと。そんなに気分が悪いなら、耳を塞ぐなり何なりすればいい」
「……とんだ馬鹿ね」
 言われた通り耳を塞ぎながらデボラは続ける。
「今から結界張ったって無駄よ、無駄。その日のうちにすっ飛んでくるなんてありえないわ、相手はあの腹黒小魚ですもの」
「……来るのは人間だと聞いていたが?」
「物のたとえよ。ピエールみたいなボケかまさないで頂戴」
「ピエール……?」
「こっちの話よ」

 階下から赤黒い怪しい光が漏れる。くだらない話をしているうちにどうやら例の結界とやらが完成したらしい。
 デボラ達がその部屋に辿りつくと、巨大な影がこちらを振り返ってニヤリと笑った。不気味な魔法陣から出てきたそいつは紫のたてがみと尻尾を揺らして近付いてくる。
「来たか、ホーク」
 こいつがジャミとかいうやつね、とんだ馬鹿だとは言ったけれど本当に馬だとは思わなかったわ。あまり緊張感のないデボラとは対照的に、ホークとよばれたモンスターはデボラを抱えたままガチガチに固まっている。
「はっ! 第2飛行部隊隊長ホーク、捕えていた女を連れてまいりました!」
「よしよし、まだ死んではいないようだな」
 ジャミが下卑た笑みでこちらを覗きこむ。
「他の低級モンスターに連れてこさせれば途中で喰ってしまうだろうからな、よくやった。女はその辺に転がして、お前も本隊に加勢しろ」
「はっ!!」
 敬礼でもしそうな勢いで姿勢をただしたホークは、魔法陣の中央にある玉座へ向かうジャミを見て嬉しそうな顔をしてから、デボラの視線に気付いて慌てて表情筋を引き締めた。どう取り繕ってもアンタがジャミ様命なのはバレバレよ、バカねぇ。
(何を見ている)
(この角度だと見たくなくても見えるのよ。その緩みきったクチバシとかね)
(いちいちうるさい女だな、投げ捨てられたいか)
(ちょっと、ホントに転がしたらどうなるかわかってんでしょうね)
(どうなるもなにも、動けん貴様に何が出来る)
(いいから丁寧に扱いなさいよ。さもないと昨日食べたものこの場で全部戻すわよ)
(……こんのアマっ……)
 何やらいろいろ悟ったらしいホークは苦々しい表情のまま言葉の続きを飲み込み、溜息をついてからそっとデボラを床へと寝かせる。何とか吐き気を堪えているデボラに、ばさりと何かが被せられた。
(戻すならその上で戻せ。俺の面子が潰れるだろうが)
 さっきまで羽織っていたマントらしい。言葉どおりにとっていいのか、好意として受け取るべきか。どちらにしろありがたい。
(ホークとか言ったわね。名前くらい覚えておいてあげるわ)
(今すぐ忘れろ、俺の名が穢れる)
 ギロリとこちらを睨んだホークは、ジャミに見えない角度で思い切り中指を立てて部屋から出て行った。

 

 

「ふん、生き餌に情でも湧いたか」
 鼻を鳴らしてジャミがこちらを向いた。魔法陣が放っていた不気味な光が薄れ、徐々にジャミに吸い込まれていくのが見える。
「だからあいつはいつまで経っても第2部隊のままだというのに……愚かな奴め」
「……そうかしら、いい部下なんじゃないの」
 そう言いながら、デボラは受け取ったマントを手繰り寄せる。何か羽織るものがあるだけで大分違うわね、なんてのんきなことを考えていると。

―――ドカッ!!

 凄まじい衝撃とともに、世界が反転した。
「げほっ、けほ……!?」
 どうやら蹴飛ばされて壁に叩きつけられたらしい。口の中に血の味がじわりと広がる。ショックで少し頭が目覚めたのか、靄のかかっていた視界が急にはっきり見えた。
「口をきいていいと誰が許可した? 餌風情が無駄口を叩くな」
 苛立った風なジャミは、部屋の中央にある立派な玉座にどっかり腰かける。
「餌ですって……喰いつくかどうかもわからないのに、何を言ってるんだか」
「何?」
 小さく呟いたデボラの声は、どうやらジャミには届かなかったようだった。ジャミの不審な目を無視したデボラは、衝撃で少しだけ緩んだ手首の鎖を引きずって、ずるりと壁に寄り掛かる。
「どうせあたしを殺すことは出来ないんでしょ? どうせならあたしを攫った理由くらい教えなさいよ」
「無駄口を叩くなと言ったはずだが……まぁいい、冥土の土産に聞かせてやろう」
 言いつつ嬉々として話し始めるあたり、もしかしたら理解できる頭を持った部下が少なくて鬱憤が溜まっていたのかもしれない。ジャミの話を流し聞きしながら、デボラは手首を捻って鎖をさらに緩めていく。

 話の大筋は、リュカが探してやまない天空の勇者に絡んだものだった。
 言い伝えでは天空の勇者は高貴な血から生まれるといわれている。近年、ゲマと呼ばれるジャミ達の親玉が勇者の誕生を予言したことから、魔物達は自らの脅威となる勇者を排除すべく、片っ端から貴族や王族の子供を攫って奴隷にしていたらしい。しかし、いくら子供を攫っても天空の勇者が生まれるという親玉の予言は変わる気配がない。そしてしらみつぶしにあちこちの王侯貴族を潰してきたジャミの軍は、かつて光の神殿から脱走したリュカの存在を発見した。
 まさか逃げた奴隷がグランバニアの正統後継者とは思っていなかったジャミ達は、光の神殿の要所としてデモンズタワーを乗っ取る計画と並行して、リュカを亡き者とする算段を進めた。以前から王家転覆を狙っていたらしいグランバニアの大臣は、こちらのもつ強大な武力を理由にそそのかすことができた。あとは王妃を攫いリュカをおびきよせ、双方警備が薄くなったところを潰すのみ。
 鎖はジャラジャラと音を立てるばかりで、中々ほどけてくれない。小指を強引によじって爪で鎖を削るデボラは、聞き覚えがある単語に気付く。
 ゲマ。その名をリュカが忌々しげに呼んでいたのを思い出す。リュカの父親の敵だ。
 だからこいつ等は、執拗にリュカを狙うのだろう。一度屈辱を味わわされた男に対する復讐のために。

 話し終わって一息ついたジャミは、不気味にニタリと笑って此方を向いた。
「加えて貴様、富豪の娘というではないか。天空の勇者が生まれる条件に一番近いお前達を始末すれば、魔族の繁栄は確実だ。ゲマ様も俺への評価を上げてくださるに違いない」
 何やら魔物の中でもきっちり上下関係があるらしい。魔物社会も難しいのね、なんて事を考えながら、デボラは一つ希望を見出していた。
 もしかしてコイツら、昨日子供が生まれたことに気付いてないんじゃないかしら。
 だとしたら、子供たちの存在に気付く前に何としてもこの計画を崩さなければならない。
 あの子たちはきっと、リュカの家族に、生きる支えになれる。おそらくここで殺されるであろうあたしの代わりに。
「……ふふ、あはは」
 思わず笑みがこぼれた。
 リュカもつくづく不運だわ。父も母も、故郷も失って、挙句使い捨てとは言え妻まで失うんですもの。
「何がおかしい?」
 苛立っているのか、ジャミが眉根を寄せる。
「偉そうに語ってるくせに、凄まじい計画倒れだこと。下調べもロクにしない奴が評価されるなんて、魔物社会の親玉は随分人を見る目がないのね?」
「何だと!?」
「前提から間違ってるくせに、よくもまぁ“魔族の繁栄は確実”だなんて言えたものね。人質選びも下手糞極まりないし」
 辛辣な口調のまま、デボラは続ける。自虐を自虐とも思わずに。
「あたしは富豪でもなんでもないわ、ただの捨て子よ。誰の子かもわからないのに、高貴も糞もあったもんじゃないわ。大体アイツが直々にあたしを探しに来るとでも思ってるの?」
 自らの血筋を負い目に思っていたつもりはない。しかし、口から衝いて出てくるジャミをなじる言葉は自分を蔑むものばかりだ。旦那を立てるために自分を卑下するなんて、あたしはいつからこんなに健気な女になったのかしら。
 まぁ、そんなことはもうどうだっていいのだけれど。
「リュカを殺しても無駄よ。アイツが生きようが死のうが勇者は産まれるわ。余計なプランに手間掛ける暇があったら、奴隷に逃げられるなんて失態犯さないように警備に力でも入れたらどう?」
 体を起こし、全身を引きずるように立ち上がる。眩む頭を持ち上げながら、こちらを睨むジャミをキッと見据える。

 さぁ、さっさとリュカから手を引きなさい。
 邪魔になった人質を始末して、この計画は失敗だったと思い知りなさい。
 これ以上あたしをアイツの足手まといにさせないで。

 パキ、という何かがひび割れる音がした直後。
 それはまるで、デボラの決意をぶち壊すかのようにはじまった。

―――ガラガラガラガラッ!!!

 階段から凄まじい崩壊音が響いて振り返ると、モモンガのような鳥モンスターが2匹ほど無残に床に叩きつけられていた。どうやら壁を突き破るために使われたらしい。
 コツコツと靴音を立てて部屋に入ってきたのは、血まみれの見慣れた紫色。
「デボラ」
 たった1日離れていただけなのに、もう何年も声を聞いていなかったかのような錯覚を覚える。
「帰るぞ」
 殺気立つ気配の中リュカは、ふわ、と安心したような笑顔を浮かべる。
 何考えてんのよ、なんで来るのよ、来てどうすんのよ。
 色々言うべき事がデボラの頭を駆け巡ったのだが、最初に口を衝いて出たのは、自分でも気付かなかった本音だった。

「来るのが遅いのよ、ばかっ!!」