鎖に繋がれているデボラがもどかしそうにこちらを見ている。必死に手を動かしているのは、多分鎖をほどこうと必死なんだろう。
リュカは何度目かの硬い蹄の横蹴りをかわして体制を立て直す。打撃は何発か打ちこんだつもりだが手ごたえが全くないのは何故だ。
「くそっ……」
舌打ちしながら狙いを定めて剣を振り下ろす。当たりはする癖に、目の前の馬面は歪むどころか歯ぐきをむき出してニヤついている。
「ふはは、どうした!? 痛くもかゆくもないぞ!!」
そこらの魔物とはレベルが違う。かわした打撃は壁に当たって、石材を粉砕した。ジャミは再び蹴りを繰りだしながらいやらしい笑みを浮かべる。軽いジャブのような振りのくせに実際の威力が見た目の数倍もあるのはどういうわけだ。
―――ギィンっ!!
「何っ!?」
これまた軽くふるわれた後ろ蹴りでリュカの剣は勢いよく弾かれ、ギッ、と鋭い音を立ててデボラのそばに突き刺さる。
「もう打つ手無しか? 戦い甲斐のない奴め」
そう呟くと、ジャミはリュカをドサリと床に押さえつけ、フン、とつまらなそうに鼻を鳴らした。動けないように蹄を喉に押し付ける。呼吸もままならない。両手で精いっぱい前足をどかそうとしても、びくともしない。
「あの男の子供だから多少の期待はしていたが、全く楽しませてくれないのもつまらんな」
「はな、せ……ぐっ」
「死者への復讐は出来ずとも……奴が命懸けで守ったものを壊せるのなら、よしとするか」
苦しくて視界がかすむ。いやだ、このままコイツに殺されるなんて、いやだ、いやだ……
「パパスの遺志など継がせぬぞ!! このまま惨めに死ぬがいい!!」
いやだ、父さん……デボラ、
―――ザシュッ!!
肉を裂く鈍い音とともに喉を押さえつけていた力が緩む。反射的にジャミの腕から逃れ離れて、酸素を欲して思い切りむせる。刹那リュカが見たのは、リュカの剣に貫かれたジャミの姿。
「殺させやしないわ」
背中を突き刺すデボラはぜいぜいと息が上がっている。鎖は剣で断ち切ったらしい。ぐ、とジャミの背中に刺さっていた剣がさらに深く刺さる。
「か、はっ……貴様!?」
「結界で完全防備しながら“痛くもかゆくもない”ですって? 笑わせるわね」
剣を抜いてこちらに放り投げたデボラは、リュカの前で両手を広げて仁王立ちする。
「これ以上リュカに触れようものなら、あたしが許さないわ!! コイツを殺すくらいなら、代わりにあたしを殺しなさいよ!!」
彼女の手首や足首は痛々しい程赤黒く滲み、髪も乱れ切ったまま。庇うようにリュカの前に立つデボラは、どうしてもあの日を彷彿とさせる。
『……リュカ、気が付いているか』
やめてくれ、頼む。
『お前の母さんはまだ生きている』
そんな。
『わしに代わって、母さんを』
もう、一人は嫌なのに。
あの日と同じ。弱い俺をかばったまま、光に溶けて、ああ。
―――カッ!!
まぶしい光が部屋を満たし、白に染まる。
「ぎゃああああ!!」
視界が色を取り戻す前に、ジャミの醜い悲鳴で頭が覚醒した。今のは一体何の光だ、どうしてジャミがあんなに苦しんでるんだ、何でデボラの体が光ってんだ。
「結界が……畜生、この糞アマ!!」
「きゃあ!?」
怒りにまかせてふるったジャミの前肢がデボラを殴りつけ、軽い体は宙を舞って床に叩きつけられる。
「デボラっ……」
「来るんじゃないわよっ!!!」
ぴしゃりと叱りつけられて、思わず駆け寄ろうとした足が止まる。
身動きも出来ない程のダメージを負っているデボラは、上半身だけ無理やり起こして息を荒げて続けた。
「“帰る”んでしょうが、早くしなさい……愚図な男は嫌いだって、言ったでしょ」
そんな、切れた唇で威勢のいい事を。
リュカは床に転がった剣を拾って立ちあがる。舌に纏わりつく砂利と血を吐き捨て、光に中てられて悶えるジャミを振り返り、口を拭って小さく呟く。
「……嫌われちゃたまらんな」
デボラから発せられた謎の白い光はジャミに効果てき面だったらしい。剣を振るうリュカは確かに相手を追い詰めた手ごたえを感じている。
(しかし、あの光は一体……)
打って変って苦悶の表情を浮かべるジャミは目の前の刃を避けるのに必死なようだ。振り向きざまに強く斬りつけると、確かに刺さる感じが腕に伝わってくる。
「ぐっ!!」
しめた、上手いこと急所に当たった!!
よろめいた後肢にすかさず足払いを掛け、転んだジャミが此方へ向かってくる前に魔力を練りあげる。腰を落として殴りつけるように掌を押し当て、ありったけの魔力を解き放つ!!
「バギマ!!」
――ドカァっ!!
壁まで吹き飛ばしてしまえれば、かまいたちのダメージなんてどうでもいい。壁の石材が崩れる音がする。
バギマのダメージをもろに食らって虫の息のジャミは、くずおれたまま身動き一つしない。無様なその首を力強く踏みつけると、ぐぇ、と喉が鳴った。
「き……貴、様……」
「もがき苦しませてやれないのが残念だが……父さんの敵討ちが出来るんだ、よしとしてやるよ」
「畜生、あぁ……げ、ゲマ様……」
苦し紛れにせき込みながら、ジャミがかすれた声で忌々しい名を呼ぶ。
(やはりアイツが絡んでいるのか……ゲマめ)
リュカは黙ったままで力任せに剣を突き刺す。
憎々しげに歪んだ唇を、血飛沫が重ねて赤く染めた。
床に転がったままのデボラは、生きているのが不思議なくらいに全身に傷を負っている。リュカはあわてて荒い息を繰り返すデボラを抱き起した。
「無事……なわけないよな、デボラ」
「当たり前でしょうが……こちとら子供二人も産んだ後だっていうのに……」
「待ってろ、今ベホマかける」
憎まれ口を叩く元気はあるらしい。残り少ない魔力から回復呪文分を捻りだし、デボラにふわりと纏わせる。
「……すまん、怖い思いさせたな」
「別に。わけわかんなさ過ぎて逆に怖くなかったわ」
「はは、さすがデボラ様」
「当然よ」
出来るだけ集中しながら、跡が残らないように丁寧に術を施す。せっかくの綺麗な肌が台無しだ。髪の毛も埃だらけで、いつも付けている薔薇の髪飾りも見当たらない……ああ、あんな遠くに転がってる。そういえばさっきの光も気になるな。
「……ちょっと、リュカ」
「何だ?」
「もう少し起こしなさいよ。この体制じゃ辛いの」
急にどうしたのかと思いながらさらに体を抱き起すと、ふいにデボラが抱きついてきた。
「前言撤回だわ」
「……ん」
首に回された腕が震えているのが嫌でも伝わってくる。
「……どうしてあんな度胸が出たのか不思議……馬鹿ね、今頃になって怖いなんて」
「よく耐えたよ。俺の嫁が務まってるだけある」
「何それ、褒めてるの?」
「褒めてる、超褒めてる」
褒め言葉に聞こえないわよ、とデボラが吹き出す。ああ、ようやく笑った。
そろそろ全身の回復が終わる頃だが、リュカはまだデボラを離す気はない。さすがに言っておかなければならないことがある。
「なぁ、こないだ言ったばっかりだろ……俺のために傷つくなって」
「そうだったわね」
「いきなり約束破ってるじゃないか」
「だって、ああでもしなきゃ二人とも死んでたわ」
「それでも……嘘でも“代わりに自分を殺せ”なんて言うなよ……」
「……そうね、軽率な言葉だったわ」
不安げな気配を察したのか、デボラの右手が離れる。なんとなく頭を撫でられそうな気がして、とっさにその手を止めた。
「待て」
「……何よ?」
「いや、その……」
デボラの手を止めたままリュカは数秒固まる。
あまりに恰好悪い理由だから言いたくはないが、さすがにこのままじゃ説明がつかない。
「……今優しくされたら泣く」
必死に押し殺した声はすでに震えているし、おそらく耳まで赤くなっているだろうから、今どんな顔をしてるのかはデボラも見当が付いているのだろう。耳元でくすくすと笑い声がする。
「何それ。すごく見てみたいわ」
「何でだよ」
「あら、泣き顔って結構そそるものよ?」
「……変態」
そう呟いて抱きしめる力を強くするとデボラは、アンタの面子のためにも撫でるのは帰ってからにしてあげる、と苦笑いで譲歩した。
「そういえば、あの子達は? 一緒じゃないの?」
「幹部共の相手をしてもらったんだ。ゲレゲレとメッキーの実力なら一対一でもやれるだろうと思ってな」
「大丈夫なの? 降りてこないってことは、まだ戦ってるか怪我でもしてるのかもしれないじゃない」
「ああ、急ごう」
デボラを引き起こして出口へ向かう。壊れた壁の跡を見ながら、派手にやりすぎたかな、と少しだけ反省する。あいつらの傷を治して、さっさとこんな塔からおさらばしよう。ピエールとブラウンがどうしてるかも心配だし、グランバニアの状況も気になるし、子供たちの顔も恋しいし……
「そう急ぐことはないでしょう、リュケイロム国王陛下」
―――背筋が凍るような、穏やかな声に振り返る。
「な……」
玉座に佇む声の主は、あの日と全く変わらない涼しい声と、読めない顔と、絶対零度の視線で、まるであの日からそのまま切り取ってきたかのようだ。
「ご機嫌麗しゅう。いかがです、奴隷生活から一国の主にまで成りあがった気分は」
芝居がかった口調のゲマは、笑いながらデボラの方へ歩み寄る。
「まさかあなたが勇者の子孫とは……」
「勇者の……子孫ですって……?」
後ずさりながら問うデボラを無視し、ゲマは両手を広げて邪悪な魔力を練り上げ始める。手を引いて逃げようとする間もなく……
―――ピシィ……
「デボラっ!?」
「全く、忌々しい」
灰色に変色し、石像のようになって動かないデボラを淡々と払いのけ、ゲマは此方を振り向いた。
「ミルドラース様の予言の通りならば、伝説の勇者はこの女の血筋から産まれてくるのでしょう」
「お前、は……一体何を、」
続ける間もなく邪悪な魔力はリュカの体を蝕む。鉛のように重たくなっていく体を眺めながら、ゲマはにぃっと口の端を持ち上げた。
「その体で、世界の終わりをゆっくり眺めるとよいでしょう」
失われていく聴覚と視覚が、奴の高笑いと笑顔を映して、プツリと途切れた。
―――……眩しい……
鉛のような体の重さから解放され、リュカは脱力して膝をついた。青々とした芝生が肌を湿らす。
……芝生? さっきまで塔にいたはずだろ、ここはどこだ?
「……おとう、さん?」
「目が覚めた? お父さん」
まだぼんやりしている頭で声のする方へ顔を向けると、嬉しそうな笑顔の黒髪の少年と、不思議な杖を掲げた黒髪の少女。
自分のことを“おとうさん”などと呼ぶであろう子供を、リュカは二人しか知らない。
「イース……それに、アンナか……?」
名づけてから3日と経っていないはずの名を呼ぶ。瞳を潤ませて顔をほころばせる二人は、どうやら本当に自分の子供らしい。
つい先日まで赤ん坊だっただろうお前達。何かの魔法で成長したわけじゃあるまいし、まさか俺の時間が止まっていたとか……それなら思い当たる節がある、つうかそれしか考えられないな。ということは、一体今はいつなんだ……
「「リュカああぁぁぁーーーーっ!!」」
「どわっ!?」
絶叫にも似た声とともに勢いよくのしかかってきたモフモフやらぷにぷには、他でもない仲間達だ。
「うわああああん何処行ってたんですかもう、リュカの馬鹿っ!!」
「心配ばっかり掛けやがってっ!! 石になんかなってんじゃねえよっ、このおおばかやろうっ!!」
「ぴきっぴきーー!!」
「がうがうがるるー!!」
「めきゃきゃー!!」
「こら待てやめろっ!重いっつうの!!」
ゲレゲレだけならともかく、重厚装備のピエールにまで跨られてはたまらない。リュカが慌てて払いのけると、とにかく離れたくないらしく、今度はそろって足元に縋りついてきた。
「あ、ずるいみんな! お父さんに抱っこしてもらうの、僕達が先って約束したじゃんかー」
「しょうがないだろ! 早く帰ってくるって約束破ったのはリュカなんだから!」
「……何がどう“しょうがない”のかわかんないんだけど」
「あはは。無理もないわイース、みんなの方がお父さんのことよく知ってるんだもの」
撫でられてご満悦の仲間たちを眺めながら呆れ顔のイースは、アンナと一緒に苦笑いしている。どうやらリュカがいない間も、魔物達は城で上手くやっていたらしい。
「ったくお前ら……。喜んでくれるのは嬉しいけどな、順番ってもんがあるだろうが」
「だって、寂しかったんですもん……」
しょぼんとしながら抜群の破壊力を持つセリフを言ってのけるピエールを、緩む口元を押さえつつ撫でてやる。状況はよくつかめないが、すっかり大きくなった双子の頭も撫でてみた。身長や顔つきからして、もう十年近く経っているのか。
「ずっと俺のことを探してくれてたんだな……ありがとう」
「えへへ、僕達がんばったんだよ!」
「お父さんのこと探して世界中回ったのよ」
「山を登ったり、海を渡ったり、砂漠にも行ったなぁ。大冒険だったよね、アンナ」
「うん。大変だったけど、お父さんとお母さんに会えるんだ、って頑張ってきたの。……ねぇイース、お父さんにアレ教えてあげなきゃ!」
「あ、そうだった! あのね、僕、お父さんが置いてった天空の剣を装備出来たんだ!」
「そうかそうか、それはすご……」
無邪気で可愛らしい子供たちの会話に相槌をうちかけて、はたと気付く。
天空の剣を。
装備出来た?
「何だって!!?」
「わっ!!」
思わずイースに掴みかかる。途端、景色がぐわんと歪むほどの立ちくらみがリュカを襲い、再びガクンと膝を突く。久々に動いたからなのか、うまく体が機能していない気がする。
「あいたたた……」
「ど、どうしたの? お父さん大丈夫!?」
慌てるイースに軽く寄り掛かる。ゲマの魔力が残っているのだとしたら、神父様に言えば呪いや毒みたいに解いてくれそうだけどな……しかし、見事に父親面出来てないな俺は。
「ねえサンチョ、ピピン、一回お城に帰らない? お父さんをゆっくり休ませてあげたいの」
「そうですな。王女、転移呪文の準備を」
「はぁい」
元気に返事をしたアンナは、大きな宝石の付いた杖で地面に魔法陣を描き出した。
「……坊っちゃん、お加減はいかがです?」
「歩けないほどじゃない……が、ちょっと支えが欲しい」
「でしょうな、少し顔色が悪い。城に帰ったら医者に診てもらいましょうね」
「医者か……念のため、解呪の出来る神父も呼んでおいてもらえるか」
「かしこまりました。ピピン、王を頼みますよ」
「はいっ! 任せてください!」
威勢のいい声とともに、リュカは突然ひょいっと横抱きに持ち上げられる。
「うわっ!?」
「ちょっと恥ずかしいかもしれませんけど、ベッドに行くまで辛抱してくださいね、陛下!」
「……見ない顔だな、新人か?」
「王国騎士団所属のピピンといいます! こういった形で再会できるだなんて、夢にも思いませんでしたよ!」
「再会……? 会ったことあったか?」
「あっ、酷いなぁ。僕、陛下に憧れて騎士団に入ったのに」
思い出せそうで思い出せない。ああでも、あの子らが成長してるってことは、この兵士も俺と会った時には子供だったんだろうな。だとすると、サンチョの変化のなさは一体どういうことなんだ。もしかしたらデボラも結構年いってたりするのか。ああ、そうだ、デボラは一体どこにいるんだ。眩暈で思考がおぼつかない。
そうこうするうちに、アンナの描いていた魔法陣が完成したらしい。娘が失われた古代呪文を平然と使っている異常さに、リュカはまだ気付いていない。
ルーラの澄んだ魔力が辺りを包みだした頃、ふとリュカは城でのことを思い出す。
「あのさ。サンチョ」
「何でございますか?」
「……この間は……すまなかった。いくら焦っていたとはいえ、正しい判断をした召使いを牢獄送りだなんて……」
一瞬キョトンとしたサンチョは、しばらく思案したのちにクスクスと笑いだした。
「8年も前のことです、もう気にしてなどおりませんよ。こうして帰ってきてくださっただけで十分です」
そうか、8年か。奴隷生活と言い今回と言い、俺はどれだけ青春を浪費すれば気が済むんだろうな。
ふわっと体が宙に浮く。同時になんだか胸のつかえが取れたような気がして、リュカはそのまま気絶するように眠りに落ち、翌々日の朝までぐっすりと眠りこけた。