そんなこんなで30分ほど経っただろうか。
ピエールとブラウンがゲレゲレを支え、ゲレゲレの鼻にデボラが裸足で立つ、という曲芸並みの荒業をこなして、デボラは桃へと手を伸ばす。
「どうですか、デボラ……様?」
「とれそうかー?」
「……あとちょっと……んー……」
手を伸ばすと指先が桃に触れる。思い切ってつま先立ちすると桃が手のひらに収まり、
「っ、とれた……―――きゃあ!?」
「デボラ!?」
「がうー!?」
ぷつりとちぎれた桃の実とデボラがバランスを崩す。ゲレゲレの鼻先から足が離れ、桃と共にデボラは宙に浮く。
うわ、まずいわね。服が汚れたらパパとママになんて言い訳しようかしら。体が風を切る中、地面への衝突よりも親の説教が頭をよぎる。
しかし、その衝撃はぽにゅんという瑞々しい弾力に和らげられた。
「……?」
「ぴききー」
尻の下でふよふよ揺れるスライムがデボラを見上げている。借りは返したぞ、と言っているように見えたので感謝のつもりでその頭(といっても全身胴体だが)を撫でた。
「……助かったわ、ありがと」
「ぴきっきー」
ピエールの相棒スライムがとっさに飛び出してクッションになったらしい。相棒が急に消えたせいでバランスを崩した3匹はそろって転んだらしく、木の根もとに転がっていた。
相棒だけが褒められているのが納得いかないのか、ピエールもブラウンもゲレゲレも起き上がってデボラの方に寄ってくる。
「僕だって頑張りましたよー」
「おいらだってー」
「がうがうー」
「はいはいわかったわよ、よくがんばりましたー」
そう言って適当に撫でてやると、それぞれ嬉しそうに顔をほころばせる。なんだ、意外と可愛いじゃない。これがあの凶暴なモンスターたちか、とデボラは彼らのギャップで顔がゆるむ。
なので、後ろからのどなり声には心臓が飛び出そうなほど吃驚した。
「―――くぉぉぉらぁ、ピエールっ!!!」
「ひっ!?」
思わず一緒にびくっとした。
すごい剣幕でずんずんこちらに向かってくるのは、例の魔物使いの小魚男。屋敷で見た時はもっと物腰の柔らかい穏やかそうなイメージだったが。
「相棒見つけたら知らせに来いっつったろーが!!」
「すすすすすいませんんんん!!」
「ったく、何時間街の中走り回ったと思ってやがる!」
「でっ、でもっ、相棒を、連れてきたのはそこのデ、デ、デボラっ、さまでっ!!」
肩を掴まれてがくんがくんとピエールを振り回していたリュカは、デボラの方に目を向けた途端にハッとして、ちょっと気まずそうな目をした。そのあとすぐに、デボラにじゃれついていたブラウンとゲレゲレにも拳骨の制裁を加える。
「お前らも! 見知らぬ人間にあんまりじゃれるな! お前らの殺傷能力がどれだけのもんかわかってんのか!」
頭を押さえる二匹を眺め、全く……とため息をついてから、リュカは呆れたようにデボラにもこつんと軽く拳骨を加えた。
「あんたも。天下の大富豪のご令嬢がパンツ丸見せでモンスターと戯れてんじゃないよ」
「なっ……あ、あんたに関係ないでしょ!?」
「大有りだ、未来の義姉さんに怪我させるわけにいかんだろうが」
「……それは」
「ほら立って」
言われるままにデボラはリュカに助け起こされる。
「……あたしが指示してやらせたことよ。あんま怒んないであげて」
「それでも腕から血が出てるのは事実だろ。痕残らないように治すから動かないように」
「…………」
いつの間に切ってたのかしら。デボラはホイミの柔らかい魔力に包まれる自分の腕を眺める。他に目立つ所に怪我がないかを確認するリュカがぽつりと呟く。
「あーあ、大事な娘になんてことを、とか言われたらどーしよ。せっかく炎のリング持ってったのにルドマンさんに嫌われちまうなー」
「大丈夫よ、パパにもママにもこんなことしてたなんて口が裂けても言えな……」
いや待て。軽い呟きのなかにとんでもない事実が含まれている。
「……あんた、炎のリング手に入れたの!?」
「あれ、聞いてない?」
「聞いてないわよ!!」
婿候補、どころじゃない。ほぼ婿じゃないか。父親のとんでもない無理難題を聞いた時には、嫁に出す気があるのかないのかわかんないわ、と思っていたものだが……まさかクリアする人間がいるとは。
「……ヘタレアンディと大違いねー……」
デボラは大火傷をして帰ってきた幼馴染を思い浮かべる。しかし、フローラのために火山に挑んだだけでもあのアンディにしてみればよくやった方なのかもしれない。
小魚男のくせになかなかやるわね、とデボラがリュカを見上げると、ちょうどホイミが終わったころだったらしい。血が染み出ていた腕は、すでにまっさらな肌になっている。
「よし治った。他に怪我は?」
「……多分無いわ」
「ならいい……さて、暗くなってきたな。送ろうか」
「は? いいわよ、これくらいなら一人で帰れるわ」
「そうはいかん。荷物置いてくるからちょっと待ってなさい」
わかったね、と念押しされてデボラはしぶしぶ頷く。家で見た時あんな奴だったかしら。もっとなよなよしい男だったと思ったけど。
ふわ、とデボラの隣にメッキーが降り立つ。翼で肩を優しくたたいているが、もしかしてこれは怒られたデボラを慰めているつもりなのだろうか。
「ねえ、あんたのご主人いつもあんな感じ?」
「めきー?」
はてなと首を傾げるメッキーは、どうやら人語を解さないタイプらしい。まぁいいわ、送ってもらう間に本人からいろいろ聞きだしてやるんだから。
周囲が真っ暗になっていることに気づいたのは、ちょうど二人が入口の門をくぐった頃だった。
「とりあえず、ピエールの相棒の件に関しては礼を言うよ。わざわざ連れてきてくれてありがとう」
「……どういたしまして」
社交辞令に社交辞令で返し、デボラはすこし頭を悩ませる。さて何を聞こうか、聞きたいことは山ほどある。まず手始めに……
「ねぇ、あんた」
「ん?」
「本当にフローラと結婚する気あるわけ?」
「……は?」
その問いかけに、リュカは虚を突かれた様な顔でデボラの顔を見る。
「は? じゃないでしょ。突然ふらりとやってきた旅人に、そんな簡単に大事な妹をやれるとでも思ってるの?」
「……それもそうだよな」
「納得いかないのよ。結婚なんて面倒くさいとか言ってた男が、急にフローラのために危険な火山から指輪とってきちゃうなんて」
「そりゃ思いつか……いやまて、結婚が面倒くさいなんて誰が」
「ピエールが教えてくれたわ。あの子本当にいい子よ、『けっこんって何ですか』ですって。まじめで勉強熱心、感心ねぇ」
うんうんとデボラが頷く隣で、アイツあとでどつく、と黒いオーラとともにリュカの口から聞こえたような気がしたが、デボラは聞こえないふりをする。この男、最初に感じた第一印象と中身が大きく違う。
悪いわねピエール。フローラのために犠牲になって。心の中でピエールに合掌してからデボラは言葉を続ける。
「思いつく理由っていえば……そうね、フローラに一目惚れ、位かしら」
「……あーなるほど……うん、そうだな。主にはそれが理由かな」
「あんたフローラに会ったことあるの?」
「っ、いや、それは」
「何で言葉に詰まるのよ。見たこともない人間に一目惚れなんてできるわけ?」
「えー……それは、だな」
デボラは説明がしどろもどろなリュカをどんどん追い詰めていく。リュカの瞳が記憶を探るようにうろうろしている。どうもこの男胡散臭い。
「……いや、待てよ。会ったことはあるぞ……?」
「へぇ、どこで?」
「サラボナについてすぐ、俺のとこに犬が走ってきて………」
「ふんふん、それで?」
「『リリアン待ちなさい』っつって育ちのよさそうな可愛い子がこっちきて……」
「ほほう、それから?」
「『ごめんなさいこの子ったら』って犬連れて屋敷の方に走ってって……フローラって、あの子だろ。あの、青い髪にピンクのリボンの」
「あらご名答」
「うん、その時一目惚れしたんだ」
「その思い出し方の一体どこが一目惚れよっ!!」
「あーもううるさいなっ!! 大体あんたに関係ないだろ!!」
「大有りよっ!! 将来義弟になるかもしれないんでしょあんた!!」
「そりゃそうだが!!」
星が見えるほどの暗さだというのに、お互い周囲を気にせずに怒鳴る。
この騒ぎが聞かれたらまたパパに怒られそうね、という心配がデボラの心の片隅によぎったが、今は大事な妹の婿候補の詮索が最重要事項だ。
灯のともったルドマン邸が見えてきたころ。
結局フローラとの結婚を望んだ理由は聞けず仕舞いだったが、話をしていて悪い人間でないのがわかったのは収入だった。モンスター達に懐かれる不思議な魅力や炎のリングを手に入れた度胸を加味して、フローラの結婚相手としては……まぁ、少々足りない気もするが及第点だろう。
「でも旅人ってのがどーもねー……」
「何が?」
「旅人ってことは、どうせ結婚した後も旅するつもりなんでしょ?」
「あぁ、そのつもりだよ」
「フローラを守り続ける男としてはちょっと物足りないわよね……」
あんたひょっとして極度のシスコンか、というリュカの問いかけを肘鉄で止める。鳩尾にもろに喰らって悶えるリュカを眺めながら、デボラは小さく呟いた。
「……旅か。きっと気楽なんでしょうね」
「あぁ、楽しいよ。仲間はあんなだからそう気負う必要もないし、いろんな街に行くから情報集めがてら観光もできるし」
「ふぅん……」
確かにそうね、とデボラは全く気負う必要のなかったあのモンスターたちを思い出す。
街の外には囲いも何もない。一面に広がる大地、平原、森、山、海。思い描いた情景だけでお腹いっぱいになれそうなほどだ。
……旅をすれば、この街から抜け出せるのかしら。籠の中の鳥のように拘束されるこの街で、いつまでも悪い子でいなくたっていいのかしら。
「……羨ましいわね。フローラが結婚して落ち着いたら、あたしも旅に出てみたいわ」
「何、今の贅沢な生活が不満なのか?」
「そういうわけじゃないけど」
デボラはそのまま言葉を濁す。優しい両親に可愛い妹、金に困ることもなく何不自由ない生活、不満なわけがない。……不満なわけが、ないのだが。
「質問攻めされっぱなしも癪だ、俺からも聞かせてくれよ」
さすがにグイグイ行き過ぎたかしら。反発する理由も特になく、デボラは黙って頷く。
「その黒髪、地毛かい? フローラさんの青髪もだけど、この大陸入ってから赤毛か茶髪しか見てないし、随分珍しい色だと思って」
あんたのご両親も茶髪だろ、とリュカは続ける。
よりによって、そこを聞くのね。まあ鋭いこと。
「……染めたのよ。周りと同じなんてダサいじゃない、よくあることでしょ」
「そりゃ、あんたはともかくとして。フローラさんはこないだまで修道院に入ってたんだろ? 戒律厳しいって聞くし、染髪なんて許されなさそうだけど」
「…………」
ずばりと痛いところを突かれ、デボラは数秒前の発言を後悔した。
染めたなんて嘘。この宵闇のような黒髪も、あの子の晴空のような青髪も、生まれつきの地毛だ。両親の茶髪だって。
嘘をついた理由も、髪色のからくりも、部外者であるリュカに告げるわけにはいかず、デボラはすこしうつむく。
「……ねぇ」
「何だ?」
「それ、フローラがいる所では聞かないで」
「……なんで」
「絶対よ」
食い気味のデボラの答えの後、数秒の沈黙を経て、了解、と小さく返事が聞こえた。話したくない雰囲気を感じ取ったらしい。一点加算してやってもいいわね。
ルドマン邸の巨大な玄関にたどり着き、デボラはそこで一つ思い出して立ち止まる。
「ねぇ」
「ん?」
「まだ聞いてなかったことがあったわ」
「……何だよ」
警戒しながらリュカが聞き返す。
「パパの前じゃ随分猫かぶってたのに、あたしの前じゃそうしないのね。どうして?」
「なんだ、そんなことか」
リュカが安心したような笑みを見せる。そんなにあたしが怖いか、と内心毒づくが、噂も実績も伴っているので何も言えない。
「仲間の前での素の俺を見ちゃっただろう? 猫かぶり直すのも白々しいかと思ってね」
それとも被ってた方が良かったですか、などと、わざとらしい爽やかな笑顔と甘く優しい声音のダブルコンボで囁かれる。胡散臭さが増すから却下、とそれを一蹴し、デボラは玄関の扉を開けた。