ゴツン。
そういえば初めてまともに会話をした時も、拳骨から始まったんだったな。デボラの頭にそれなりに強めの鉄拳制裁を加え、リュカはそんなことを考える。
「ったー……!!」
「当然の報いだ。何考えてんだアンタは」
痛みに頭を抱えるデボラを眺めながらリュカは呆れていた。周りに控える侍女達もデボラを庇うでもなく、くすくすと笑っている。
そう、ここはグランバニアの王室。城内で散歩がてら情報収集をしていてサンチョに辿りつき、会いに行くや否や号泣され、謁見室に引っ張り込まれ、国王に挨拶している最中に突然デボラが卒倒し、とりあえず大きなベッドに運ばれ、“おめでたです”と診断された後である。
よくよく考えてみれば、家にお手伝いさんがいた時点ですでにおかしな家庭ではあったんだよな。小さい頃は何も疑問に思っていなかったのだが、今頃気づいた自分の間抜けさにも少し呆れる。
多少加減したとはいえ結構痛かったらしい。ダメージを受けた部分をさすりながら、ベッドに横たわったままのデボラはリュカから目をそらした。
「予想外の反応だったわ」
「俺に一体何を期待してたんだよ」
「別に、大した期待
してたわけじゃないわよ」
ただちょっと、取り乱したアンタがみれるかもと思って、などとよくわからないことをブツブツ呟くデボラの頬に手を添える。
「あいつらに聞いた。チゾットで倒れた時点で気付いてたそうじゃないか」
「気付いたって言うか……気付かされたのよ」
「事実がわかったならどっちだって一緒だろうが。何で黙ってた」
「それは……その、逆算してもまだ産まれる時期じゃなかったし。グランバニアにつくまでなら平気かと思ったのよ」
目を合わせようとしないのは、何か後ろめたいことがあったり嘘をついたりする時のデボラの癖だ。本人に自覚はないらしいが、その方がこちらにとって都合がいいのでリュカは黙っている。
嘘をついた理由なら、すでに検討はついていた。
いや、違う。倒れた翌朝にグランバニアに向かうと言い出した時にはわかっていた。なのに何も知らない振りをしていた、と言った方が正しいのかもしれない。
「……俺の、せいか」
「…………」
「グランバニア目前で、俺の足止めしたくなかったのか」
「……あたしは我儘をとおしてるだけだったら。申し訳なく思われるようなことはしてないっつったでしょ」
「あのなぁ、山道の中で産気づいたらどうする気だったんだよ! 俺は何もしてやれないんだぞ!?」
「そんなもん気合で腹の中に押しとどめるわよ!」
「アホか、ふざけんな!!」
思わず怒鳴った後、お互い肩で息をしているのに気付く。
もどかしい。
心配しあっているのがわかっているから、尚更。
なんとなく気まずい沈黙を破ったのはデボラの苦笑いだった。
「ふふ……あぁもう、バカみたいじゃないあたし達」
それにつられてリュカも笑みをこぼす。ピンと張り詰めていた空気がふわりと緩んだ。
「全くだな。バカみたいなやり取りしてる理由はわかってんだろうな?」
「わかってるったら。……黙ってて悪かったわよ」
「それもだけど……それだけじゃないんだ」
喧嘩の終わりが見えていたらしいデボラが意外そうにこちらを向いた。……コイツ、結局俺がどうして怒ってるのかわかってないみたいだな。
「何か、上手く言えないけど……」
いつからデボラがこれほど大きな存在になったのかは憎たらしくて思い出したくもない。が、しかしリュカにとってデボラが大切な人間であることに変わりはないのだ。
「俺のために傷つくの、やめてくれ」
結局は、あのときのように失いたくないだけなんだろう。
「……頼むからさ」
しばらくして、ドアをノックして入ってきたのはサンチョだった。
「坊っちゃん、オジロン様が“王家の証”についてのお話の続きがしたいとおっしゃっていまして……」
「あぁ、悪かったねサンチョ」
デボラが倒れたのは、リュカがグランバニア王家の直系の子孫とわかった後だった。そういえばちょうど試練がどうとか言っている途中で意識を失ってしまったため、話を断ち切ったままだ。驚きすぎて忘れていた。
「試練ね。そんな御大層なものなのかい?」
「そうですねぇ、一応王たるものの知恵と勇気を示す儀と言われておりますが……まぁ、昔から好奇心旺盛だった坊っちゃんのことです。洞窟探査などお手のものでしょうな」
「うわ、それ今掘り返す?」
「坊っちゃんのやんちゃぶりには苦労させられましたからなぁ、はは」
悪戯っぽくサンチョが笑う。こんなやり取りにさえ、あの頃のなつかしさを感じる。
「デボラはさすがについてこられないな」
「もう、わかってるっつってんでしょ」
いい加減しつこいわよ、と呟いたデボラが、それに冗談めかして付け加えた。
「ま、あたしがいなくて寂しいでしょうけど、きちんと我慢しなさいよね」
「いやだ」
するりと本音が出た自分に驚く。
とっさに口を隠すリュカを見て、呆れたようにデボラが呟いた。
「……さらっと何言ってんのよ、あんたは」
「……やかましい」
「自分から恥ずかしいこと言っといて照れてんじゃないわよっ!」
「やかましいっ!」
侍女達数人がとうとう笑いを堪え切れずに、後ろを向いて吹き出しているのが見えた。赤くなった顔がさらに火照るのを感じて、急いで荷物を持って立ち上がる。
「……すぐに帰る」
「当たり前でしょ。あんまりあたしを待たせないで頂戴」
「ああ」
ではこちらへ、と促すサンチョもくすくすと笑っている。振り返ると上半身だけ起こしたままでデボラが手を振っていたので、こちらも軽く振り返した。
そうやって優しく笑うな。離れたくなくなる。
悔しくて悪態をついてみるが、その悪態の内容そのものが完全に負けを認めていることに気付き、リュカは頭を掻きながらその照れをやり過ごした。
「……なんか、事が上手く運びすぎな気もするな」
神秘的な祠の人工的な道を辿りながら、リュカは小さく呟いた。
「上手く運びすぎて、悪いことがあるんですか?」
「そういうこともあるんだよ、ピエール」
ぼんやりとしたヒカリゴケの灯を眺めながらピエールが首を傾げる。言葉のニュアンスを伝えるのに少し齟齬が出るのはいつものことだ。
「いいことが続いていったら、嬉しいのではないですか?」
「そうやっていいことばかりが続くと“もうすぐ反動で悪いことがあるんじゃないか”と疑うもんなんだ、人間ってのは」
「そうなんですか。人間は心配性なんですねぇ」
「がるる……」
ぽよんぽよんと相棒に揺られながら腕組みするピエールの横で、ゲレゲレが背中を飛び跳ねる蚤と格闘している。デボラの傍から離れようとしないメッキーと、通訳もできる比較的しっかりした性格のブラウンはお留守番だ。皆が不安がるので一応ブラウンの金槌は預かっておいた。
仰々しいと思っていた試練は、その実いたってシンプルなものだった。
グランバニア城の北に位置する祠に赴き、その最奥に眠っているグランバニア一族代々伝わる“王家の証”を手に入れ、無事城までもどってくる、というのが大まかな内容だ。謎解きらしいものもあるにはあったが、知恵を試すなどと大げさにのたまっていた割に案外あっさりとしていた。
これなら天空の盾を手に入れる時の方がよっぽど頭を使ったもんだ。サラボナでの面倒な出来事を思い出しながら、リュカは鳥の石造の向きを90度変える。
「わぁ、リュカ! 道が開きましたよ!」
「がうがう!!」
先走って行きそうなゲレゲレを制してから、リュカは埃の積もった赤絨毯に足を踏み入れる。ここから先はきっと、王族以外のものの立ち入りを許してはいけない。
父さんもこの道を辿ったんだろうな。一歩一歩進みながらリュカは考える。
国を動かしたいから王になるだとか、民の導になりたいから王になるだとか、そんなことは毛ほども意識していなかった。国の長ともなれば、入ってくる情報は今までと比べると桁違いになるだろう。リュカはその情報網の全てを使って、天空の勇者と天空の装備の在処を突き止めるつもりだった。
私利私欲のために国民を利用しようなどと、名君の息子が聞いてあきれる。自分が王の座に着いた途端きっと国中が落胆するんだろうな、とリュカは自虐的に笑った。
それでも構わなかった。
暴君と罵られようが愚王として歴史に刻まれようが、父の夢をかなえられるのであれば、それで。
赤絨毯の先にあったのは、大理石でできた台座と金属製のエンブレムだった。国の紋章が刻まれたこのエンブレムがきっと、名ばかりの“王家の証”なのだろう。
「……お前は何も悪くないよ。王たる資格を持った奴が、最低な野郎だっただけだ」
そうやって、誰にも聞こえない声で語りかけた。
ああ全くだよ、と返事でもするかのように、エンブレムがリュカの手の中で鈍く光る。
オジロン氏に頂いた専用の袋に王家の証を突っ込んだ後、足早に仲間達のもとへ向かう。
「おかえりなさい、リュカ」
「がうー!」
さっそくゲレゲレがじゃれて飛びかかってくる。遊び慣れているリュカでなければ血相を変えて逃げ出すところだ。愛情表現のつもりなのか、体をごしごしこすりつけている。
「ゲレゲレ、体が痒いってずっと言ってますよ。蚤が付いてて大変みたいです」
「……そういや、ごたごた続きで毛並みの手入れしてなかったな」
単純に掻きたいだけらしい。帰ったら蚤取りとブラッシングだな。
「王家の証は手に入ったんですか?」
「あぁ、一番奥に置いてあった。これを持って帰れば王様になれるらしい」
「すごいですね、これだけでリーダーになれるだなんて」
ほほぅ、と唸りながら眺めるピエールは、別に嫌味でもなんでもなく感心しているようだった。
「僕たち、リーダーはみんなで話し合って決めるんです。誰が一番強いか、誰が一番大きいのか、誰が一番ハリがあるのか、とか色々。人間は、誰の子供かでリーダーを決めるんですね。やっぱり“人間”は難しいです」
勉強熱心なピエールにとっては、まだ“人間”という存在は理解しがたいものらしい。実際に人間をしているリュカでさえ理解できていない部分が多々あるのだから、当然といえば当然だ。
「……なぁ、ピエール」
「何ですか?」
剣を持っていない、空いた方の手に指をからめた。
「……ついてきて、くれるか」
ここまで傾倒した生き方をしていれば、天空の装備も見つかって、天空の勇者も見つかって、母も助けた後には、きっと最後には何も残らない。それでもせめて、今まで付いてきてくれた仲間は失いたくなかった。
べろり。
「うわ!?」
「がうるるるー!」
ゲレゲレが思い切り顔を舐めてきた。
「何すんだっ、やめ、はは、あははは」
「がうがう」
今度は痒いだけじゃなく本当にじゃれてきているらしい。顎の毛がもふもふと顔を覆い尽くす。隣からピエールの笑い声が聞こえた。
「そんな心配しなくたって、ついて来るなって言われるまではついていきますよ。心配性ですねぇ、あはは」
笑い続けるピエールは対して深い意味には取っていないらしかった。当然だ、急に“ついてきてくれるか”なんて聞かれたら馬鹿げてると思うわな。ゲレゲレの涎をマントの裾で拭いながらリュカは呟いた。
「デボラも、さ……ついてきてくれるかな」
「大丈夫ですよ。僕らと一緒で、デボラもリュカのこと大好きですから」
あまりにもばっさり言われてリュカは吹き出す。きっと天然なのだろうが、そのまっすぐな物言いにリュカはいつだって救われていた。
「ぐるる……」
じゃれていたゲレゲレが、突然唸りだした。視線を追ってみると、どうも降りてきた階段の方に向かって威嚇しているらしい。
「どうした、ゲレゲレ」
「がうがう」
「“妖しい臭いがプンプンするぜ”って言ってます」
「珍しいな、こんな近くまで来ていてお前が気付かないなんて」
「がるるぅ!」
「“蚤に気を取られてたんだ、察しろ”ですって」
「……ここから出たらすぐに蚤取りとブラッシングだな」
「がう」
「“たりめーだ”と」
「悪かったよ」
リュカが剣を構えると、ピエールも臨戦態勢に入る。唸るゲレゲレを制したまま、リュカは靴音を聞きながらその妖しい臭いが近付くのを待った。
「……リュカ、リュカ」
「何だピエール?」
「さっき言ってた意味、ちょっとわかった気がしました」
「だろう?」
階段を下りてきたのは、ガラの悪そうな男たちだ。
「さて未来のリュカ国王。悪いがここで死んでもらうぜ?」
「へへ、アンタに王になってもらっちゃあ困る人間がいるってことよ」
正直相手に恐怖は感じなかった。
しかし彼らは十分すぎるほどに不気味だった。
まるで、ヘンリーをさらっていったならず者のような、虫唾が走るような不気味さを帯びていた。
「いいことばっかり続くと、反動が来るんですね」
ピエールが、納得したように大きく頷いた。