「おや、どこかでお会いしたような……お客様ですかな?」
フリルのエプロンを身に纏い包丁を持ったまま首を傾げるサンチョは、この頃から一切顔が変わっていない。サンチョこそ一体何者なんだ、と聞くのは城に帰ってからにしよう、とリュカはこっそり決意する。
「あの……パパスさんは御在宅ですか?」
「ああ、パパス様のご友人でしたか。パパス様でしたら上で調べ物をしてらっしゃいますよ」
「そうか、ありがとう……」
あまりの違和感のなさに危うくそこで言葉を区切りそうになって、
「……ございます」
と、強引に笑顔でごまかし、リュカは階段を上る。
ギシ、ギシ、と古めかしく音を立ててリュカは木製の階段を上っていく。昔は段差が大きく長いように感じていたこの階段は、実は大人にしてみれば短いものだったらしい。
だから、心の準備が出来ないままに久々の対面を迎えてしまった。
質素な部屋で机に向かって書き物をしているのは、相変わらず厳格で、全てを包み込むような優しさを抱いている父……グランバニア王、パパス。
「……父、さん」
気持ちがあふれてこぼれた言葉に反応して、父がこちらを振り向いた。黒々とした髪も、立派なひげも、微妙な角度じゃないと見えない目元の傷も、あの頃のまま。
「……御客人かな? あいにく私には一人しか息子はいないが」
「あ、いえ……失礼」
少し困ったような父の笑顔にハッとしたリュカは、慌てて取り繕う。
ここは過去だ。イレギュラーな存在の自分は、無関係な人間を装わなければならない。たとえそれが尊敬してやまない父親が相手でも。
「こちらにいらっしゃるとのことで、お会いしたく思い訪ねさせていただきました。その……、デュムパポス=エル=ケル=グランバニア殿」
敢えてフルネームで呼んでみる。思った通り父は大きく揺さぶられたらしく、手元の羽ペンをインクに漬けて此方に向きなおった。
「……城の者か?」
「まあ、大体そんなところです」
「ここを拠点にしていると伝えた覚えはないが……何度も言うように、私は妻を見つけるまで帰るつもりは、」
「ご安心ください。帰国の催促をしに来たわけではありません」
「……そうか。ならば要件は何だ?」
目に見えて安心した父は、ホッと息をついてリュカの話を促す。
この頑なさ具合を見ると、もしかしたら父さんが母さんを探すために城を出た時にも家臣達と一悶着あったのかもしれんな。全く、はた迷惑なとこだけ遺伝しやがって。昔は気付かなかった父の頑固さに少し苦笑いをすると、色々と顔に出ていたのが自分でも判ったらしく、父は少し気恥ずかしそうに目を逸らした。
「まあ、要件と言っても、信じてもらえるようなものではないのですが」
「ふむ。聞くだけ聞こう」
おそらく、未来を変えることは出来ない。俺自身がそれを証明する一番の証拠だ。それでも……それでも、わずかな希望に縋りたい。
「ラインハットへ向かうのは、おやめ下さい」
ぴし、と空気が固まる。
暫しの静寂の後、表情を変えないまま警戒心を高めた父がこちらに問いかけてきた。
「何故私がラインハットへ招待されていると?」
しまった。もしかしてまだ誰にも知らせてないのか。
これはちょっと誤魔化しようがないぞ、とリュカが笑顔を保ちつつ冷や汗をかいていると、父がおもむろにぽん、と手を合わせる。
「わかった。おぬし、予言者か何かだな? だから私の居場所を突き止められたのだろう」
「……は、はぁ」
「大方オジロン辺りに頼まれて、魔術で私を探すよう頼まれたのだな。全く、いつまでも心配性の抜けない奴だ」
勝手に解釈して納得してくれたらしい。解釈の真偽はともかく、手間が省けてありがたい。
「すまないが、私は予言や占いのように曖昧なものは信じぬことにしているのだ」
「……はは、そうでしょうとも」
そうでなければ一国の主は務まりはしない。わかっていても、やはり父が生きていることを望めないのは辛かった。
「……しかし」
「はい」
「私の妻によく似た目をしている人よ。おぬしの忠告は心に留めておくとしよう」
そう言ってリュカの頬に手を添え、父は穏やかに微笑んだ。
……それはずるいだろう。もう何十年も経ってるのに、今更面影を見出すなんてさ。
涙ぐみそうになるのを必死にこらえながら、リュカは芝居がかったように人差し指を唇にあてた。
「では、予言ついでにもう一つ」
「む、何だね?」
「口には出しませんが、息子さんはあなたがあまり遊んでくれなくて寂しがっております。どうかラインハットへ向かう前に、たっぷりと遊んでおいてあげて下さいませんか」
では失礼、と零れそうな涙を隠して父に背を向ける。もう二度と、会うことも無いだろう。
ギシ、と階段を一段降りたところで、呟くような父の声が耳に届く。
「……リュカ?」
「――――父さ……!!」
振り返ると質素な部屋は消えうせており、父の姿など何処にもなく、代わりにあるのは田舎町の描かれた一枚の絵画のみ。
「……あ……」
ぺた、と絵画に触れる。心を開けば、過去に戻ることができるという不思議な絵。どうやら、この絵の時間移動の魔法が切れてしまったらしい。煌びやかな妖精城に帰ってきたはずなのに、急に世界が色褪せて見えた。
マントの裾を引っ張る感覚でようやく我に帰る。視線を落とすと、イースが必死に自分の体を揺さぶっていた。
「お父さん大丈夫!? ずーっと固まってたから心配しちゃったよ……」
「よかった! あんまり長いこと動かないから医者を呼びに行こうかと思ってたところですっ!」
ほうっと胸をなでおろすのはピピンだ。さっきまで妖精の嫁さんを探すだのいってふざけていたが、何だかんだで真面目に仕事をする気はあるらしい。
わいわいと二人がさらに追及を続けようとするのを、アンナが片手で制した。
「おかえりなさい。お父さん、ゴールドオーブは?」
「……あ、ああ。大丈夫、きちんと手に入ったよ」
「そう。じゃあ一回女王様に見せに行きましょ?」
「……そう、だな。本物かどうか確かめておかないと。行こう」
イースとピピンに声をかけると同時に、アンナがリュカの手を握る。ふざけて甘えてくることは少なくないが、この子が人前で手をつなごうとするのは珍しい。
リュカの手を引きながら、アンナは黙ったままだ。
「……いいの、何も言わなくて」
そう呟いて、手をきゅっと握る。彼女なりの気遣いだったらしい。
今の俺は、娘に気を遣わせるほど酷い顔をしているのかな。空いたもう片方の手で軽く顔を覆う。
「……すまない」
確かに今は、明るく振る舞うなんて芸当は出来そうになかった。
あの後すぐにでも水底に沈む天空城へ向かおうか、とリュカは思っていたのだが、絵画の前で固まっていた時間が思いのほか長かったらしく、辺りはすっかり暗くなっていた。なので天空城に行くのはまた明日にして、今日は宿で休もうということになった。向かう宿はいつも一番良心的な価格で寝床を提供してくれるオラクルベリーだ。
「今日はきちんと人数分のベッドがあるといいわね?」
「こないだ酷かったもんね。ダブルベッド1つで4人で雑魚寝とか、僕初めてだったもん」
「あの日は王族に囲まれて、緊張しっぱなしでしたよ……!」
「大いびきで爆睡してた奴が何言ってやがる」
「えっ!? あ、あれっ!? やだなぁリュカ様聞いてたんですか!?」
恥ずかしいなぁもう、と照れるピピンに軽く拳骨をくれてやる。あの日はお前の所為で全然寝られなかったんだからな。
オラクルベリーの馬房は、屋根とちょっとした馬栓棒だけという簡素なつくりだが、町の外にあるため広い。ここなら悠々と休める、と仲間モンスター達にも評判である。
「……なぁ、ピエール」
「なんですか?」
パトリシアを馬房に入れてやり、手綱や馬銜をはずしてやりながらリュカは問いかける。馬車内で完全にくつろぎモードに入っているピエールは、ぽぷよん、と相棒にもたれかかりながら首を傾げた。
「今日俺、こっちで寝てもいいかな」
「えっ!?」
抗議の声をあげたのはアンナだ。
「だって、あの、おとうさん……」
「大丈夫だ、ありがとう。アンナは優しい子だね」
言葉の続きを遮り、先程リュカ少年にもしてやったように頭を撫でる。
きっとこの子は、自分のそばにいることで慰めようとしてくれている。気持ちは本当に嬉しいのだが、さすがに子供の前で情けない姿を見せたくはない。
「ピピン、財布はお前に預ける。この子らを頼んでいいか?」
アンナの必死な視線に気付いたのか、ピピンは少しの間リュカとアンナを見比べて、こくりと頷いた。
「かしこまりました。お二人は僕が命に代えてもお守りします、お任せ下さいっ!」
「ねぇピピン……!」
「さあイース様、アンナ様、参りましょう。この時間のカジノには綺麗な女の人がたくさんいますよ!」
「ピピン、いい加減にこりなよね……ここで何人の踊り子さんに振られたのさ?」
「いえいえっ、“下手な鉄砲数打ちゃ当たる”ですよ! 挑戦あるのみです!」
「ちょっと!? あなたいい加減にっ」
「アンナ様」
苛立つ彼女をたしなめるように、ピピンは笑顔のまま少し強い口調でアンナを呼ぶ。いつもおちゃらけている彼にしては珍しい態度だ。イースは二人の顔を交互に見ながらオロオロしている。
アンナは納得いかない顔で、ピピンは変わらず笑顔でしばらく黙って見つめ合っていたかと思うと、おもむろにアンナが溜息をついた。
「わかったわ……わたしだってもう子供じゃないもの」
「いやあ、ご理解いただけて何よりです」
視線のやり取りではどうやらピピンが勝ち、アンナが折れた形で収まったらしい。イースはイースで、むくれたアンナの手を握って諭すように笑いかけていた。リュカのいなかった間に培われた3人の信頼は大きいようで、時々それを見せつけられるとリュカは疎外感を感じて何ともいえず寂しくなる。
「ではリュカ様、明日の朝こちらで落ちあいましょう。買い出しは僕達で行っておきますので!」
「ああ、頼んだ」
「お父さんおやすみなさい!」
「……おやすみなさい」
「おやすみ、いい夢を」
カジノ行きに少しうずうずしているイースとまだ納得していないらしいアンナの手をつなぎ、ピピンは一礼してから正門へと向かう。2人にとってピピンはいい兄らしく、はたからみると仲良しの3兄妹だ。
一番そばにいてやらなきゃいけない時に、身近な存在として代わりを務めてくれたことは感謝しているが、それでも、もし自分が双子の成長を見守ることができたら、と不毛な事ばかり考えてしまう。
要するに嫉妬してんのか、俺は。石化してた時間を除いたって4つも下の男の子相手に、なんつーみっともない大人だ……と自己嫌悪に陥っていると、張本人のピピンがパタパタと一人で戻ってきた。
「ん、なんだ。忘れ物か?」
「いえ……そうではないですっ」
ええっと、とピピンが頬を掻く。一年近く旅をして、これは照れ隠しの時の彼の癖なのだと気付いた。わかりやすいので教えてやる気も治してやる気も無いが。
「何か御用命の際は、ピエールさん経由でもかまいませんから、いつでもなんなりとお申し付けくださいね」
ニッと笑ってピピンは続ける。
「頼りがい、無いかもしれませんけど。側近としては、やっぱりもうちょっとその、信頼していただきたいというか……甘えていただきたいと思いますし」
えへへ、とおどけて笑いながらも寂しそうなのが伝わってくる。ピピンはきっと、子供達共々厄介払いされたことをわかっているんだろう。それでも深く立ち入ってこない彼の度量に救われていることに、今更気付かされる。
……甘えていただきたい、と言ってくれるなら。
少しくらい踏み込んでもいいだろうか。
では失礼します、と双子の元へ戻ろうとするピピンの服の裾を、リュカは少しつまんで引っ張った。
「なあ、ピピン」
「へ?」
「……俺は、正しい父親かな」
「は、はい?」
突然の問いかけにピピンは首を傾げる。
リュカは何もサンタローズの温もりが恋しくてここまで凹んでいるわけではない。妖精城で見た過去の光景がリュカに与えたものは、懐かしさだけではなかった。
「絵の向こうで見た故郷で、父に会った」
「……先王の、パパス様ですか?」
「ああ。久々に会った父は、驚くほど威厳があって、優しさに満ち溢れてて、何より……雄大だった」
望んでやまなかった父との対面だったはずなのに。今になって残るのは、絶対に乗り越えられない壁を見せつけられたような、圧倒的な敗北感。
「改めて思い出したら、なんか……打ちのめされて、さ。あんな父親になれる気がしないよ、俺は」
「リュカ様……」
不安定で、あまつさえ子供に気を遣われてしまうような、劣等感の塊の情けない自分。何年もかけて見つかった父親がこんな男だったなんて、子供達に申し訳が立たない。
だからといって、部下に意見を求めたところで仕様の無い話だ。妙なことを聞いてすまんかったな、と謝りかけたその時。
「……ええと、ですね」
難しい顔をして黙っていたピピンが、探り探りで話しだした。
「僕はパパス王がどんなお方だったのかは知りません。だからお二人を比べることは出来ませんけど、それでもリュカ様は素晴らしい父親だと思いますよ? イース様もアンナ様も、リュカ様にお会いしてからは寂しがったりしなくなりました。リュカ様がお二人にたっぷり愛情を注いでらっしゃる証拠だと思います。褒めるのも上手だし、叱り方だって頭ごなしに怒鳴るんじゃなくてわかるまできちんと言い聞かせてますし。僕の父さんなんか、ちょっと悪戯しただけなのに拳骨に加えて外に締め出したりするんですよ、酷いと思いません? ちょこっと外壁に落書きしただけなのに……って、どうして笑ってらっしゃるんですかっ」
「ふふ、あはは……いや、気にするな。続けろ」
まとまりがなくても脱線気味でも、頑張って励まそうとしているのが伝わってきて微笑ましい。するとピピンは、とにかく!と、強引に軌道を戻した。
「上手く言えないですけど……正しくあろうとする必要なんて、無いと思うんです。何が正しいのかなんて、きっと神様にだってわかりっこないですよ」
何だかきれいに答えられなくてすみません、とピピンは申し訳なさそうに頭を下げた。
要するに、正解なんかないんだから人と比べて悩むな、と、そう言いたいらしい。
「ふふふ……そうだな。あまり深刻に悩むことでもなさそうだ」
「ええ、リュカ様なら大丈夫です! 立派な父親だって、僕が保証しちゃいますよ!」
「そうかい。ここまで信用できない保証も珍しいな」
「えー!? それちょっと酷くないですか!?」
文句を言いつつ、ピピンはリュカの笑顔を見て安心しているようだった。もしかしたら相当凹んでるように見えてたのかもな。
「……すまない」
全く、甘えてほしいだなんてとんでもない。
「俺は……お前達に甘えてばかりだ」
さあお前ももうお休み、と言ってリュカも馬車へ向かおうとすると、
「おそれながら国王陛下!」
「あ?」
「そういう時は! “すまない”ではなく、“ありがとう”と言ってほしいでありますっ!!」
かしこまった口調に敬礼付きでふざけたことを抜かすピピンの脳天に、リュカはわりと容赦なくデコピンを放つ。ばっちーん、といい音が鳴った。
「いってぇ!!」
「ったく、お前はいちいち調子に乗りすぎなんだよっ!」
「だからってそんな本気出すこと無いでしょー!?」
大人げないんだから、とひりひりと痛む額を押さえる。まるで次元の低い兄弟喧嘩だ。
しょうもないやり取りのおかげで悩んでいたことすら馬鹿らしく思えてくる。しかし、救われた相手がピピンというのがどうしても悔しい。
「……“ありがとう”。おやすみ」
「はい、おやすみなさいませ!」
再度敬礼をしてニカッと笑ったピピンは、急いで双子を待たせている門まで走っていく。後ろ姿が嬉しそうなのがなんとなく気に食わない。まんまと元気づけられてしまったのは癪に障るが、まあ、甘えろと言われたのだから素直に甘えてやろう。
我ながら酷い屁理屈だ、と呆れながら、リュカは今度こそ仲間達の待つ馬車へ向かう。
ゲレゲレあたりを抱きしめてやり過ごそうと思っていた涙は、いつのまにか引っこんでいた。