Crimson Darling【8】

 幽霊の王様に頼まれてお化け退治をしたり、妖精の女王様に頼まれて春を取り戻したり、等と思い返せばファンタジーな冒険を繰り広げてきたリュカだったが、さすがに竜の背に乗って大空に舞うことになるとは思っていなかった。
「すごいすごい!世界が真っ青です!楽しいですねゲレゲレっ!!」
「がうっ、がうっ!」
「ぴきっ、ぴきー!!」
「……くぁ?」
「え、あ、あぁ……その、何だ。おいらは大丈夫だから、全然心配しなくていいんだぞ、メッキー」
 リュカ達は光の教団に乗り込むため、マスタードラゴンの背を借りてセントベレス山へと向かっている。山頂にある教団の神殿に空から乗り込む算段だ。相手の勢力がわからないので仲間の魔物達を全員連れてきたが、マスタードラゴンの背中はそれでも余裕があるほど広い。さすがは世界を統べる者、背中にも威厳がおありだ、ちょっと前まで胡散臭いオヤジだったくせに。
「わぁっ、わぁっ!! お父さん、すごいよ!! グランバニアがあんなにちっちゃい!!」
「イース、落ちるなよー?」
「わかってるー!!」
 こちらの注意を聞いているのかいないのか、はしゃぐイースは空の旅を十分満喫しているようだった。
 しがみついて離れようとしないアンナとは大違いだ。
「……なぁ、アンナ。父さんちょっと足痺れてきたんだけど」
「だ、ダメ! 動いちゃヤダ!!」
「わかったわかった。もう神殿も見えてくる頃だから、あとちょっと怖いの我慢できるか?」
「……うん……」
 膝の上で小さく頷いたアンナは、ぎゅ、とさらにリュカにくっついた。高所恐怖症はデボラ譲りかなぁ、と考えながら、リュカは震えるアンナの頭を撫でてやった。
 リュカの背後から、にやつくピピンがアンナをつつく。弱り切ったアンナが珍しいらしい。
「ふふふ、アンナ様がここまで高い所が苦手でいらっしゃったとは。……アンナ様のファンが聞いたら喜びそうな情報ですねぇ」
「やかましいわよピピン! 城のみんなに余計なこと吹きこんだら不敬罪で牢獄にぶち込んでやるんだから!」
 ……うわぁ、完全に俺の子だ。いつぞやの自分の凄まじい暴君ぶりを思い出しつつ、リュカはアンナに軽くデコピンを放つ。
「こらアンナ、簡単にそんなこと言うんじゃありません」
「……はぁい」
「よしよし。あとピピンは帰ったら間髪いれずに稽古付けてやるから覚悟しとけ」
「えー!?」
「当たり前だ。俺の子イジめてタダで済むと思ってないだろうな?」
「イジめてませんって!! 勘弁して下さいよ、もー」
 ホント甘いんだから、とぶーぶー文句を垂れているピピンを小突いていると、服を掴んでいたアンナの手が緩んで、おや、と思う。あれほど周りの風景を怖がっていたアンナが、イースに目を向けて首を傾げた。
「イース、どうしたの? 何か見えた?」
「……あった」
 さっきまでのキャッキャと騒ぐ彼はどこへやら、静かに前を見据えるイースからは“勇者”の威厳すら感じられる。
「……もう大丈夫、お父さんありがとう」
「あ、おい」
 突然アンナが立ち上がり、おそるおそるではあるがイースのそばに寄っていく。それに気付いたイースは、ふわりとアンナに笑いかけた。
「イース、手」
「うん」
 それ以外に一切言葉は発しない。言わなくてもお互いの気持ちが伝わるのだろうか。手をつないだまま寄り添う双子達の絆が深いのは、まだ2年しか一緒にいられていないリュカにもよくわかる。
 完全に置いてけぼりをくらったリュカに、ピピンがこそこそと耳打ちしてきた。
「昔から、イース様が“勇者”になる時、アンナ様はいつもああして手をつないで差し上げてるんです」
「……イースの不安を取り除いてやってるのかと思ってたが、案外そうじゃないのかもな」
「ええ。きっと“二人合わせて天空の勇者”なんでしょうね」
 二人の背中を眺めて、何故かピピンは嬉しそうに微笑んだ。

 

 

 デカい金槌を引きずらないよう器用に背負ったブラウンが、目の前の巨大な石造りの神殿を見上げる。
「なぁリュカぁ、ここにデボラがいるのか?」
「ああ。間違いないだろう」
「ここまで長かったなー。まぁ、リュカを探すのよりは短かったけど」
「……あの時は面倒かけた。悪かったよ」
 今からもう10年近く前になる、王妃誘拐事件とグランバニアへの襲撃。主犯はジャミ、そしてジャミが倒れた後すぐにゲマが現れたことから、おそらくバックにいるのは光の教団だろうと推測される。聞いた話では、リュカやデボラの石像を売りに出した人間は、デボラの石像について“既に高値で契約が成立している”と言っていたらしい。リュカの石像すら20000ゴールドだったのだ、それ以上の金額を出せるとなるとかなり限られてくる。確かゲマの奴がデボラのことを“勇者の子孫”とか言っていたから、天空の勇者の誕生を恐れる教団の人間が買い取ってそばに置いているのだろう。壊されている可能性も一瞬頭をよぎったが、石像にしてから壊す位ならあの場でゲマは俺達を殺しているはずだ。
 大体、そうでなくても今まで世界中を巡ってデボラの石像が見つからなかったのだから、あるとしたら教団の総本山であるこの神殿くらいだ。こんな形で因果が巡ってくるとは、思いもしなかったが。
「懐かしいな……あんま郷愁に浸りたかないが」
「リュカ、この場所知ってるんですか?」
「ん?まあな……」
 曖昧な返事をしておく。仲間のモンスターはリュカが奴隷をやっていたことは知っているが、何処で何をしていたのかまでは知らない。あまり詳しい話をするつもりはなかったし、話したところで過去が変わるわけでもない。
 リュカの気持ちを察したのかはわからないが、気合十分のピエールはギュッと拳を握ってガッツポーズを作った。
「じゃあさっさとデボラを助けて、ここからおさらばですね!」
「ぴきぴきー!」
 相棒もぽよぽよと意気込んでいる。頼もしい限りだ。
「ねぇ、お父さん」
 服の裾をひっぱられて下に目をやると、イースが神殿入り口近くの小さな建物を眺めていた。
「どうしたイース?」
「向こうで呼んでるみたい。ちょっといってくるね」
「あ?呼んでるって何が……あ、おいっ、ちょっと、待ちなさい!」
 アンナ行こう、と妹の手を引き、何の変哲もない建物に向かって走っていく。呼んでる、って何のことだ、声なんて聞こえなかったぞ。慌てて追いかけ始めたピピンに続き、よくわからないまま双子の後を追う。

―――ザシュッ。

「……何の音だ!?」
 建物の中から鈍い音が聞こえた。丁度、刃が肉を裂くような。
「イース!?」
「王子!! どうされまし……た……って、ありゃ?」
 顔面蒼白なピピンと共に駆け込む。鉄格子の前に横たわるのは蛇の手をした魔物、そしてイースはその首に天空の剣を突きつけていた。傷つけられたのが息子でないのがわかってひとまず安堵する。
「返して。それ、僕のなんだ」
 本の貸し借りでもするかのような軽い口ぶりで、イースが剣を軽く振るう。とどめを刺された魔物が砂塵のように消えると、待ってましたとばかりに鉄格子の扉が開いた。
 天空の剣と同じ色が、牢獄の中で不似合いなほどに厳かに輝いている。誰も寄せ付けない神聖さを纏ったまま。
「……よ、鎧……?」
 思わずリュカは声を漏らす。探してやまない天空の装備の、最後の一つ。
 無造作に飾られた天空の鎧にパタパタと駆け寄ったイースは、懐かしそうににっこりと微笑みかけた。
「お待たせ」
 その問いかけに答えるように、天空の鎧は淡く光を帯びた。

 神殿の石門に隠れてそっと中を伺うと、洗脳された大勢の奴隷が祭壇に向かって祈りを捧げていた。人の群れが不気味に蠢いている。ヨシュアさんの助けがなかったら自分もこの一部になっていたのかと思うとゾッとする。
「ぐるるる……」
 異様な雰囲気に唸るゲレゲレを制する。相手の人数は半端じゃない、見つかったら終わりだ。
 入口に立っていた門番を懲らしめて問い詰めたところ、今日は神殿の完成を祝って“シンボル”と称する石像を祭る日らしい。こうもタイミング良く石像なんてワードが出てくるなんて、ますますあやしい。推測は確信に代わる。
「リュカ様、どのように攻め入ります?」
「そうだな……」
 無人の詰所からはぎ取ってきた見取り図を眺めながらリュカは首をひねる。石像を飾る祭壇は一番奥、そこに行くには部屋を囲うように伸びている左右の階段を上る必要があるらしい。部屋の中央には祭壇より少し低めの台座があり、幹部らしい人間が控えている。作戦を練ろうにも、中央の幹部が邪魔臭くて祭壇が見えやしない。
「メッキー、上から様子見できないか? 祭壇までの距離と人員配置が知りたい」
「めきゃっ」
 頷いたメッキーは数度羽ばたいてから、音を立てずに風に乗る。偵察は彼女に任せるとして、今のうちに作戦を練るか。
 優先するのは石像と奴隷のみんなの安全を確保することか……だとすると、儀式が終わるのを待ってから隙を突いて石像を取り返して、教祖を叩くのはそのあとか……いや、あの頃には神殿建設後に奴隷は始末する、なんて噂もあったから、みんなを逃がすのが先か?
「石像取り返すったって……あんな遠いのに、どうやって近付くんです?」
 バレずに行くなんて無理ですよ、と不安そうにピピンが呟く。
「儀式が始まって祭壇に注意が行った時を狙う。終わるまでは祭壇下で息を潜めとくしかないな……」
「……なんだか随分地味な作戦なのね?」
「ねぇお父さん、僕たち戦えるよ?」
 天空の装備に身を固め、自信に満ち溢れる双子たちは不満そうだ。
「お前たちの出番は母さんを取り返した後だ。今は力の使いどころを見誤ると対処が難しくなるんだよ、もう少し我慢してなさい」
 奴らのことだ、どんな理由をつけて奴隷たちを操るかわかったもんじゃない。異教徒だの裏切り者だの、こいつを倒した者を解放するだの、焚きつけるならどうとでもできる。かつての仲間を傷つけたくないしな。

 そうして見つからないように様子をうかがっていると、奴隷たちがざわつきだした。

 いらっしゃったぞ!
 あれが光の巫女様なのね!
 何と美しい……!

 聞きなれない言葉にリュカは少し首を傾げる。てっきり儀式を行うのは教祖のイブールだとばかり思っていたが。
「光の巫女、なぁ……」
「教祖とはまた別なんですかね……あの、リュカ様」
「何だ」
「敵情視察に行きたいです」
「却下」
「何でですかっ!」
「敵情視察はメッキーだけで十分だ。お前は巫女さん見たいだけだろ」
 まぁ、あいつより優秀で緻密な偵察が出来ると自負してんなら行って来い、と言ってやると、ピピンはもごもごと口篭る。この見境のない女好きさえ無きゃ優秀な部下なんだがなぁ。

『―――静まりなさい!』

 光の巫女とやらの声が凛と響く。しまった、もう始まったか。
「ブラウン、メッキーはまだ戻ってないのか?」
「まだだ……なぁリュカ、そろそろ祭壇に行かなきゃ」
「ああ、だが敵の配置がわからんことには……」
 動くに動けない状況の中で、儀式は着々と進んでいく。光の巫女が何をしているのか、こちらからは死角になっていて全く見えない。

『これより神殿を満たす儀を開始します。“シンボル”に光の祈りを!』

 声にこたえるように、奴隷たちは大理石の床に跪き祈りを捧げる。その祈りから特に魔力の波は感じられないが、しんと静まり返った神殿には巫女の言うように不気味な狂気が満ちている。
 狂気に気圧されかけたリュカが、ハッと我に返る。祈りが終わり、全員の意識が光の巫女に行った瞬間。移動するならその時しかない。メッキーが戻らないのが気になるが……。
「よし、いいかお前ら……」

『時は満ちました、今ここに光の神殿の完成を宣言します』

 静かな光の巫女の声と、奴隷たちのざわめきが神殿に響く。
 タイミングを逃さないうちにリュカがみんなに作戦を伝えようとしたその時、

『マーサ=エル=シ=グランバニアの名の下に!!』

 光の巫女の声が、恐ろしいことを口走った。
「……は?」
 不意を突かれるとはこのことか。隠密行動をしなければならないことも忘れ、リュカは身を乗り出して祭壇に目を凝らす。歓声の中、祭壇の上で石造の隣に立つのは、漆黒の髪を短く切りそろえシンプルなロングドレスを身に纏った妙齢の女性。
「お、お父さん……あの人今、マーサって言ったよね?」
「私達のおばあさまと同じ名前の別人、なんて偶然は……あるわけないわよね?」
「真の敵は捜し求めた母、とはまた……超ドラマチックじゃないですかリュカ様」
「全くだな……不思議なこともあるもんだ」
「……なぁリュカ、自分の身に起こってる事だってわかってるか?」
「がうっ」
 ある種現実逃避に近い客観視をしていると、バサバサと後ろで羽ばたく音がした。偵察を終えたメッキーに、ピエールが急いで駆け寄る。
「メッキー! よかった、お帰りなさい!」
「めきゃ、めきー……」
 すまなそうな目をしているのは、時間が掛かったからだろうか。混乱気味なリュカは、ひとまず情報を整理してから移動しよう、とメッキーの報告を聞く。

『我らが“シンボル”は、教団に降りかかる様々な災厄をその身に納め、私達を守ってくださいました』

 祭壇の間の広さはグランバニア城下街の半分程度、奥の祭壇はかなりの高さがあって階段以外の方法で上ることは空を飛ぶ以外不可能、側近の配置は左右に三人ずつと意外に多い。

『これから教団の信仰を広める上で、さらなる災厄が私達に襲ってくることでしょう』

 そして奥の祭壇の“シンボル”とやらは、多少髪が乱れていたがやはりデボラに酷似していたそうだ。

『けれどめげてはなりません、これからは自らの信仰の力で困難を乗り越えなければならないのですから』

 嫌でも聞こえてくる、母を名乗った光の巫女の声。母の身に何があったのか、何故よりによって光の教団の幹部なんぞになっているのか。響いてくる話を出来るだけ聞き流して、混乱気味にリュカは作戦を練り直す。

『神殿と言う拠点が出来た今こそ、我ら光の教団の心の強さが大切になります。』

 横から這いあがれないなら素直に階段を上るしかないが、見つからないようになんて不可能だろ……どちらにせよ二手に分かれて階段近くで待機するしか、

『災厄を一身にまとった“シンボル”の破壊をもって!! 私たちの強さを示そうではありませんか!!』

 そうなるとどのタイミングで石像に近付くか……あ?

「……あの人今、破壊って言いましたよね!?」
 慌てるピピンの声で、先程の巫女の発言が幻聴でないことを知る。もう一度巫女をよく観察してみると、片手に何か持っているように見える。あれはもしかして……ハンマーか?
 途端に、混乱してヒートアップしていた頭が急激に冷めてきた。
 なんだ、道は目の前にあったんじゃないか。余計な情を介入させなければどうということもない、何でこんな当たり前のことに気付かなかったんだ。俺達はここに何をしに来た? デボラを助けに来たんだ、目的が果たせるならそれ以外はどうだっていいじゃないか。
 邪魔する奴は皆殺しだ。
「メッキー、中央の台座から祭壇までの距離は?」
「くぁっくぁー」
「えーと、この入口の幅と同じ位だそうです。……それが何か?」
「ならいい。ゲレゲレ、伏せろ」
「がう?」
 大人しく頭を下げたゲレゲレにいつかのように跨る。長年の付き合いのおかげかそれだけで色々察したらしく、ゲレゲレは後ろ脚に力を込めて大きく息を吸い込んだ。
「アンナ、今すぐイオの準備だ。座標は中央の台座な」
「え、は、はいっ」
 言われたままに、アンナは手早く詠唱を始める。デボラ救出の作戦は、至ってシンプルだ。
「アンナの術の構築が終わり次第、台座の人間全員吹っ飛ばす。真ん中に道が出来たら俺がゲレゲレと一緒に突入するから、お前ら後からついてこい。以上」
 端的に説明を済ませたリュカに、動揺気味にイースが食ってかかる。
「ちょっ、あんだけ練ってた隠密作戦はどうしたのさ!!」
「今すぐ忘れろ、こそこそしてる時間なんかない」
「ですがリュカ様、目立つと石像どころか母君の安全も危うくなっちゃうんじゃ」
「知ったことか!! あのクソババアぶっ殺してやる!!!」
「お父さん、落ち着いてってば!!」
 すがるイースを、楽しそうにブラウンが制する。
「無駄だぞイース。こうなったリュカは誰の意見も聞かないんだ」
「キレた状態でも頭だけは回るから、手の施しようがないんですよ」
「次は見失わないようにしねーとなぁ、ピエール」
「あはは。そうですねぇ、ブラウン」
「何でそんなに落ち着いてるのさ二人ともー!!」
 真面目な天空の勇者は、錯乱した父よりも余程周りが見えているらしい。頭の片隅で、こんな親でごめんな、と謝っておく。
「お父さん、出来たわ!」
 そうこうしているうちにアンナの術が完成する。ストロスの杖がまとう光は今にも爆ぜそうだ。祭壇の光の巫女は賞賛の声に気を取られてこちらに気付く気配はない。
 リュカはゲレゲレの背に手を添え、深呼吸をひとつしてから頷いた。
「よし、やれ」

―――ズガガガーーーンッ!!!

 派手な爆発音と共にゲレゲレが床を蹴って走り出す。
(アンナの奴、途中からイオラに変更したな……まぁ、敵を一掃できたからいいか)
 台座で祈りをささげていた幹部共は爆風で下に弾き飛ばされていた。突然の出来事にざわつく奴隷達を尻目に、ゲレゲレはリュカを乗せて広々した階段を駆け上がる。
「なっ……!?」
 顔をゆがめる光の巫女めがけて、リュカは飛び降りざまにドラゴンの杖を振り下ろす。

―――バキィッ!!

 とっさに構えたハンマーは、リュカの攻撃に耐えきれずに柄から折れた。
「……な、何者だ、捕えよ!!」
 へたり込んだ巫女が衛兵に呼びかけるが、爆風のおかげで誰一人近くにはいない。リュカはその起き上がりかけた上半身を蹴飛ばし、胸倉を踏みつける。
「が、……かはっ!?」
「俺ンだ。気安く触んじゃねぇよ」
 苦痛にゆがんだその顔は、どことなく自分と似ているように見えた。こちらを睨みつけてくるのは鏡でみる自分と同じ、深い深い黒曜石の瞳。
「その瞳……まさか、リュカ?」
 どうやら同じことを思っていたらしい。懐かしさに浸るその顔に虫酸が走る。
「おお、何と懐かしい! 母は、どれだけあなたに会いたかっ、たこと、か……ぐぅっ!?」
「ほざけ。およそ考えられる限りの最底辺まで堕ちやがって、どの口がそんなことを」
 踏みつけた足に力を込める。押しのけようとする巫女の手は細身の女にしては怪力だ。
「早くデボラを元に戻せ。さもなくば今ここでお前を殺す」
「く……り、リュカ……まさか、私の事がわからないとでも、いうのですか……?」
「わかってるさ、母さん。嫌というほどにな」
 足に絡まる手を杖で払いのけ、リュカは冷たく言い放つ。
「聞こえなかったのか、デボラを元に戻せ」
「……よいでしょう。ただし、条件があります」
「あぁ?」
「あの“シンボル”にはイブール様の呪いがかかっています。あなたも光の教団として、母と共にイブール様に仕えると言うなら、呪いを解いて……」

―――ドカッ!!!

「ぎゃあっ!!」
 鈍い音と醜い悲鳴は、リュカが光の巫女を全力で蹴飛ばした音だ。
「……そうか、わかった」
「か、は……な、何をするのです!?」
「もうお前を母親とは思わない。イブールは後だ、まずお前から始末してやる!!」
 リュカは光の巫女に向けて杖を構えた。なぁ父さん。俺、こんなのと血が繋がってたなんて思いたくないよ。
 かつて母だった人は、こちらを見据えたまま動かない。この人が、こんな奴が、父が探し求めた最愛の人だなんて。父の遺言を守るなら、この人を城へ連れ戻さなければならないのだろう。でも、俺は……俺は。
 手の届きそうな距離にいる、自分の相棒を選びたいんだ。
 ごめん、父さん。
「……ふっ」
「何がおかしい!?」
「ふ、ふ……ぐふふふ」
 澄んだ声が、突然低い濁声に変わる。むくむくむく、と体が膨らむ。母の面影が消え去り、現れたのは一つ目の巨大なモンスター。
「くはははは!! よくぞみやぶったな、貴様の母はもうこの世界にはおらぬわ!!!」
 驚いた奴隷達の悲鳴が聞こえる。もう儀式どころではない、祭壇下は奴隷と幹部がもみくちゃで阿鼻叫喚だろう。
「わが名はラマダ!! 光の教団の神官長にして、イブール様の忠実な部下なり!!! 邪魔立てするなら容赦せぬぞ!!」
 大振りの棍棒を片手に、あらかじめ決めてあったのかと疑いたくなるような口上をのたまうラマダとやら。リュカはというと、完全に拍子抜けしていた。
 ……じゃあ今の母さんは、偽物だった、ってことか?
 あんな自信満々な自己紹介を前にして、微塵も気付かなかったなんていえるわけがない。
「……そ、」
 いきり立つラマダを前に、リュカは誰にも聞こえないであろう苦し紛れの言い訳をつぶやく。
「そんなこったろーと、思ってたさ……。母さんがあんな真似、するはず……ない、もんな……」
 嘘つけ、とでも言いたげにゲレゲレがフンと鼻を鳴らした。